24日の日記で、出征した中村先生、そして夏子先生の胸についている名札の住所が現実的でないという話を書きました。その日記を読んだ松本市在住の知人から、「陽子の胸には松本市南深志とあるけど、それもブログに書くの?」と電話がありました。
実は、松本市制施行以前には「南深志町」という町名がありました、江戸時代からの旧町名でいうと本町、博労町、伊勢町、中町、飯田町、小池町、宮村町です。現在でいうと松本城の南側、中央1・2丁目、深志1・2丁目あたりになるでしょう。この地域が戦時中に「南深志」と呼ばれていたか定かではなかったので、ブログには書かなかったのです。
しかし、陽子が嫁いで以後、「丸庵」はどこにあったのか――。これは大きな関心事でした。「丸庵」の住所は、松本市南深志1丁目92番・・・もちろん架空の地名ですし、「丸庵」はすべてセット撮影なので、場所を特定することはできませんが、今日、ヒントを得ました。
これまでの放送で、「丸庵」の位置を推測できるのは背景の北アルプスのカットです。
実は「丸庵」後方から見た北アルプスと松本城の背後の北アルプスが、ほぼ同じ形に見えるのです。北アルプスの形は見る場所によって姿かたちを変えますから、ここまで似ているとなると、松本城と「丸庵」はほぼ直線上にあるのではないか・・・。
そこで、今日の1シーン。終戦の夜、表に飛び出した陽子。その奥を路面電車が走っています(画面右から左へ)。当時、松本で走っていた路面電車は松本電鉄。現在の松本駅前から駅前大通りを経由し、秀峰中等学校の交差点を左折して浅間温泉に至ります。背景の北アルプスを考えれば、路面電車が走っているのは北から南。「丸庵」は、その東にあることになります。
以上の状況から、「丸庵」は現在の清水、あるいは県にあった(あくまでも地理上の推測ですが^^;) と思うのですが・・・そうすると「松本市南深志」の住居表示も、ちょっとおかしいですね。
松本駅が火事になるシーンがあります。
そこから推測するとかなり松本駅が近いということがわかるかと思います。
そうすると、清水や県では無いかと思います。
中央か深志ではないでしょうか?