巡礼の旅(お遍路&スペイン サンティアゴデコンポステーラ馬巡礼)

当初四国遍路にフォーカスしていましたが、今後巡礼に範囲を広げました。

鬼無駅から83番一宮寺

2011年08月29日 | 日記

 いつもの夜行バスで高松の駅で降りて、ここから電車で鬼無駅に向かいます。 空は快晴で暑い初夏です。 鬼無駅は無人駅、駅前を歩き出してお遍路マークを探します。 あったあった。 これでお遍路ルートに乗れました。 鬼無駅直ぐに小さなお堂があり、お地蔵さんが祭ってありました。 道の辻にもお地蔵さんがあり季節の花が活けてあります。 

道は迷いやすいとガイドブックにありましたが、確かに本当にわからない。 道に居る人に聞きながら一宮寺を目指します。 それでも何度も間違いました。 川を渡って工業専門学校を抜けて自動車道を潜ったあたりで又間違えてちょっといらいら。 市内に入ると遍路路を辿るのは難しくなります。 やっとのことでたどり着いた一宮寺。 ここは隣にある田村神社の別当寺です。山門を抜けて本堂に行くとそこにはなじみのある小さな地蔵さんが並んでいました。

 確か77番道隆寺山門前でハンディキャップある息子さんが作ったものなので受け取ってくださいと言われて頂いたお地蔵さんがここには約1ダース並んで鎮座されていました。

 

 本堂と大師堂をお参りしてから定番の楽しみ、ここのお寺は薬師如来さんを祭った小さな祠に頭を入れると、地獄の音がごうごうと聞こえるそうです。 確かに入れてみるとごーーーという音がします。ここの言い伝えでは「この寺には地獄の釜の煮えたぎる音がする祠があって悪いことをした人が、 この中に頭を入れると扉が閉まって抜けなくなる」 幸い私は音は聞こえましたが抜けなくなることはありませんでした。 

後で調べてみたら種明かしがあり、伏流水の音が響いているとか。 それにしてもどうやってそれを見つけたのでしょう。 山門を出るときに地面をみたらトンボが、コンクリート製のトンボが何匹も留まっていました。


区切り打ち最後 82番一宮寺から88番大窪寺 そして一番へのお礼参り

2011年08月22日 | 日記



7月10日から5日かけて最後のお遍路を歩いてきました。
夏に入り暑い日、幸運にも小雨の日と繰り返した天候に助けられて最後の大窪寺まで無事到着しました。 前半は高松市内のビジネスホテルに宿泊してその日歩けるところまで歩いては高松に琴電で戻るというスタイル、後半徳島に戻ってからは、記憶に残る宿泊地を選んでの旅になりました。


7月10日
8:00 高松駅到着
8:57 鬼無
10:50 一宮寺着 11:30出発
14:30 林道駅
30,388歩

7月11日
7:15 潟元駅
8:00 屋島寺 8:45出発
10:20 八栗寺
12:10 道の駅 牟礼
15:00 志度寺

7月12日
7:30 長尾寺 8:10出発
9:30 交流センター着 10:20出発
12:40 大窪寺奥の院着
13:10 大窪寺着
36,000歩

7月13日
6:30 大窪寺出発
9:30 犬墓大師堂
10:45 切幡寺着
13:30 十楽寺
14:00 安楽寺着
47,041歩

7月14日
7:30 安楽寺出発
8:20 地蔵寺
11:00 霊山寺
16:00 鯖大師(電車移動)


根香寺(ねごろじ)

2011年08月15日 | 日記

根香寺は、天台宗のお寺です。本尊は千手観音。お寺の縁起を調べると「弘仁年間(810~824年)、弘法大師空海がここを密教相応の地として、五智如来の色別によって、青峰・赤峰・黄峰・黒峰・白峰と名付けた。 その青峰に花蔵院を創建し、五大明王を祀った。その後、天長9年(832年)、空海の姪の子にあたる智証大師円珍が、市之瀬明神のお告げにより霊木をもって千手観音像を刻み、千手院を創建した。 両大師が創建した2院を総称して、根香寺としたあります。 一説には、千手観音を刻んだ木の根株が、香気を放っていたことから根が香る寺と、寺名になった」とお寺のホームページにあります。

山門を抜けて最初にびっくりするのが、一気に下る階段とその向こうに同じ高さで上がる階段です。 山門と本堂の間には深い谷がありその谷底まで一度降りて上がらないと本堂にお参りできません。 車遍路の人たちから悲鳴にも似た諦めともつかない声が上がりました。 階段には折からの雨で水が流れており、歩きづらいです。 本堂は回廊方式になっており、ご本尊は秘仏で、御開帳(一般公開)は33年に一度とか、そうだとすると私が拝んだのはなんだったかな?

回廊を回って大師堂に下り何とか屋根の下で般若心経を唱えて82番を打ち終わりました。 今回の区切り打ちはここで終了。 これから鬼無の駅までに降りて、JR四国で琴平まで行き明日午前中金比羅めぐりをして帰る予定です。 ところが気を許したのでしょう。ここで道を間違えてしまい降りた先は鬼無の駅ではなく、別格19番のある香西寺 高松の海側に下りてしまいました。 まったく180度違う場所です。 さすがにこれには参った。 雨で暗くて道標を辿る時に大きなミスをしたですね。 でも高松市内側に降りたので人里離れた場所に下りたではないと慰めつつ、雨に濡れたまま近くのJR四国の駅まで歩いていきました。



白峯寺から根香寺 雨の中の足尾大明神

2011年08月13日 | 日記

白峯寺からへんろ道を歩いていると、各丁ごとにお地蔵さんがあります。 雨に濡れて結構風情があります。 ただし道の石は濡れて滑りやすくなっていますから注意です。 

ほどなく足尾大明神に到着。 大明神なので神様なんでしょうが、南無大師遍照金剛の赤い旗が雨に濡れています。 仏教だの神道だの言いますが、結果元は同じなんでしょう。 この足尾大明神は、通称「足ばさん」と呼ばれ、足の病気をなそう神として有名だとか。
休憩所は鍵かかかっていては入れません。 屋根があるのでここで一休み。

雨に中あまり視界が利かず、道標を拾いながら歩いていくと広い駐車場みたいなところにでてきました。 向こうに見えるのが次の道標でしょう。 

こんなように霧の中道標を拾って歩いていくと根香寺の山門に到着。 自動車お遍路の人が居て、人間界に戻ってきたようです。


81番 白峰寺

2011年08月10日 | 日記


 白峰寺は昔からあったお寺に、讃岐に流刑された崇徳天皇の慰霊をするために建立された頓証寺が合体して現在の白峯寺になったということです。

ご詠歌は「霜さむく 露白妙の 寺のうち 御名を称ふる 法の声々」
となっています。
崇徳天皇は別に怨霊という内容で既にuploadしてありますので、ご参考にして下さい。

山門を入ると納経場がある本坊、本坊の前を左に曲がってまっすぐ進むと頓証寺があります。 

でもお遍路がお参りするご本尊と大師堂はここではなく頓証寺の額が掲げてある門を右に曲がり急な階段を登った上にあります。 ちょうどバス遍路と一緒になってしまったので、大師堂を先に参拝して本堂を後に参拝することにしました。 雨がかなり降っており、本堂前は屋根があるですが、大師堂は申し訳程度の屋根でなんとか濡れないようにしてお経をあげました。
バス遍路と入れ替わるようにして本堂でもお経をあげて、納経場に戻ります。 

途中頓証寺にも寄ろうか迷ったですが、この時はまだ崇徳上皇の怨霊についてあまり理解していなかったので、「崇徳上皇さんよ、天皇になりたくて暴れ周りみんなから嫌われた人生を何故おくったの?、悟りをひらけなかったのかな」と考えて軽く頭を下げてパスしました。 後日遍路から戻って色々調べると、崇徳上皇はなりたくて怨霊になったのではなく、みんなが伝説を勝手に作って怨霊に仕立てたみたいです。 崇徳上皇は讃岐の地で静かに、そして讃岐の人に嫌われず過ごした晩年だったようです。 次回白峰寺を訪れる事があれば、頓証寺を最初にお参りしましょう。