サニテラの仲間達

退職を機に、自分は残りの人生で何をしたいのか心の声に耳をかたむけ山小屋生活を楽しみ、世界を歩く夢を実現したいと考えてます

第二の人生 地元友人との会食と気づいたこと

2023-11-29 07:30:00 | 人生について
地元の友人との久しぶりの会食。

地元の友人とは言っても、生まれ育った町の喫茶店で学生時代にアルバイトしていたというつながりで、社会人となって福岡市で仕事をしている(た)先輩や後輩です。私は仕事で福岡市から関東まで出てきたので福岡市も地元みたいなものなので、地元の友人と言っています。

私にとっては皆さん数年振りの再会です。そしてこのメンバーはみんなとても見た目が若い。上は今年64歳から下は60歳。若い頃と基本ほとんど変わっていない。とても不思議な感じですが、理由の一つはみんな頭髪が変わっていない事だと思います。白髪は少し出てきた人はいますが、基本的に染めてなくても真っ黒で薄くもなっていません。美容にも気を使っています。顔にシミも私以外は発見できません。聞くと自分でだったり病院で取ったといっていました。格好もとてもオシャレです。ファッション関係で働いていた先輩もいますが、みんな元々オシャレでしたし更に磨きがかかっているようです。私もとても刺激になりました。皆さんそれぞれ同級会などあってもその中で、とても若く見えて逆に浮いてしまうと言っていました。
まあ、それでも話す内容は昔のやんちゃだった頃の話、健康の事、人間ドック、年金の事。子供から孫の話と多分同世代の誰もが話す話題。それでも更に自分の趣味や旅行や女性の話まで広がるところが若さの秘訣かもしれません。

久しぶりの帰省だったので、地元市内の友人A夫婦と一緒にもお酒を飲みました。夫婦同士で酒を飲むのはそれこそ十数年振りだったのでとても懐かしくあっと言う時間でした。それでも友人は過去の話と苦労話が多くて、趣味や旅行、将来の夢などの明るい話に盛り上がりが欠けて少々残念でした。今も再雇用で働いていますが、奥様は最近は全く笑顔が無いとも言われていました。彼が将来退職してストレスから解放され、若い頃のようにいつもの笑顔が戻ってきて欲しいと心から思いました。

人間は、多分外側である肉体と内側である精神(魂・心)が合わさって人として機能していると思います。誰もが分かっているとは思いますが、若い頃は肉体も誰もが若く輝いているので気づきにくいですが、もしかしたら歳をとってくると、人の外側と内側は双方が影響しあっているのではないかと思うようになりました。神さん曰く、私の現役の最後の頃は友人A君みたいに私も笑顔が無くて暗くて心配していたと言います。自分ではそのつもりは無かったのですが、もしかしたら当時の私も身体と心のバランスが壊れていたのかもしれません。今の私はストレスフリーで内側が健康になったおかげだろうと思いますが、外側の身体も元に戻って元気になっています。

その仕組みに気づいた時に、外側の身体が壊れてしまってからでは既に遅いので、早いうちから自分の子供や孫には分かりやすく、それを教えておきたいものです。

第二の人生 法事の巻

2023-11-28 10:11:00 | 人生について
私の実家に法事に帰っていました。

法事とは、親戚を呼んで、坊さんにお経上げてもらって少しの説法を聞いて、食事をしてお土産ももらっての流れが通例だと思っていましたが、今回は私の提案で、親戚も呼ばず坊さんも呼ばず、家族のみで亡き人の話をしながら食事をして偲ぼうという意見を採用してもらいました。
お経はCDで流しながら久しぶりの兄弟妹で親父の話をして供養をしました。その後は豪勢な食事をしながら近況報告も出来て、これまでの型にはまった法事よりも良い法事が出来たと改めて感じました。

今回は老いに関しても深く考えました。
先日から義父に来てもらって一月ほど一緒に生活してみて、1年前と比べてもかなり老いてしまった義父が言った、「自分の中ではまだ40歳代のつもりだけど身体がついて行けない」との言葉に、ある意味当たり前の事かも知れませんが、90歳手前でも自分の本質である中身の部分が若いと言う気持ちなら、今までの行動のいくつかも納得出来ました。よろよろしながらしか歩けないのに、一人で急な階段に突進していって私らを慌てさせたり、孫一同からプレゼントされた杖も「自分にはまだ早い」と使いたがらない事も納得です。

私の実父は生前、とてもバイタリティー有り活動的で負けず嫌いでしたが、最後は痴呆も出てきて何にも興味を失いただその命をつないでいるだけにも見え、私も何か父にしてやれることは無いかと思いましたが、当時は現役で仕事に追われる毎日で実際何も出来なかったことが今でも心残りです。

私も今の時点で、自分の身体が頭で思うよりも実際が思ったほど動かなくなってきている事、鏡に映った自分の姿をみると知らない爺さんがいたりする事。自分の外と中が一致しずらくなってきたのが分かり、あと20年もすれば実父や義父のどちらかになるのかと思うと。。。いつまでも元気でパワフルでやる気満々な前向きな父であり、祖父であり、曽祖父でいたいものです。

第二の人生 我が家の年末年始

2023-11-20 07:30:00 | 日記
我が家の今年の年末年始の過ごし方について、考えています。

私の実家の年末年始の過ごし方は、私が幼いころから基本的には変わりがありませんでした。昔はどこの家庭も同じような過ごし方だったと思います。

年末の29日ごろから正月準備です。私達兄弟と父は、玄関に門松、床の間に2段重ねの大きな鏡餅、神棚、台所、鏡台、学習机に車に小さなお餅を飾って大掃除。母と妹はお節料理の準備。31日にはお節も出来上がって、家族そろって7時からのレコード大賞、9時からの紅白歌合戦、ゆく年くる年見ながら年越しそばを食べて。。。
正月元旦は朝はゆっくり起きてお雑煮、手作りのお節料理にお屠蘇をいただいて初詣(3社参り)に行ってました。正月のあいさつ回りには、どこの家に行くにも玄関を最初にくぐるのは男性に決まっていました。何故だか聞くと女性だと縁起が悪く常識だと教わりました。結局今もそうしています。2日は朝早く起きて朝風呂です。

うちは本家だったので迎える側でしたが、正月には叔父さん家族が大勢帰ってきてとても賑やかでした。母方の実家には2日に里帰りしていました。母方の叔父さんたちは長女の母が帰って来るのが2日だったので日程を合わせてくれていたと思います。1日から来て2日の昼過ぎまでいてくれていました。私達は2日の朝から行って3日に帰ってきていました。母方の実家の長男の奥さん(叔母さん)はその結果、3日の夕方から里帰りされていたようです。子供心に複雑な感情を感じていました。

さて、現在の私の家族です。
子供が小さい頃は、仕事納めが終わった足で九州まで帰省していました。帰れない時、我が家で年末年始を過ごすときは、小さな門松に鏡餅、お節料理は手作りで子供達も手伝わせて作り、紅白に行く年くる年見て、元旦は地元の神社2社と明治神宮へ3社参りして、次に洋服ブランドの福袋の買い物に付き合っていました。
流石に子供も結婚すると、我が家に里帰りしたいと言うので自然に私達夫婦は実家には帰れなくなりました。でも未婚の次女が居た昨年は帰省してくる長女家族も加わって賑やかに過ごしましたが、今度の年末年始は次女も結婚して旦那様の実家へ里帰りもあり、「とうとう夫婦二人にの年末年始になるのか。二人なら特に準備もせずお茶漬けやお餅ででもいいね」と話していたら、長女も次女も日帰りででも帰省したいと連絡がありました。

嬉しくもありますが、準備も大変です。
基本的にお節料理とお雑煮の準備はしなくちゃと考えていますが、沢山作っても残りを二人で食べないと捨てることになるので、少々困っています。正月前になると何でも値上がりして、かまぼこでも700円や1000円もする始末です。金時を作るにも栗も数個で1000円もしますから、今年は今月から少しずつ自分達で冷凍や瓶詰を作って準備しようかとしています。準備完了しているのは、まだ生の栗を甘く煮て瓶詰しただけです。

果たして正月まで待つでしょうか!

丹波の黒豆も買ったのでこれらは年末に作る予定です。これからは大きめの有頭エビでも冷凍して買っておこうと考えています。九州では正月は出世魚のブリを1匹食べる風習があります。我が家ではタラバガニも欠かせませんでした。ですが既にタラバカニは高くて手が出ませんし、刺身の冷凍は無理なのでブリは年末に半身だけでもと思いますが値段も高そうだと困っています。因みに関東での正月は何を食べてるんだろう?タコをよく見るのでタコなのでしょうけど。。。。




第二の人生 パーティーの巻

2023-11-18 10:23:00 | 日記
レオナルド・ディカプリオの49歳の誕生日パーティーのニュースが発信されていました。自宅で友人知人を招いてのパーティーだったようです。

私にも楽しかったパーティーの思い出があります。
1980年代にバックパックで海外を旅していた頃の思い出です。最初の国がオーストラリアにワーキングホリデービザで訪れました。そこでの話です。仲良くなったオージーのお姉さんから沢山のパーティーに誘われました。その多くは1軒家の自宅で色んな理由が付いたパーティーが催されていました。私もそのお姉さんの友人と言う事で参加していました。
そこで、今でもはっきり覚えているパーティーがあります。確か参加の条件はドレスアップだけだったと思いますが、勿論そんな服は持ち合わせていません。その時の仲間が私の為に自分の服を貸してくれました。その時はイケメン男性の誕生会で彼の大きな一軒家で2階建てでプールはなったと思いますが広い庭がって家の中も自由に使って良くて、2階の寝室は入室禁止との条件でした。

参加者は、日本人は私だけだったように思いますが、もしかしたら1人女性がいたかもしれません(記憶が混在してしまって)。出席者のほとんどが白人のドレスアップした若い男性女性。参加者は100人以上はいたと思います。まるでハリウッドの映画の世界の様でした。私も色んな人に紹介されてお酒を飲んでゲームして騒いで楽しい時間の思い出です。
家の庭に面した一角で、主催者に雇われたバーテンダーの数人がカクテルを数種類のみですが次から次に作っています。出席者は自分が飲みたい時に飲みたい分だけそこに行ってカクテルをもらってくるスタイル。おつまみは出席者が少しづつ持ち寄って家の中の一角のテーブルに置いていき、それをつまみながら話をしたり踊ったり恋の駆け引きが行われています。
私も日本に戻ったら、こんな楽しいパーティーなら自宅を開放して真似をしたいと思ったものですが、日本家屋造りで狭い家なのでとてもそんな真似は出来ませんでした。

さて、次女の結婚の話。
娘達はお金も持っていないので結婚式は行わず、新婚旅行は欧州にゆっくり行きたい派です。旦那様側の家族は従来のタイプの結婚式を開催したいと思っているようですが、うちには費用も形式も何も言われていないので待っている状態です。
私としては、どんな形になっても対応するつもりでいますが、娘達の思いを優先するにしても、写真だけは撮って欲しいと思っています。また先の海外でのパーティーの経験もあり結婚式場ではなく、どこか関東郊外の広々した場所での会費制パーティーでも良いのではないかとも思っていますがどんなもんなんでしょう。極端な話すれば、アジアのリゾート(タイやバリ島等)で式を行い出席者は両親のみで、娘達はそこからそのまま新婚旅行に行くと言うのも楽しそうだと思います。
昔ながらの結婚式を都内のそれなりの場所でそれなりの人数で開催した場合の費用対効果(思い出)を考えると、とてつもない無駄に思いますが花嫁の父親が話すべきでもなさそうで困ったものです。

 






第二の人生 義親子関係

2023-11-17 10:57:00 | 人生について
私の家に一月ほど義父が遊びに来ています。
昨年も約一月ほど滞在してくれました。

昨年と比べると1年で随分と足腰が弱くなってしまったようです。折角の山奥での非日常の生活を楽しんでもらおうと思っていたのですが、階段の上り下りもおぼつかない状況では、有名温泉でさえも入る事が出来ません。トイレもやっと使っているように見えます。頭はハッキリしているので話していても何も問題ないのですが、身体は本当に歳をとってしまっています。

私が神さんをもらいに行った時の義父の年齢が、今の私の年齢。当時の義父はまだ現役で目力が強くて馬力があった人でしたが、過ぎ去った年月は恐ろしく老化を進めてしまっています。私は結婚当時から義父母との関係を実父母と同じくらいにしたいと思っていましたが、努力不足のせいか未だに娘の旦那様と思われているようで少し寂しく思っています。実際、周りをみてもTVのドラマにでも出てくるような、義父母が実父母と変わらないようなずけずけと言いあうような家族は見たことないので、これが普通なのかもしれませんが。

私には娘しかいなくて、なので今の私と義父の関係は、将来の娘の旦那様と私の関係でもあります。私も今はどうしても娘の旦那は、娘を通しての旦那様という目で見ている事に気づきます。本来ならもっと近づいて(嫌がられない程度)一緒に旦那様の会社帰りにでも一杯行けたら最高なのですが、既に私も現役を退いているので、誘って奢ってやるだけの余裕も無いので、他の手段を考えなければいけません。手探り状態ですが、将来は私が理想とする義親子関係が築けたら最高なんですがね。