8歳の時に子役として、NHKの連続テレビ小説「瞳」に出演しました。私は榮倉(えいくら)奈々さんの里子を演じる森迫永依さんの友人役で、一緒に学校にダンス部をつくります。たくさんのすてきな大人の俳優さんに触れ合えた思い出深いドラマでした。
西田敏行さんは、楽屋に差し入れを持ってきて下さいました。主役クラスの方たちが食べる前だからと、遠慮していると、「いいから食べなよ、食べなよ」とすすめてくれました。トランプをして遊んでくださったことも。すごく優しい方でした。その演技を目にして、引き込まれました。子供ながらに、すごい人だな、と尊敬の気持ちをもったことを覚えています。
(EXILEの)MAKIDAIさんは、楽屋でよく遊んで下さいました。将来について相談すると、「やりたいことをやるのが一番。今は色々な経験を積み、大人になった時に必要なものと切り捨てるものを分けるといい。だけど、切り捨てたものには後悔しないようにね」とアドバイスして下さいました。だから、たくさんのことを経験しよう、と刺激を受けました。
だけど、私は何かを始めても、長続きしないタイプでした。
中1の時に、ミュージカル「ライオンキング」を見て感動しました。テレビは修正がきくけど、舞台は一発勝負。「すごい。私も舞台の俳優さんたちのようになりたい」と。ミュージカルに出演するため、プロの先生からマンツーマンの指導を受けました。だけど、当たり前ですが、簡単には思うようなレベルには到達できません。先生はすごく熱心で、発声や演技をしている姿までビデオに撮って、「家で振り返って」と渡してくれました。
ありがたいことでしたが、私には逆効果でした。できない自分、期待に応えられない自分がいやで、落ち込み、レッスンに行かなくなってしまいました。がんばれば舞台に立てる、と頭でわかっていても、そこでダメになるんです。それ以前に習ったバレエやジャズダンスも続きませんでした。
それでも、タップダンスや中学のバスケ部は続きました。タップダンスは姉と一緒だったので、楽しかったし、バスケ部は未経験で、ついていけない時期もあったのですが、同級生らが「一緒にやろうよ」と励ましてくれたので、やめずにすみました。1年生のみんなで体育館で練習したり、親友の部員に教わったりして、がんばり、バスケの試合でスタメンになりました。仲間と一緒だと支え合って、続けられるけど、自分と向き合うことは苦手なのかもしれません。
AKB48に入ったのは、中2の時でした。母が知らない間に応募をしていて、ある日、買い物に行くから、おしゃれして、と言われて、連れて行かれた先がオーディション会場でした。
AKB48は好きだったし、オーディションの雰囲気には慣れていたので、突然でも抵抗はありませんでしたが、もし、合格したらAKB48のメンバーになるのかもしれない、と思うと緊張しました。
13期生に合格しましたが、デビューする前にセレクション審査がありました。最初の合格者は33人でしたが、24人、16人としぼられていき、最後は10人になりました。仲のいい女の子も落ちてしまったので、悲しかったけど、彼女の分までがんばろう、と思いました。
研究生として公演の舞台に立つようになりました。ダンスの経験があったので、同期の中で最前列の立ち位置に選ばれました。劇場公演では、その頃、卒業された前田敦子さんが務めていたセンターポジションの代役をまかされ、「後継者」と呼ばれたことも。同期から「ゆいりーすごいね」。先輩たちもスタッフさんも歌やダンスをほめて下さいました。最初の公演の時には、チームAキャプテンの高橋みなみさんが「ダンス、うまいね」と声をかけてくださって、すごくうれしかったです。でも、私は天狗(てんぐ)になってしまいました。研究生よりも正規メンバーの中にいたほうが自分は輝ける、と勘違いしたほどでした。
ところが、経験の少ないメンバーも、公演を経験するたびに成長していきました。先輩たちのパフォーマンスを見て学び、だんだんとほめられている姿を見るようになりました。反対に私はできるという思い込みがあって、自己流のまま。だから全然、成長していませんでした。13期生の相笠萌がセンターになったときも、萌はダンスが上手だから仕方がない、と悔しくも感じませんでした。
ところが、後輩で勢いのある14期生が入ってくると、私は一番後ろの列に下げられました。さすがにショックで、またセレクション審査があったら、落とされるかもしれない。ダンスは気を抜かないように集中して、MCも頑張って突っ込んでいこうと励みました。ところが、空回りしてしまって。MCは特にダメ、とスタッフさんからも指摘を受けて、「もうしゃべらないよ!」という気持ちになったこともありました。「もうやめようかな。部活も楽しかったし、普通の学生に戻った方がいいのかな」と考えたこともありました。
そんな時に1期生の峯岸みなみさん(現チーム4キャプテン)が研究生に降格に。同期で仲良しの岡田彩花ちゃんはすぐに峯岸さんと親しくなって、それをきっかけにみんなが溶け込んでいきましたが、私は人見知りで壁をつくっていました。だけど、峯岸さんのパフォーマンスを身近に見ることができました。それまで先輩たちのパフォーマンスを真剣に見て学ぶことが少なかったので、ひそかに学んでいました。
峯岸さんは私が避けていることに気づいていて、あるとき、自分から話しかけてくれました。「ゆいりーと仲良くなりたいから」って。それ以来、峯岸さんは親身になって、公演後、私にアドバイスをして下さいました。トークのやりとりの仕方も具体的に教えてくれますが、私の欠点も指摘くださいました。
それは「口が悪い」ということ。突っ込みすぎて、結果として、相手を傷つけていました。舞台裏で泣いていたメンバーもいたそうです。峯岸さんは「突っ込みすぎた時は、フォローが必要だよ」と教えて下さいました。おかげで目が覚め、相手のことを気遣えるようになり、トークでも、キャッチボールができるようになりました。
取材を受けたとき、「峯岸さんが来てから変わったね」と言われました。いい事が続いて、正規メンバーに昇格し、ユニットでもいい立ち位置につけるようになりました。投げ出さずに続けて良かったです。「継続は力なり」。小1の時に教わった言葉を今、よく思い出します。
■番記者から
デビューした頃、13期生の中で、ゆいりーは存在感があった。劇場公演の「前座ガール」で、「ロマンスかくれんぼ」をひとり熱唱。観客からのゆいりーコールを受けて、うれしそうだった。ところが、その後、テレビなどでの出番はあまりなく、劇場公演でも、目立たなかった。14期生の三銃士(小嶋真子、岡田奈々、西野美姫)や同期生の大島涼花、岩立沙穂らに後れをとった。
今年に入ってから、その姿を目にする機会が増えてきた。「有吉AKB共和国」(TBS)や「AKB48SHOW!」(NHK BS)の放送でも見せ場がつくられていた。出番が増えるまでの間、何があったのかは、本文のとおりだ。
峯岸みなみキャプテンの影響を受けている。女子中高生の頃は「妹キャラ」として認知されたが、そこも学びたいようだ。「時には甘えてもいいのかなと思っています」
幼い頃から子役経験がある。メーンの役ではないが、NHKの連続ドラマ「瞳」のほかに「金八先生」にも出演した。ある1話でストーリーの中心となる中学生の妹役で、泣く演技を求められた。「苦手でどうしよう」とスタッフに相談したら、「お母さんが亡くなった時とか悲しいことを想像しなさい」。言われたとおりにすると、リハーサルでは泣けた。「でも、本番では泣けなかったんです」。その時の悔しさは今も忘れない。
女優の満島ひかりさんとは遠い親戚に当たるとか。ドラマ「瞳」で共演した。「私の付き添いでスタジオに来ていた母が満島さんに話しかけて、説明すると、確かに、親戚だったみたいで、私にも『よろしくね』と言って下さいました。私にとっては今も遠い存在ですが、いつか一緒に共演できたら、うれしいです」
目指すは前田敦子さんのような歌もダンスも演技もできるアイドル。「先輩やメンバーのいいところを吸収して、歌もダンスも以前より良くなった、と言われています」。座右の銘の「継続は力なり」。その言葉を忘れなければ、大きな変身がありそうだ。
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