巡礼の旅(お遍路&スペイン サンティアゴデコンポステーラ馬巡礼)

当初四国遍路にフォーカスしていましたが、今後巡礼に範囲を広げました。

85番 八栗寺

2011年12月26日 | 旅行

八栗寺にはケーブルが登っていますが、そこは歩き遍路ですからケーブル横の道をひたすら登っていきます。 この道はお寺の車も登るみたいで、舗装されています。 道々に仏像がまつってあります。

八栗寺の由来は「大師は唐へ留学する前に、仏教を学ぶ念願が叶うかということで8個の焼き栗を植えました。無事帰国し、再び訪れると、焼き栗から芽吹いていました。これが八栗寺の由来です。 高知の岩本寺にも三度栗の伝説があり、栗のお蔭に昔の人は頼ったでしょうね。


お寺の後ろに聳え立つ五剣山の頂の一つは江戸時代の地震で崩れてしまい、その中にあった奥の院は危険で登れなくなりました。 雨が結構降っており、本堂屋根の下で雨宿りをしながらお経を唱えます。


本堂の隣というか納経場の横手にあるのが「八栗の聖天さん」です。 納経所横の入り口から入って納経所裏手の廊下を通り抜けて聖天さんにもお参りにいきます。 別名歓喜天ともインドで広く信じられているガネーシャ(象の鼻を持つ神様)が仏教の世界で生まれ変わったものです。 お堂の中しばしガネーシャへのお祈りをしました。

納経してからふっと思い出しました。 大師堂に行っていない。
登ってくると本堂、そして「聖天さん」と納経場があるので、ここで終わった感じになるのでしょうか。 この先志度寺に向かう遍路道に大師堂はあります。 納経してから大師堂でお参りしました。

そうそうここには四国88箇所の石佛があります。是非お立ち寄りください。


洲崎寺 遍路の父 真念上人のお墓です。

2011年12月25日 | 旅行

屋島寺を下って人里に入ると、州崎寺の角を回りこむように遍路サインに導かれていきます。 源平合戦の時に義経の身代わりになって戦死した佐藤継信の亡骸をここに運んだという言い伝えがあります。 奥には遍路の父 真念上人のお墓があり、このお墓を左回りに回ると四国88箇所のお砂ふみが出来るようになっています。

 

以前は他のお寺にあったものをこちらに移して整備したとのこと。 歩き遍路ですとこのようなお寺に立ち寄って遍路の歴史を学べる利点があります。


2011年12月20日 高野山御廟に四国お遍路を結願のご報告をしました。

2011年12月23日 | 旅行


しばらく更新をサボっていました。 なにか大窪寺までたどり着いたら書く意欲がなくなってしまい、更新する気になりませんでした。
12月19日に麓の慈尊院から古来もっともよく使われた参拝の道、町石道を登り、翌日高野山御廟に行ってきました。 当日は朝から雪が降る天気で高野山御廟もうっすらと雪化粧しており、神秘的な雰囲気のなか参拝してきました。 では以前のところから屋島寺から大窪寺、そして1番への霊山寺、最後に高野山御廟と気を取り直して再開です。

屋島寺の山門を出て直ぐにあるのが「血の池」です。 源平合戦の刀をここで洗い、水が血に染まったという恐ろしい言い伝えのある池です。 雨の中で更に恐ろしい感じになっています。

 廃墟となったホテルの前を通り過ぎて出会ったのが車専用道を横切る遍路路の看板です。 確かに見通しも悪いので注意しないといけません。 でも本当は注意して貰いたかったのは車のほうかなと考えましたが、それは立場の違いです。 怪我をしては損です。

ここから源平合戦で亡くなった人の墓が次から次へと出てきます。 その中で意外と思ったのが幼くして乳母か母の手に抱かれて入水した安徳天皇の社です。 天皇陵と言えばそれなりの大きさがあるのですが、小さな社で源平の戦いに巻き込まれて幼く死んでいった安徳天皇の哀れさがひしひしと感じられる社でした。

他にも身代わりになった人々の墓が続く源平合戦の跡地でした。