山の中をたどっている道に場違いな風景が急に出てきました。 ゴルフ場です。 こんな山の中でゴルフ、何が楽しいでしょう?? そんなゴルフ場を抜け切ったところに急に前が開けます。 そこが神田地蔵堂です。 向いに小さいながらも集落が見えた南側が開けた高台にこの地蔵堂はあります。 気持ちいい場所でここでお昼とハイキングガイドにありますが、その通りの場所です。これで「こうだ」と読みます。ここは横笛が高野山で修行をした滝口入道を待った所とも伝えられています。
地蔵堂にはお地蔵さんがおられますが、鍵がかかっていて中に入る事はできませんでした。
慈尊院の本堂を左回りにある行くと丹生官省符神社に登る長い階段があります。 ここを登っていく途中に180番目の町石柱があります。 ここが町石道の始まりになります。
上りついた上には3つの社からなる神社があります。 これが丹生官省符神社です。 お参りしてからご朱印をいただくために社務所にあるベルを鳴らしたところ、反対側から神主さんが現れました。 そしてお朱印を書いていただいた後に以下に書いてあるようなことを説明してくれました。
丹生官省符神社ホームページ http://www16.ocn.ne.jp/~niujinja/
丹生官省符神社は弘仁七年(816)弘法大師によって創建された社です。 弘法大師が真言密教修法の道場の根本地を求めて各地を探していた時にここで一人の猟師に出会い高野という山上の霊地のあることを教えられました。猟師は従えていた白・黒二頭の犬を放たれ空海を高野山へと導かれました。 高野山の大伽藍のあるところに行くと、そこの松に中国から投げた法具があり、ここを聖地と決めたという逸話からきてます。
この山は狩場明神を祀って神社を造ったが明治維新の神仏分離令により多くの建物は取り除かれ、三棟(国指定重要文化財)が往年の姿をとどめ今日に至っています。
そこで神主さんが言われたことは昔は神さんも仏さんも区別は無く、みんなの心の拠り所として神社もお寺もあったです。神仏分離令でここも四つのお社が無くなってしまって、今は三つしかないけど本当は七つなんです。 心の拠り所をなるように今頑張っていますというお話でした。
そしてもう一つあった話が「高野山奥の院の遙拝所」です。 社の左側から見える山、あれが高野山の奥の院です。 ここから遙拝するんです。 遠く霞んだ先に見えるところまで今日行くのかと思うと人間の足は凄いと思ってしまいます。