goo blog サービス終了のお知らせ 

皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

人口減少社会の進み方

2022-05-12 23:33:32 | 物と人の流れ

田舎暮らしには欠かせない自家用車。維持費を考えると一家に一台が経済的だが御多分に漏れず、夫婦でそれぞれ所有している。贅沢かもしれないが、手放す決断もおいそれとはできない。生活の自由度が下がってしまうことに抵抗があるのだろう。
半年に一度の点検が長期所有にとってメリットがあるのか、それともさほど必要ない点検をしているのか判断しかねるが近年の自動車販売においては「点検パック」に購入時に誘導させられる。当然安全性に関しては担保されるが(その確率が上がるだけ)費用対効果については長期的に考えると疑問符もつく。必要以上な点検になっていないか判断できないからだ。「保険の見直し」が流行りで余計な出費を押さえましょうが叫ばれるが、国産車についても同じことが言えないだろうか。ただし安全にも費用が懸かるのは事実。

半年先には車検となるため、その事前申し込みを迫られる(任意だけど)。近年自動車ディーラーも週休二日制が導入されているため、営業日の混雑が顕著になっているらしい。以前であれば平日ならそれほど混むことはなかったが、限られた設備を週五日しか稼働していないため、車検整備が顧客の希望日時にできないことも出ているらしい。だから半年先でも仮でもいいいので予約をいれてくださいと営業を受ける。今は書面記入ではなく、アプリによるネット予約になるので言われるがままに入力すれば終わり。約半年先の一日の予定が埋まってしまった。
他社への切り替えをふぜぐと同時に、自社の営業日の稼働率がかなり事前に埋まるわけだからそれこそうまい(美味しい)仕組みだ。
一方顧客はどうか。煩雑さが払拭できる一方、他社との価格対比ができなくなり(やらなくなり)タイヤ履き替えなどやや高いかなと思う反面申し込みしてしまうの異だった。
必要なサービスが来店すればすぐに受けられる時代はすでに終わっている。例え来店してもインターネットを介さなければサービスがすぐに受けられない時代にはいっているのだ。アプリやネット環境から逃げられない社会。便利なのか思考力や判断力が削がれるのか。
すべてはその人次第の世の中になったのだろう。

玉ねぎ、筍のある日常

2022-05-11 23:53:04 | 生活

冬の間に蒔いた玉ねぎ。程々大きくなりましたので少しずつ収穫し始めています。スーパーなどの店頭販売ではひとつ150円近くしますので貴重な収穫です。梅雨入り前にはじゃがいもも掘れるようです。






自宅裏の竹藪からは筍も出始めました。芽がでるのが遅い品種のようで、これから一雨ごとに地表から顔を覗かせるでしょう。

皐月とはもともと早苗月といって苗を育てる時期です。各農家も苗代の準備も程々終わっています。立夏、八十八夜と瞬く間に過ぎ梅雨入りも沖縄から始まっていきそうです。
土、竹、水、緑、風、苗
身近にある自然の生気に触れ、今日、明日、明後日と日常は続きます。


徒然なるままに

2022-05-10 22:36:13 | 先人の教えに導かれ

つれづれなるままに、日ぐらし、硯にむかいて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ(序段)
訳 暇に任せて心に浮かんでは消えて行く、何でもないようなことを何となくかいえているとだんだん自分の頭がおかしくなっていくような気分になる。
著者である吉田兼好は和漢の古典の影響を大きく受けていたそうです。清少納言の「枕草子」鴨長明「方丈記」とならぶ随筆文学の最高傑作といわれる
「徒然草」のなかで兼好が伝えようとしたことはなんだったのでしょうか。
あらゆる縁を捨て去れ
世論に流されるな
知ったような気になるな
不安にさいなまれるな
本当のことを見極めろ
兼好は人の本質を見極めていたそうです。見たことを見たままに伝える。自分が狂っているのか、世の中が腐っているのか自問しながら自分がみたままを語ったといいます。

生きていく上で知識は役に立ちます。そしてその知識のおかげで過ちを犯す。それは今も昔も同じだそうです。今の世界情勢が歴史となってまた未来へと語り継いでいくでしょう。歴史は繰り返す。
大切なのは見識だそうです
「見識」とは物事に帯する判断とそれに対する考え。客観的な事実より主観的な己の行動こそが大事であるといいます。第三者ではない。自分自身の判断。考え、生きざま。だから悩み「あやしうこそものぐるおしけれ」となるのです。
次から次へと浮かんでくるどうでもいいことにたいして書き繕うばかりではなく、自ら考え判断すること。
すなわち自らいきることではないでしょうか。
知ったふりしてなにもしないまま最後の時を迎えることに意味はない。悩みもがき苦しみ叫ぶ。
徒然草とはなばかりの現世に繋がる思想書。それが
「徒然草」