皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

日本聖公会 川越キリスト教会

2020-03-10 22:46:58 | 史跡をめぐり

聖公会はイギリス国教会を母体とするプロテスタント教派であるが、儀式や典礼など伝統行事を尊重する点に於いてローマカトリック教会に近く、キリスト教二大潮流を結ぶ役割を持つことから『ブリッヂチャーチ(橋渡しの教会)』とも呼ばれている。日本における関係機関としては立教大学や聖路加国際病院などが知られていて、福祉事業の分野においても広く社会いに貢献してきたという。世界中の信徒はプロテスタント最大の7千万人を数える。

教会のある松江町は唐の国松江に由来し、時の鐘から一区画離れた距離で、その建物のモダンさが際立っている。

川越教会の始まりは明治11年(1878)に横山錦柵、田井正一の両氏によって伝道活動が始まっている。明治22年(1889)には旧礼拝堂が建てられるが、明治26年(1893)の川越大火によって焼失。現在の場所に礼拝堂が建設されたのは大正10年(1921)のこと。今日見る煉瓦造りの聖堂としてよみがえっている。

祭壇を始め礼拝堂の内部はキリスト教伝統の建築設計になっており、堂内全般がノアの箱舟をイメージした構造になっている。この建物そのものが2001年国の登録有形文化財の指定を受けている。

総パイプ数347本を誇るパイプオルガンは1996年に奉献され、礼拝や儀礼に演奏されるという。

中世から近世にかけての宣教師の役割は大きく2つ。キリスト教の布教活動と、植民地化への布石、情報収集とされる。日本史においては徳川幕府の鎖国政策により、他国ほどの影響を受けなかったが、世界史においては先鋭隊として現地の情報を本国に送り植民地化へ大いにその役割を果たしたという。

史実は史実として学ぶ一方、現在の教会における社会奉仕活動や文化的活動は、真の多様性に根付いた意味ある活動の様に感じた。少なくとも非常に観光化した川越の町を歩きながらそう感じていた。観光化へ偏重しすぎた宗教施設は経済的に潤ったとしてもいづれその役割を失っていくだろう。

寺院や教会、神社それぞれが本来の姿をまず大事に受け継いでいくべきだと思う。


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