皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

中江袋 剣神社

2019-10-17 21:03:31 | 神社と歴史 忍領行田

 行田市南河原は『平家物語』巻九「二度のかけ事」に登場する河原兄弟が領有する土地として知られ、北河原を弟盛直、南河原を兄高直が納めていたという。河原兄弟は源平合戦の生田の森の先陣を務めた東国の武者として描かれ、兄が矢で射貫かれた際、弟も其の身を挺して兄に寄り添った様子が剛の者としてしられたとして詳しく書かれている。

 当地は南河原の区内でも最も南側に位置し、星川を挟んで池守地区に接している。古くから発達した場所で、水田稲作の遺構も見られるという。行田市内には持田地区に剣神社があり、日本武尊の伝承を伝えるが、神社勧請の由来については不詳である。

石碑によれば御祭神は素戔嗚尊で天神社、稲荷社が合祀されている。平成八年に建立された現在の社殿の前は、天保三年(1833)に再建された社殿が残っていたという。150年近くその姿を伝えていたことになる。

当地は忍城主成田家の家人であった中条丹後が忍城落城後当村に住み、姓を江袋と改めて代々名主を務めていたという。この江袋家とかかわりが窺える寛延二年(1750)の同家名を刻む宇賀神の石碑が残っている。(向かって左二番目)

戦前まで七月に「ないどー」と呼ばれる厄神除けの行事があった。大数珠を持った子供が各家を「ナイドー、ナイドー」と唱えて疫神を払ったという。榛名講は嵐除けとして神札を配り、三峰講は十月に代参し帰ると新米を食べたという。現在こうした行事が継続しているかは不明である。

境内地に地区の第二集会場が建てられ、参道周辺も耕地が良く整備されている。過疎化が進む農村部ながら、こうした氏神様への信仰が強く残り、地区の整備の象徴的場所となっているようだ。


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