おいしいものを食べ、友好的な雰囲気でのびのび語り合う。こういうときにふと訪れる幸福感。
しかし、残念な時もある。高価なものを食べても砂を噛むようで、頭のなかには心配事が張り付き、他者を見れば怒りを感じ、時には自己嫌悪にも陥いる。考えてみれば青春時代のある時期なんかはそうだった。いや、そんな前でなくとも・・・
同じ人間なのに、どうして。振り返ってみて気づく。
「生き甲斐の心理学」でならった自己肯定・他者肯定、自己肯定・他者否定、自己否定・他者肯定、自己否定・他者否定の4つのパターンの概念。今の自分のありようはどのタイプかと調べてみると面白い。自己肯定・他者肯定の状態か。自己肯定・他者否定の上から目線の時か。あるいは自己否定・他者肯定の残念な気落ちの時か。もう最悪の自他否定の時?。
そして、この4つのタイプと過去の自分のありようをのんびり思い巡らしプロットする。ある集団にいると上から目線モード。若い頃はいつも引け目を感じていたっけ。もうやけっぱちを通り越してボーとしてたときにふと訪れた自他肯定の統御感。ある本にこっていたときは知らず知らずの傲慢の極地だった。などなど
思想・宗教というと私も幼い頃から今まで、日常的にいろいろ出合った。そして、ある時期にはAという思想、またある時期はBという宗教、時には多くの日本人のような宗教観の時もあった。しかし、時は流れ自分も他者もいろいろ変わってくる。すると、居心地がよかったはずの世界の中での自他肯定のスタンスが急速に崩れて自己肯定・他者否定に変わったりもする。一つの思想や宗教が、自他肯定とかで埋め尽くすこともないようだ。
自他肯定のスタンスは、以前にも述べたが幸福への道という気がする。それ以外は私の場合はネガティブに感じる。
具体的にどういう宗教だったか記録がないので分からないが、縄文時代の一万年以上は個人も社会も自他肯定的だったと想像している。大きな集団同士の殺し合いが無かったというのは定説といってよいようだ。そして、土器や土偶といった遺物に接するとますますそんな気になる。弥生時代や有史以来の為政者はどうだったか。戦争や内乱が跋扈する時代は多分、個人も社会も自他肯定とは違う世界になりがちだと思う。もちろん、どんな時代においても自他肯定のマイペースな人は居るように思う。それはどんな人なのだろうか。宮沢賢治の「雨にもまけず」。この主人公もそうかもしれない。結構難しい修行の世界を通してでしかこのような人にはなれないかもしれない。
8/10 五感と生き甲斐と縄文
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