KISSYのひとりごと

日々感じたこと、ドライブ日記やDVDのレビューなど…徒然なるままに綴っています。

木曽義仲が征夷大将軍となった日

2016-02-24 19:06:24 | 日記・雑感

 源氏で征夷大将軍といえば、鎌倉幕府を開いた源頼朝が有名ですが、その頼朝が征夷大将軍に任ぜられる8年前に源氏の武将(?)が征夷大将軍に任ぜられていたことを初めて知りました。木曽義仲です。頼朝が征夷大将軍に任ぜられたのは「1192(イイクニ)つくろう鎌倉幕府」の語呂合わせでも有名な1192年、一方の義仲は1184年です。頼朝より先に入京した義仲でしたが、最後は頼朝軍に討たれてしまいます。今日は、その木曽義仲が「征夷大将軍」に任ぜられた日とされています。

長野県上田市にある「木曽義仲挙兵の地」の碑
今日は風が冷たかった・・・

 「鎮東将軍」「征夷将軍」「征東大使」「征東将軍」・・・など呼称はさまざまなのですが、時の朝廷が「東国」を支配するために、あるいは「東国」の脅威を抑えるために組織した軍隊のトップが「征夷大将軍」です。極端な話ですが「○○師団長」「○○方面軍司令官」・・・といったところでしょうか。

 中国では南の異民族を「南蛮(なんばん)」、北の異民族を「北狄(ほくてき)」とよんでいました。これは中学校の歴史でも習いますね。さらに西の異民族は「西戎(せいじゅう)、東の異民族は「東夷(とうい)」とよびました。こちらの2つは学校で習った記憶がないのですが、邪馬台国についての記述があるのが「魏志倭人伝」のなかの「東夷伝」ですから、「東夷」という言葉は比較的馴染みがあるかもしれません。この東の異民族「東夷」に抗する部隊が「征夷軍」、その大将が「征夷大将軍」です。

 さて、中学校の歴史だと、征夷大将軍として最初に名前が出てくるのが坂上田村麻呂です。教科書では「蝦夷(えみし)」を討伐する」軍隊の総大将ということなのですが、「東夷」に抗するという点では、彼が征夷大将軍になるおよそ100年前から征夷大将軍に位置づけられる官職は存在していたようです。「万葉集」を編纂したとされる大伴家持も「征夷大将軍」(正確には征東将軍)だったのですね。「歌人というよりも武人であった」という説もあるとのこと。これにもびっくりです。

 このような「限定的」な役職だった「征夷大将軍」が「武家の棟梁」になっていくあたりの歴史は、これからの宿題です^^

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