昨年末に始まった中世城郭跡としての皿尾城遺構調査。今日四日目を迎え、おおよその発掘調査が終わりました。高鳥邦仁先生の著書「歴史周訪ヒストリア」に取り上げていただき、羽生城の出城として忍城と争い、幾度となく成田氏を退けた皿尾城。その物語に触れ、当地に住む世襲の神職として、夢中で市の文化財保護課の中島先生にお願いし、教育委員会審議会の議題にも取り上げていただき、こうして調査していただくことができました。
皿尾地区は治水が悪く地盤も柔らかいため、前の日に掘った場所はかなり浸水しています。
また神社裏手の堀と考えられる場所はかなり地盤が緩く、掘ってすぐに崩れてしまうようです。
堀の継続性など時間をかけて調査していただきました。結論につては述べられませんが、史跡としての調査をこちらからの提案で行田市にしていただいたことに本当に感謝しています。そして氏子の方はもとより今日まで地域を守ってきた先人に対して。何よりこうしたことに気づかせていただいた高鳥先生や、富田勝治先生に心から感謝しています。
神社裏手の土塁跡として見られる部分も、平城としての土塁としてよりむしろ神社境内整備の際利根川方面からの洪水を防ぐため積んだとみるほうが自然かもしれません。但し村の北端、忍城の戌亥鬼門として神社が重要な場所であったことは間違えありません。
今日までの調査結果は後日まとめていただけるそうですが、いずれにしても私がこの地の神職として郷土の歴史を伝え、祭祀を次の世代に継承すべく努力すべきことに変わりはありません。意外なところに歴史は眠っている。その息吹に触れたとき人は心動かされる。
皿尾城のこれからを守り伝えること。それが私に課せられた使命だと心に刻んでいます。
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