サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

「定年まであと何年」という計算は止めたほうがよいかもしれません

2016年11月29日 20時10分15秒 | キャリア開発
 ビジネス環境が厳しくなる中、「怒りたい場面」「諦めたくなる場面」が多くなっておりますね。例えば、部員を指導したつもりでも、相手にとって、それが指導とは思えず嫌がらせと感じれば、パワハラが成立します。そうすると、指導する側も面倒になって、部員の育成をしなくなる。「親にも怒られたことがない」のがニュースになるのは極端な例かと思ったら、案外どこにでもある話らしいですね。指導も気をつけて行わないと。
 指導の際は、「怒らずに辛抱強く取り組むしかない」と思ってきた私ですが、どうもこれもうまくいかないと思うようになってきました。基本は、「人を見て法を説け」は、そのとおりなのですが、「人を見る」ということの難しさ。仕事ができる人は、とくに要注意だと思います。なぜならば、もうお分かりのように、自分が仕事ができるものだから、どこかで自分と比較する。そして、どうしても仕事というフィルターでしか人をみない。いや、見られないのかもしれません。また、部員を見る場合、確かに自分の言うことを忠実に聞いて、それを達成できる部員は、頼もしいものです。そう言うフィルターで人事考課をするのはまだ「仕方がない」の部類に入りますが、こういう上司は、「仕事だけで人をみるリスク」を考えておかないといけません。順調に仕事ができて来た人は、ここに鈍感な人がいる。そして、自分を助けてくれる有能な部員がいると、ますますその鈍感さに拍車がかかる場合があります。 
 「相手の立場になって考える」というのは、仕事をする上で基本ですが、仕事が出来る人が、ここを軽視していると、ある立場になって躓く。しかし、「相手の立場になって考えない」で、(こんな言い方をするのは大変失礼なのですが) 仕事を言い加減に行う人。これは困った存在と思われてしまいます。「自分は、そうじゃない」と思っているかもしれませんが、本当にそうだろうかと自戒するようにしています。
これ以上のことは申しますまい。「定年まであと何年」という計算は止めたほうがよいかもしれません。多分、その数字が減少するたびに、働く意欲が減退して「実は、困った人に」に近づいていくでしょうから。それでも、高度成長の時代なら裕福な年金生活が待っていましたが、これからは違います。「あと何年で定年」の気持ちを払拭して、世の中に、顧客に、会社に、仲間に貢献できるか。この気持が大事なのはいうまてもありません。それがわが身を守る術かと思います。


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