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(AKB的人生論)田島芽瑠 ヒマワリのような存在に!

2013年12月14日 04時36分46秒 | Weblog

人生の楽しみと言えば、まず食べること。今年夏のAKB48ドームツアーでは、行く先々でおいしいものを食べました。大阪ではたこやき45個(推定)と豚まん。名古屋では手羽先30本。札幌では数え切れないくらいのトウモロコシとジャガバター。東京ではアイスやクレープをたくさん食べて……。地元・福岡では回転ずしで20皿(40カン)をたいらげたこともあります。

 Google+でその日に食べたものを書くと、ファンの方たちから驚かれます。「そんなに食べて大丈夫」って。胃袋を「宇宙」にたとえられたことも。13歳。成長期だからでしょうか。今、気になる情報は全国B級グルメ。テレビや雑誌で見ると、そこへ行ってみたいと思います。食べ物もおいしく、四季がある日本はすてきな国だなと思います。みんながおいしいものを食べて幸せに暮らせることに感謝しています。

 食べることが楽しみなら、本は人生に影響を与えてくれる存在です。小学生の時は月に20冊。今でも10冊は読んでいます。読書中は、物語の世界へ。自分が主人公になったようにワクワクドキドキ。物語の世界にいるときは、呼びかけられても気づかないくらいに夢中になってしまいます。記憶に残る本は、小1の時に読んだ童話「きつねのでんわボックス」。愛する子どもを亡くし、傷心の母キツネは、病気のお母さんに電話をする人間の男の子に会いました。お母さんはその子が子ギツネと重なり、毎日、電話ボックスにやってきました。ところが、ある日、電話ボックスが撤去されることに。もう男の子と会えなくなると思ったお母さん。電話ボックスに化けて、男の子と会話をしました。ところが、ついに母キツネと男の子にお別れのときが……。心の底から感動した1冊。幼いながら親子の絆や人の愛の深さを知りました。

 私の名前の芽瑠はフランス語で海を意味するla mer(ラ・メール)からとられたそうです。「海のように広い心をもった人に育って欲しい」という願いが込められました。名付けたのは母。いつも周囲の人を気遣っている優しいお母さんです。私と弟のために栄養のバランスのとれた献立を考えてくれたり、上京したときには必ず心配してメールをくれたり。塾、水泳、ボイストレーニングと、やりたいことをやらせてくれました。ただ、その条件は「一度始めたことはやり切るまでやりなさい」。そのおかげで、途中であきらめずに何でもがんばれるようになれました。太陽のように見守ってくれる母の姿を見ていて、私も太陽のようになりたい。いつしかそう思うようになりました。「いつも心に太陽を」という言葉を座右の銘にしています。

 そして人生でいちばん大切に思うのは夢に向かってがんばること。私は幼い頃から、歌が好きでいつも歌っていました。歌は自分だけでなく、聞いた人も幸せな気持ちにします。HKT48を目指したのは歌手になりたかったから。オーディションでは、いつも笑顔でみんなを明るい気持ちにさせるヒマワリのような存在になりたいとアピールしました。太陽(センター)に向かって、努力しながら成長したいという意味も込めました。

 そんな私にひとつの気づきを与えたのが、デビューまもない昨年11月、東日本大震災で被災した地域への訪問でした。

 大震災があったのは小学5年生のとき。日本で起きていることとは思えない衝撃でした。学級委員だった私は「自分に何ができるだろう」と考えて、クラスで募金を呼びかけました。みんなが賛成してくれて、被災地のみなさんに義援金をお送りしたことがありましたが、実際に訪問するのは初めてでした。

 福島県新地町。被災地の土地の復興はまだまだでしたが、住民の方たちの笑顔が咲いていました。それがうれしくて、ステージで歌って踊りながら、ひとりでも楽しい、うれしいと思っていただけるように頑張りました。

 コンサート後のハイタッチで、デビューしたばかりの私に「芽瑠ちゃん、来てくれてありがとう」と名前を呼んでくださった方もいました。ひとりのおばあさんが言いました。「つらいと思うけど、私たちも支えになるから、みんなでがんばっていこうね」。その目からは涙がこぼれていました。私は自分が支えになろうと思っていましたが、被災地の方たちは、みんなで一緒にがんばろう、と優しい気持ちでいてくれたんです。町には肉親を亡くされたり、家を失ったりされた方もいるはずなのに。元気を届けるつもりが、逆に元気をもらいました。私はすごくうれしくて「ありがとうございます」という感謝の気持ちでいっぱいになり、被災地をあとにしました。

 元気で明るいヒマワリも、成長するには太陽の光や水などの養分が必要だ。人々は支え合って生きているということを被災地の人々から教えていただきました。私は日ごろから、周囲の人たちから元気をいただいています。プレッシャーの強かった今年6月の総選挙。不安だった私にファンの方たちは、55位という順位をくださいました。東京、名古屋、大阪、そして博多。どの土地の人も温かい。だから私は夢を追いかけられる。

 2020年。私が20歳の大人になったときの想像図。HKT48は現在のAKB48のように有名になっています。そして私はソロ歌手としても活躍。ステージにいるときも、普段のときも、どこにいても太陽のように明るくて優しい存在になっている――そんな未来にしたいです。

■番記者から

 しっかりとした家庭に育った優等生。そんな雰囲気を感じた。実際、幼い頃から読書が好きで、塾で勉強にも打ち込み、スポーツでは水泳にも通っていたという。話を聞いていると、以前、取材した同じHKT48の宮脇咲良といくつかの共通点があった。2人とも読書家で小学生のときに夢中になった本として「若おかみは小学生」を挙げていた。勉強を怠らず、自分で決めたことはやりきるように責任をもたせるご家庭の考え方も似ている。そういえば兒(こ)玉遥も文武両道タイプだったし、森保まどかのようなお嬢様タイプもいる。歴史的にも大物アイドルを輩出している土地だけに、こうした優等生でアイドルを目指す女の子も多いのだろうか、とふと思った。ともあれ、夢を追って、流している汗の量は、ほかのAKB48グループと変わらない。

 今後の目標をたずねると、「HKT48AKB48のように有名にしたい」「どこにいても太陽のように明るくて優しい存在になりたい」と熱く語った。気持ちのエネルギーがありそう。彼女なら「有言実行」でやり切りそうな気がした。


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