サロン・風変わりな人材開発の宴 

人の育成について、色々な視点から書いていきます。これは、体験記であると同時に、次の人材開発施策に対するトライアルです。

「同情するなら、職をくれ」 から思うこと。

2017年03月19日 07時16分49秒 | キャリア開発
いわゆる期の変わり目。自らの意志に反して、会社を去っていく人たちがいると思います。

ある人から聞いた話です。

退職される方が、「長い間、お世話になりました。今月末をもって退職いたします」とご挨拶されました。それを受けた人は、こう応えたそうです。
「それは、大変、お疲れさまでした。残念です。もっと一緒にお仕事したかったのですが」と言ったところ、、、、。

「同情するなら、職をくれ」と半分ジョーク、半分口惜しさがにじみ出ていたとのこと。

「同情するなら金をくれ」と言うセリフは、昔のドラマにあった名セリフ。退職される方の言葉は、ここからとってきたものですが、このとき、受けた方はリアクションできなかったそうです。

人手不足。しかし、仕事が見つからない。この現象は、おそらく初めての現象ではないかと思います。働き口はあるのに、本人としては希望ではないということでしょう。企業側もスペックを挙げていると思います。

この評価は難しいですね。「働けるならなんでもよい」ではなくなったのです。
昔の日本、東京オリンピックの頃まではそうだったと聞いているのですが、つまり。「中学卒は金の卵」と言われた時代です。地方の中学校を出で集団就職で東京に来て働く。どういう会社かもわからない。そこで頑張る。そういう時代でした。

これは「良い悪い」では語れません。では、どうしてこうなったのか。

仮説ですが、仕事が細分化されている中で、自分ができる仕事の範囲が限られたということはあるのではないかと思います。一方で、人件費高騰のわりには、高い付加価値が見込めないという雇い側の論理はあると思います。「それなら、外国の低賃金の国で」でということてすよね。

最近、感じます。働いている人に、本当に付加価値を求めているのだろうか。
人に投資しても回収できない。人材開発しても効果がない。それならやらなくてよいという考え方。
安い賃金の国に仕事を降って日本人を切る。いくらそれをグローバルなビジネスといったところで、
「なにいってんだよ。かっこつけんなよ」と言いたくなります。
米国大統領の主張は、国民に思いのある言葉なのかもしれません。



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