巡礼の旅(お遍路&スペイン サンティアゴデコンポステーラ馬巡礼)

当初四国遍路にフォーカスしていましたが、今後巡礼に範囲を広げました。

延命寺から伊予三島、三角寺、椿堂、そして雲辺寺麓の岡田まで-3

2011年06月30日 | 旅行

椿堂は四国番外霊場第14番になる常福寺で別名椿堂といわれています。 その名前の通り、境内には色々な椿がちょうど花を咲かせています。 これだけでも美しいお寺です。 

ご本尊は延命地蔵菩薩さんです。
お寺のホームページにある縁起では「 大同2年(807)邦治居士(ほうじきょし)なる人がこの地に庵を結び、地蔵尊を祀る。
弘仁6年(815)10月15日未明巡錫中の弘法大師がこの庵を訪れ、当時この地に熱病(インフルエンザ)が流行し住民の苦しめるのを知り、住民をこの庵に集めて手にせる杖を土にさして祈祷し、病を杖とともに土に封じて去る。後にこの杖より逆さなるも椿が芽を出し成長し、住民はこの椿を大師お杖椿として信仰の対象としてこの庵を「椿堂」と呼びこの地方の地名ともなりました。」とありました。


狭い境内には沢山の仏像があり、どこに参拝していのか迷ってしまいます。 最初に本堂でお線香をあげて、ご本尊の前にいくと、鐘がおいてあり「どうぞ使って下さい」とあります。 最近近くのお寺で読経会に参加しており、読経中の鐘のつき方を教わりましたので、ありがたくここで鐘を使わせていただきました。 

不動明王、観音様、大師堂と順番に参拝してから納経をお願いすると、穏やかな奥さんが出てこられました。 記念に携帯につけるストラップを購入しました。 振り返ってみると、三角寺で会った車参拝の四人の女性グループが丁度参拝していました。 一人は裸足で参拝しています。 それが印象に残っていました。 実は翌日雲辺寺でも朝お会いして、裸足の方から昨日椿堂で私があげた線香の燃えカスがバラの花を咲くように四方に広がっており、仏様と一緒に拝ませていただきましたと言われてびっくり。心をこめてお線香をあげるとそのようなことが起こるですね。

雲辺寺登り口にある岡田にある民宿は規模が小さく泊まれる人が限られています。 今日も満杯でこの民宿の紹介で、10キロほど離れた民宿を紹介してもらいました。 幸い岡田まで送迎していただけるとということでこちら白地荘に宿泊しました。 ここもよかったです。 夕食のメニューです。 食べきれない程の食事、そしてコーヒーが美味しかった。

 


延命寺から伊予三島、三角寺、椿堂、そして雲辺寺麓の岡田まで-3

2011年06月28日 | 旅行

 三角寺を出て道なりに点在するを抜けていくと、突然奥の院の標識がありました。 でもここから結構奥深そう、距離も長そうなので今回はパス。


ここからの道は愛媛と香川の県境、愛媛の人の優しさでしょうか、ユニークな休憩場が続いてありました。 休憩場ってあるエリアには2時間単位であり、ないところは二日ぐらいまったく何もなしという事があります。 最初がゆらぎ休憩所、

ここ日差しをさえぎるだけなので通り過ぎました。 でもトイレも後ろ側にあり、このような休憩中を維持してください愛媛の方に感謝です。

程なく次の休憩所があり、おじさんがまぁ休んでいけと腰掛けていました。 よくよくみるとよく出来た人形です。 でもここにはポットと冷蔵庫に冷たいお茶が用意されており本当に一息つけました。 こんな所にも笑みが浮かぶ気持ちになる休憩場です。 

ここから程なくして椿堂着です。

 


三角寺納経場に掲げてあった標語

2011年06月26日 | 旅行

「あわててもいきつくところはみな同じ、のんびりゆこう」

納経場の方にお願いして撮らせてもらいました。 納経を急いで荒い言葉を投げかける人にこのポスターを示してわかってもらう為に貼っているそうです。 そうだよね。いるんですよそんな人。 私が感じたのは、88箇所のお寺を如何に早く回ることしか頭にない人がいるですね。 四国お遍路は、四国を歩きながら感じるものがあればそれでいいと考えています。 私の場合特にこれという思いもないまま徳島から歩き始め、幾つかのお寺で心ある言葉を頂き、次第に仏教に帰依するようになってきました。 そう最初は般若心経もつっかえながら読んでいたのですが、今は各納経場で写経を納め、観音さんがご本尊の時は、観音経を読んでおります。 ほかにも毎朝近くのお寺で行われている読経会に参加して、最近は木魚や鐘を担当させて頂いてます。 お遍路を歩きながら仏教というものを感じ、信仰するようになってきました。今となっては納経帖を完成させる事は大きな目的ではなく、四国を歩きながら仏教をより理解することに主眼がきました。 そうゆっくり歩いて四国を感じていきたいと考えています。


延命寺から伊予三島、三角寺、椿堂、そして雲辺寺麓の岡田まで-2

2011年06月24日 | 旅行

 

 戸川疎水公園から上りだすと、宇頭御燈という大きな石造りの塔がありました。 入母屋造りの屋根を持つ石灯籠です。常夜塔としてお遍路の足元を照らしていたそうです。 

これから畑の中に遍路路が入っていきます。 途中一度道を間違えましたが上に道路があることはわかっていたので、一気に急斜面を上って車道に出てみると、そこから直ぐに三角寺の参道にたどり着きました。 参道は急な石造りの階段の上にある仁王門の中央に梵鐘があり、ここで鐘をつきます。 お寺に着くと最初に山門で礼をして手を清めてから梵鐘を鳴らすのでですが、手を清めてからどうしても本堂に直行してしまいます。 その意味でここの梵鐘の場所は突き忘れがないので助かります。 

 

本堂の右奥に大師堂があり、ここでお参りしてから皆さん仁王門横にある納経場で納経して、椿堂への道を急ぎます。 

 

??? なんで三角寺というのでしょうか? 三角寺には護摩壇があります。 普通は四角の護摩壇が普通なのですが、より強い力を持つのが三角形なんだそうです。 それが本堂と納経場の間にある小さな池に名残が残っています。 またそれを示す大きな石柱があります。 ここはしっかり三角護摩壇を目に焼き付けていくことにしました。 愛媛から香川に入るにつれて、お遍路道もすこし趣が変わってきたように思えます。(数日中にアップロードしますが、怨霊、そしてその怨霊を押さえる護摩壇と密教の神秘的な面が現れてきます)

 



前神寺、三角寺とともに護摩壇を持ち、それも三角寺ではより力の強い三角護摩壇になりました。 次は何があるのでしょうか


延命寺から伊予三島、三角寺、椿堂、そして雲辺寺麓の岡田まで -1

2011年06月22日 | 旅行

朝旅館の朝食が終わって直ぐに出発します。 今日もそこそこの長い距離を歩くことになっています。 松山自動車道を右手にみながら伊予三島に向かいます。 歩き出して2時間ほどで後ろから来たメンバーが追い越していきます。 皆さん私より年上(70歳台かな)ですが達者です。 私は寄り道が多いですね。 最初に現れたのが石床大師堂 ひよけ大師というのだそうです。 休憩を兼ねてお線香をあげてお線香が燃え尽きるまでの時間を使って般若心経をあげてから休憩します。 札所と違い火の用心にはより気を使いますので、出発時には燃え残った線香は消します。 出来たら折角火をつけた線香を消したくないので、折れたちびた線香を使います。

通りすがりの道端にあるお地蔵さんに歩きながら手を合わせていきましょう。

伊予三島までくると、遍路別れという場所から市内を外れて松山自動車を潜ってそろそろ人里を離れ始めます。 ここにあったのが「真念ゆかりの遍路路しるべ」の案内でした。 遍路の祖、真念さんゆかりの庵足摺岬にいく途中にあります。 そちらのほうが有名ですが、真念さんは江戸時代に四国全路に道しるべをつくり、江戸時代の遍路ブームを作り出した方です。 その真念さんの道しるべがここにもありました。

そうこうしているうちに、疎水記念公園(戸川公園)に到着。 ここから三角寺へ登りになります。 一休みします。