このところ気になっていることばがある。貫通している林道のことを、かんぬき、と呼ぶことだ。漢字では『完抜』とかく。これを、かんぬき、とよんでいるのだが、かんばつ、のまちがいだ。kanbatsu
貫通している林道、行き止まりではなく、通り抜けられる林道を、完抜林道(かんばつりんどう)とよんでいた。これは林業関係者のことばか、道路整備者の用語だったとおもわれる。40年ほど前のバイク雑誌には、完抜林道、ということばが、林道の紹介記事によくつかわれていた。そこにルビなどふってなかったが、だれも、かんぬき、というよみかたはしていなかった。
それが最近、ツィッターでかんぬき林道をはしってきた、とか、かんぬきしてきた、かんぬけしてきた、のようにつかう例が散見される。漢字のよみかたには音読み(中国読み)と訓読み(日本語読み)がある。漢字の熟語は音音読み、訓訓読みとそろえてよむものである。音訓読みの、かん+ぬき、ではおかしい。かん+ばつ、の音音読みだ。完成は、かんなり、ではなく、かんせい。完走は、かんはしり、ではなく、かんそう、だ。
ウェブ雑誌の記事にも、かんぬき、ということばをつかうライターがでてきたので、とても気になっている。
かんぬき、ではなく、かんばつ、だ。
音訓を混ぜるのは重箱読みなんて聞いたことがあります。皆が使っていれば、本来の読み方や意味など何でも構わないのでしょう。
関係ありませんが、生きざまなんて言葉も妙に感じます。竹下元総理が当時「わたしの生きざまが…」などと答弁している頃から流行った気がします。戦前の古い本でも見たことがありますから、意外に古い言葉なのかもしれません。
ことばはつかう人、時代によって変わってゆくものですが、かんぬき、は間抜けすぎます。
今はツィーターなどで、だれでも発信できるためにこんなことがおこります。個人ならば良いのですが、ネット雑誌のライターがこのことばを使って、編集者もそのままとしていることに、危機感をかんじました。