歳をとってきて身体と中身について違和感が出てきました。
自分の歴史を振り返って思い出してみると、まあ嬉しく楽しかった事よりも悲しく目を覆いたくなるような黒歴史もあったりとする訳です。
そして、それはいつも自分の中身についてなんです。外側の身体も変化していきますし例えば10代や20代の時のバネのある肉体や30代の筋肉が良い具合についていた時なども思い出そうと思えば思う出せますが、だから何?って感じで、どんな思いでも自分の中身で記憶しています。
*ここで言う中身とは、肉体に対して、自分の精神や魂とか想いとか。
多分、誰もが自分の過去を思い出すときは、余程の事が無い限り自分の外側ではなくて、中身を思い出すと思います。そして、振り返ると外側と中身とはどちらかと言うと若い頃は外側の身体を持て余していました。外側が若くて中身が先に進んでいる様な感じです。それが年齢を重ねて行くと、だんだん外側が中身に追いついてきて自分的にちょうどマッチしていた年齢は55歳前後だった様な気がします。その頃は、勿論若い頃と比較して体力は落ちているので肉体的には寂しくはありますが、外側と中身がちょうどいい具合にマッチし鏡に映る自分を見てもあまり違和感は有りませんでした。
そして今は、とても違和感があります。若い頃とは逆に感じています。つまり中身に対して外側が年老いています。世の先輩方に、「自分の精神年齢は今幾つくらいのままですか。」と質問すると大体40歳前後の答えが多い様に思います。「外側と中身がマッチしていたのは幾つくらいですか」と聞きたいですがとても変な質問の仕方になるので実際聞いたことはありません。でも実は一番知りたいところです。
私が思っている、人は中身と外側は別物だと考えると、「この身体もとうとう古ぼけて来たなあ」って事になりますが、そういう感覚の人がどれくらいのレベルでいるのかとても興味あります。この歳になってやっと「はっ」と気づくくらいですから、多分若い人はそんな感覚はまだ無いと思います。この感覚を例えていうと、好きなスポーツカーを買って毎日ワックスかけて街乗りして人目を引いて高速道路では加速も良くてスピードも出て最高の車に乗って気に入ってたけど、10年後くらいにエンジン含めあちこちに故障も出始め「維持費もかかるしこの車も手放そうかな」と考え始めているオーナーの気分。このスポーツカーの外側は人気俳優の木村拓哉さんとして、私の場合の外側を車にしたら日産サニーやトヨタカローラになる訳ですが。。。
神さんにも良く説明して聞いてみたら、同じような事を思っていた様でした。もし、外側と中身は実は別物理論は仏教などに言う輪廻転生になってしまうんでしょうが、世界には自分の過去生の事を覚えたまま産まれてきている子供も多いと聞くので私のこの感覚も案外と的を得ているようにも思えますが。因みに初孫君はおしゃべりは凄くするようになりましたが、この手の事は何も話さないので、2人目の孫くんがおしゃべり始める2年後に期待したいと思います。
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