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「オリックス・バファローズ」な日々

Since2004.11.1 
3年目の「オリックス・バファローズ」も見守ってみます。

大熱戦は延長12回に決着(7.24 都富士2-0都四商)

2007年07月24日 | その他野球関連

昨日の夕方、確かにその声を聞いたのだ。
といっても、
「それを作れば、彼はくる…」
という、フィールド・オブ・ドリームスのような美しい話ではない。
ただセミの鳴き声を聞いただけである。
しかし雨が降らずに1日が終わることはないという、うっとうしい気候が続いている中、今年初めて聞いたセミの鳴き声。
これは本格的な夏の到来を予告するものではないか。
そう思って今日、目が覚めてすぐに窓を開けると、空には雲のひとつも見当たらなかった。


ここは府中市民球場。
10時から始まった第1試合は終盤しか観戦できなかったが(大成高校おめでとう!都大泉もよく頑張った!)、12時50分にプレーボールがかかった第2試合には悠々と間に合った。
都立高校同士の対戦である。


スタンドの椅子は内野だけの、いかにもアマチュア用といった趣の球場だが、かつては巨人の二軍も試合をしていたのだとか。
いかにも高校野球観戦の常連といった感じの、日に焼けたじいさまから教わった。


試合は都富士の中原、都四商の山田の両先発が好投し、ゼロ行進が続く。
本当はもっと試合の詳細を書きたいのだが、スコアボードに選手名を表示してくれないため、細かいところを記すことができなかったのだ。
ただ都富士のレフトを守っていた小柄な「チヒロ」という選手は印象に残っている。
その姿がいかにもすばしっこそうで、塁に出ると投手がかなり嫌がっていた。
走塁の途中で足を滑らせてヒヤッとする場面があるなど、少々おっちょこちょいの感もあった。
こういうタイプは、往々にしてクラスでは人気者になる。


延長12回表、ようやく2点を奪った都富士が勝利。
帰り際都四商の選手が引き上げるのと一緒になったのだが、皆が涙にくれていた。
私だって10年には彼らと同じ歳だったはずなのだが…
曲がった大人になるなよ。
曲がった大人にならないためには、相当な努力が必要であることに気付かせてやるのが「教育」であるように、最近思う。

緑のグラブの竹間が完封(4.23 東京農大1-0国士舘大)

2007年04月23日 | その他野球関連

曇り空だが雨は落ちてこなかった今日は、昨日の予告通り神宮第二球場へ。
東都大学2部の試合が2試合行われる予定だが、洗濯物を片付けていたがゆえに10時半プレイボールの第1試合には間に合わず、午後1時からの第2試合を観戦。


入場料の1300円は案外高いなと思ったが、ここは学生たちの戦いの場。
母校でもなく、本来蚊帳の外の人間が入れてもらえるだけでもありがたいと割り切り、正面入り口から入場。
ここは野球で使用しない時はゴルフの打ちっ放しになっているという、おそらくは他に例を見ない球場である。
そのせいか、球場全体がとんでもなく高いネットに囲われており、何だか鳥かごの中に入った気がした。


スコアボードは手書きで、とんでもなくレトロ。
字の書体も不揃いで、とりあえず読めればいいだろうといった感じである。
スコア部分は律儀に延長15回まであるが、11回表と13回表のパネルをめくり、試合の様子を眺める学生の姿が見えた。


三塁側は国士舘大。
国士舘大というと何となく男くさいイメージを持っているのだが、それに違わずベンチからは活発に太い声が発せられている。
選手も賑やかだが、おっさんふたり(おそらく監督とコーチ)が大きなゼスチャーと声で選手に指示を送っているのが目立っていた。


こちら、一塁側は東京農大。
国士舘大よりも、選手の笑顔が多く見られた。
選手同士でアドバイスを送り合ったり、全体的に選手主導で動いている印象であった。


東京農大のドカベン?南田選手。
一目見てやはりというか、4番指名打者での出場であった。
いい当たりもあったが、惜しくも野手の正面を突いたりして、残念ながらノーヒット。


スコアはこちら

写真は、完封勝利を飾った東京農大の竹間投手。
緑のユニフォームに緑のグラブ、コーディネートもお見事だった。

TDKお見事逆転で決勝へ(9.4 TDK【にかほ市】8-7日本通運【さいたま市】)

2006年09月04日 | その他野球関連

月曜日で、プロ野球は一軍の試合はお休み。
せっかく平日に休みが取れたので、ならば平塚までナイターの二軍戦を観に行こうかとも思ったが、明日は出勤なのに夜遅く平塚から帰ってくるのもキツい。
そこでプロにこだわらなければ、東京ドームで社会人野球をやっていることに気づく。
都市対抗野球のTDK(にかほ市)対日本通運(さいたま市)戦を観戦することに。


都市対抗野球は今年が第77回で、なかなか縁起のよさそうな数字である。
今日観戦するのは準決勝の第2試合で、午後6時プレーボールである。
第一試合はデーゲームで行われていて、日産自動車(横須賀市)がJR東日本(東京都)を下していた。


陣取ったのは一塁側のバルコニー席。
こちらは日本通運側だが、特に意味があって選んだわけではない。
しかし試合が始まると座っているほうのチームに情がわくもので、周囲の人と一緒になって初回、4番下窪選手の先制3ランに拍手していたりする。
社員の人が黄色のエアスティックを持って応援している姿に、去年のアジアシリーズの韓国チームを思い出した。


試合は日本通運ペースで進み、4回終了時には5対1でリード。
しかしTDKは5回1点、6回にも1点とコツコツ反撃し、7回にはドカンと4番佐々木選手のグランドスラムで逆転。
3塁側スタンドは狂喜乱舞の大盛り上がりである。
対する日本通運側は応援団が必死に盛り上げるものの、幾分沈んでしまったことは否めなかった。


それでも3点ビハインドの9回、日本通運は最後の反撃を試みる。
2アウトながらも塁上には走者がふたり。
打席に入るのは先制の本塁打を放った4番下窪選手。
誰もが「ここで一発出れば同点」と思っている目の前で、その下窪選手が放った打球はライトスタンドへ!
と見たが、わずかにオーバーフェンスには至らずタイムリーで2点差。
2アウトで走者は二・三塁、5番には代打で耳道という珍しい苗字の選手が出てきて、センター前に同点タイムリー!!
と思ったのだが、二塁走者が刺されてしまいゲームセット。
8対7でTDKが決勝進出を決めた。


手前の白地に黒の縦じま、日本ハムのようなデザインのユニフォームが日本通運。
どの選手もがっくりと跪いてから、最後の挨拶に向かった。


今日の試合のスコアはこちら

大会も佳境で緊張感があり、かつ試合内容にも見応えがあった。
できれば明日の決勝戦にも足を向けたいところなのだが、どうしても仕事の都合で行くことができない。
目の前で試合を観た分TDKに思い入れがあるが、日産自動車はスコアテーブルを見る限りJR東日本に完勝で、余裕を持って決勝に進んできている。

都市対抗野球:逆転勝利、なまはげも応援…秋田・にかほ市(毎日新聞)
過去、満州や京城市のチームまで優勝したことがある都市対抗野球だが、東北から優勝チームが出たことはない(多分)。
心情的には、TDKに肩入れしたいところだが。

粘りの帝八、サヨナラ勝ち(7.23 帝京八王子5-4拓大一)

2006年07月23日 | その他野球関連

京王高尾線の山田駅から大体徒歩で10分くらい、富士森公園の中の一区画に八王子市営球場はある。


プロ野球ははるか彼方の宮崎でオールスターがあるだけ。
せっかくカレンダー通りに日曜日が休みで、おまけに妻も出かけていて、空は厚い雲が覆っていても、私にとっては野球観戦日和なのに。
しかし少し頭を使ってみれば、プロの試合は行われていなくとも、高校野球は夏の選手権の予選真っ盛りだ。
というわけで西東京大会を見るべく、比較的駅からのアクセスもよさそうな八王子市営球場を選び、足を運んだのである。


カキ氷と焼きそばと飲み物(ビール含む)の屋台も出ており、案外堂々と商業主義な面も見せている。
球場にもタダで入れるかと思っていたらそれは虫のいい話だったようで、小さなブースで女子高生がチケットを売っており、そこで700円を払った。


球場に入るとちょうど第1試合の桜美林高対明学東村山高の試合が終わったところであった。
11対0で、桜美林高が5回コールド勝ち。
しかし意外だったのが、試合終了後お互いのチームが礼をしたあと、勝ったチームの校歌斉唱が行われないのだ。
高校野球、関東甲信でも開幕(asahi.com)
私が高校時代までを過ごしていた群馬県では、県大会でも校歌斉唱はあった。
上記の記事の中でも、
「来年から校歌も変わる。伝統ある校歌を1回でも多く歌いたい」
という藤岡高の吉田主将のコメントが紹介されている。
まさか、甲子園出場後を見越して発言したわけではあるまい。
とりあえず、校歌斉唱をするところとしないところがあって、東京では行わないらしい。
そして試合終了後は、勝ったチームがグラウンド整備をする決まりになっているらしい。
そのあたりが、なんだかんだ言われても教育の一環である高校野球だ。


そして次は、12時半から帝京八王子高対拓大一高の試合である。
試合に備え、両チームは外野でウォーミングアップ。
「キャッチボールをしてください」
「トスバッティングをしてください」
と、その内容を指示するアナウンスが流れたのにちょっと驚く。
ウォーミングアップくらい自由にさせてあげればいいと思うのだが、これもなにか理由があってのことなのだろう。


いよいよ試合開始である。
先ほどの試合より応援団の数も多く、声援にも熱が入っているように感じられる。
私は仕事のために東京に移り住んだ人間なので、このあたりの高校野球事情には疎いのだが、おそらくは実力伯仲、野球に力を入れている学校同士の対戦なのだろう。


最初は三塁の拓大一高側に座っていたのだが、だんだん場違いな感じがしてきてネット裏に移った。
いかにも観戦歴○十年、といった感じのご年配の方が多い。
トタン屋根の放送席では、八王子のCATVが実況している。


プレーの中身をみれば、ミスは数え切れないほどある。
投手が投げて、打者が打ち、野手が取り、投げる。
そのワンプレーのどこかに、必ずミスが含まれているといっても過言ではない。
プレーそのものではなくとも、味方がランナーを出してピンチを迎えているのに、ブルペンでは控え投手がワインドアップで投球練習していたり。
ただ問題点は多々あれど、一生懸命に声を出してボールに食らいついていく姿にはつまらぬ茶々を入れる気にはならない。
あまり脈絡はないが、サッカーワールドカップで出場国中もっとも弱いと言われながら必死の試合運びでスウェーデンと引き分けた、トリニダード・トバゴのことを思い出した。


スコアはこちら

拓大一高が5回まで4点リードと先手を奪ったが、二度の満塁で無得点に終わり、完全に流れが変わった。
最終回、帝京八王子高が連打で逆転し、サヨナラ勝ち。
タイガースカラーの応援団も、沸きかえった。


手前が勝った帝京八王子高。
向こう側が敗れた拓大一高ナイン。

あれからずいぶんと経ってしまったが、私にも青春はあったのである。
やっぱり、軟式じゃなくて硬式やっとけばよかったなあ…

都市対抗野球開幕(8.22 JR東日本6-1NOMOベースボールクラブ)

2005年08月22日 | その他野球関連
仕事は遅めのお盆休み。

プロ野球はないが、今日から東京ドームで都市対抗野球がはじまる。
特に毎年関心を持ってみていたわけではないが(去年の優勝チームも知らないし)、今年はあの野茂英雄が設立し、理事長を務めているNOMOベースボールクラブ(以下NOMOクラブ)が出場することだけは知っている。
しかもその試合がたまたま平日にもかかわらず私の仕事が休みになった今日のことであると分かり、これは運命とばかりに午前中惰眠を貪った後、東京ドームへ。

試合は例によって新宿のチケット屋で購入した外野招待券。
さすが9回目の出場のJR東日本は動員力があり、応援も統制がとれている。
試合がはじまる前に、一塁側内野席からライトスタンドまでほぼ埋まってしまった。
比べるとNOMOクラブ側の入りは少々寂しく見えるが、それでもクラブチームでこれだけ集客できれば大したもの。
しっかりとチアガールまでいて案外体裁は整っている。
とはいえレフトスタンドまではとても埋まらず、単なる野球好きのおっさんや開会式終わりでちょっとついでに見てくかといった感じの他チームの選手がポツンポツンと座っている。
私もこちらに陣取る。

選手達は最初の守備につく時サインボールをスタンドに投げ込んでおり、プロの試合とあまり雰囲気は変わらない。
少数だが売り子もいて、しっかりとビールを買う。
値段はやはり1杯800円で、残念ながらこれもまたプロの試合と変わらない。
NOMOクラブが本拠を置いている堺市長が始球式に登場した後、プレイボール。

で、試合結果は…
初出場NOMOクラブが完敗/都市対抗(日刊スポーツ)
守りではミスが失点に結びつき、打っては2安打。
先発は松下電器からの補強選手である山本で、唯一の得点もやはり補強選手の4番中本のホームラン。
NOMOクラブとしてはまさに完敗だった。
JR東日本の松井投手は重そうなストレートを投げ込む右の本格派だったが、今秋のドラフト候補でもあるらしく、初戦にしては当たった相手も悪かったか。

正直なところ、野茂は今季限りでの引退が濃厚だ。
その野茂の持ち出しによって、NOMOクラブは設立されたのだ。
外部のスポンサーもついているようだし、市長自ら始球式にきたり地域ぐるみで支えていこうという姿も見えるので、NOMOクラブには今後も頑張って欲しいものだが…

「延長18回」終わらず 三沢VS松山商

2005年01月03日 | その他野球関連
『「延長18回」終わらず 伝説の決勝戦「三沢VS松山商」ナインたちの二十五年』(田澤拓也著・文春文庫)が、いつの間にか文庫になっていたので購入。
年末くしくも雪の中の東北を旅していた(三沢の古牧温泉にも行った)ので、あれから25年ならぬ35年が経過しているとはいえ、当時の三沢ナインの精神風土にわずかながらも触れられた気がした。

1969年8月18日、夏の甲子園の決勝戦となった青森代表の三沢VS愛媛代表松山商の試合は延長18回、スコアレスで引き分けとなった。
この本はその試合の展開とそこに至るまでの両チームの道程、そしてその後の選手たちの人生を追っている。

特に印象に残ったのは、松山商野球部での凄まじいしごき、さらに甲子園後の三沢ナインの歩みである。
しごきに耐え、3年間を乗り切った松山商ナインは、この本で読む限りかつてを懐かしむ余裕のある生活を送っている。
反面、三沢ナインには筆者に対してつれない態度をとるものが多い。
この本の本筋とは離れるが、雑多な人間関係に紛れることが出来ない「地方で生き抜くことの困難さ」をそこに感じた。

三沢駅前の寂しいこと。
だからこそ「三沢フィーバー」が35年前の出来事であったことが、余計に現実味を持って感じられた。