巡礼の旅(お遍路&スペイン サンティアゴデコンポステーラ馬巡礼)

当初四国遍路にフォーカスしていましたが、今後巡礼に範囲を広げました。

滋賀丸遭難碑

2010年11月12日 | 旅行

室戸岬に近くなった頃に海岸に大きな慰霊碑がありました。 慰霊碑の説明は道路山側にあり、碑は波打ち際。 みると昭和14年、もう戦争も終局に入ったこの時期にこの海で700トンの小さな船がアメリカの潜水艦に攻撃されて幼児を含む39人が亡くなった慰霊碑でした。 



今日は台風の影響もあるのでしょうが、波があらく、白波を立てています。 当時どのような気象条件だったか不明ですが、こんな荒海に投げ出されたら浪打際でも助からないでしょう。 




気になって調べてみるとアメリカの海軍の記録と高知新聞の記事がヒットしました。 しかし同じ記録なのに、アメリカの海軍記録だと攻撃後潜水艦は反撃を避けて逃げ回ったと書いてあるのに対して、高知新聞のインタビューでは同じ艦長が反撃はなかったと書いています。 戦時中の記憶というものは、こんな点でも分からなくなるですね。 でも武力での解決にはなんの責任もない尊い命をなくす事だけは確かです。 慰霊碑まで降りてしばしお祈りをしてきました。

http://www.history.navy.mil/danfs/p9/pompon.htm

On 30 May she contacted a 742 ton cargo ship off Muroto Zaki. A submerged attack resulted in a hit directly under the rising sun flag amidships, breaking the ship in two. The Shiga Mara immediately sank. For the next seven hours Pompon was the target for five Japanese escorts and a portion of the air force, but she managed to crawl away from the scene at deep submergence.

高知新聞記事
http://www.kochinet.ed.jp/muroto-c/tikikyouzai/sisekibunka/sigamaru/kousinn1/kousinn1.htm
艦長のインタビュー
沈没後は?
 「すぐ逃げた。南西へ逃げて深く潜った。反撃はなかった。
 滋賀丸にのっていた多くの民間人が死んだが。・・・
 「民間人とは全然知らなかった。こいうことは二度と起こってはいけない。二度と繰り返してはいけない もう二度と不幸な時代が来ないように、私は祈る。」



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