今年の春の旅路に選んだのは、奥州岩手県でした。花巻温泉に一泊し、宮沢賢治の世界に触れ、鋭気を養い向かったのは、世界遺産である中尊寺です。
藤原清衡は今から九百年近く前に、岩手県の平泉を本拠地として、みちのくに栄華を築いたとされています。
その象徴である金色堂は、文字通り金箔をはりつめた輝くお堂で、阿弥陀如来を本尊とし、仏様が立つ壇の下には藤原清衡、基衡、秀衡の3代の遺体が納められています。
奥州藤原氏の礎を築いたとされる藤原清衡の生涯を少しだけ追ってみました。
藤原清衡が生まれたのは西暦1056年。前九年合戦という12年も続いた戦の最中でした。父は藤原経清。源氏に背いて蝦夷(原住民)に味方し、逆賊の汚名を被って打ち首にされたといわれています。源頼義は首を討つ際、ただでは殺さず、こぼれた刃で首を打たせたと伝えられています。康平五年(1062)の秋のこと。この時清衡は6歳。まだ何も知らぬ子供でありました。
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