イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

アスカを想い-変わる自分に気付く!(宝の山 5/10)

2010-08-21 | 第一章「意識と知覚」
青春時代の写真は、ちょっとした小旅行の写真が多い。ただ、就職してから関西に住んだわりには、関西の写真は少ない。休日には、奈良や京都の寺社仏閣を良く訪れたが、その写真は殆どない。

 飛鳥(アスカ)の、石舞台で撮った写真が一枚あった。飛鳥には、3-4回訪れたが写真はこれだけのようだ。当時は、蘇我氏は単なる悪者というイメージがあり、殆ど気にならなかったが、この数年、日本の古代史に興味を持つようになり当時の複雑な政争や謀略を考えると、無残に石室まであばかれた様子をみると、心が痛む。

 今年も、飛鳥を訪れたが、一番の印象は、天武・持統天皇陵であった。観光コースからちょっと外れているようで、今まで一度も訪れたことがなかったが、古墳の中では数少ない埋葬者が確定されている稜である(中世に盗掘された記録があるため)。実にひっそりとしており、また、飛鳥のこの地区は昔ながらの畑も多く、貴重な時間を持つことができた。

 同じ人間が同じような風景を見ても関心や思考が違うと、知覚が異なる。石舞台を凄いと思ったり、無残と思ったり。あるいは、ただの丘と思ったり、さまざまなドラマを想い古代日本の成立を考えたりする。

 飛鳥は変わらないのに、自分は変わり、違ったものに見える。
 解釈が変わると、世界が違って見える。

宝の山 5/10(信じて見える世界 5/30)

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青春時代のホメオスタシス!(宝の山 4/10)

2010-08-20 | 第一章「意識と知覚」
 大学4年生の時の卒業研究の論文は、研究室に置いてあったが、いつの間にか紛失して無くなってしまっていた。一緒に共同研究をしたBさんと、力作の紛失に愕然としたが、まあ仕方がないとあきらめていた。

 棚の上から見つかった写真の束の中に、有難いことに、当時の研究発表の写真があった。今となっては、論文より、当時の研究がおぼろげに判る写真のほうがありがたい。しかし、当時は実験装置をはんだごて片手に作ったり、心理テストをお願いしたり、また数理統計モデルの研究で本当に大忙しであった。身体を壊しても不思議ではなかった。

 ところが、その力作の卒論を書きあげてから、何か空しさがいっぱいであった。今考えると、卒論自体は貴重な体験ではあったが、自分の進路などで何か自分の本音が判らなかったところがあったからだ。父親への反動形成とか、補償とかで大忙しだったのだろう。U先生が最近ブログで言われていたように、父親の影響は本当に大きい(父親はそれに意外と気付かないかもしれないが)。

 しかし、父親の影響とは別に、学校の友達、会社の同僚、従兄弟の存在は大きかった。父親モデルの外に、Aモデル、Bモデルといった、別の生き方を仄めかしてくれた。また卒業して就職してから、まもなく関西に転勤となり両親と別れたこともよかったかもしれない。青春時代の不安定さをカバーする、不思議なホメオスタシス(恒常性)が働いていたかもしれない。太陽があれば月もあり、惑星もある。太陽と地球だけではない。ありがたいものである。

宝の山 4/10(信じて見える世界 4/30)

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こころの傷は絶対に癒されないか?・・・(宝の山 3/10)

2010-08-19 | 第一章「意識と知覚」
 大掃除した時にふと出会った写真以外でも、思い出の品が出てきた。中には嫌な思い出に繋がるものも。善意から頂いたものであり、捨てるに捨てられずしまいこんでいたものだ。その処分について家族と話あっていた後に、ぼんやりとテレビを見ていると、≪こころの傷は絶対に癒されない≫と熱心に語るコメンテーターの言葉ではっとした。御巣鷹の惨劇の話で、全体の文脈から見れば、惨劇の後で逞しく生き抜きながら、生き甲斐を見出していく被害者家族のことを前向きに報道していたが、その言葉自体を深く考えると、嘘だと思った。

 生き甲斐の心理学を学ぶと、≪体験の解釈が世界を変える≫という、臨床心理学的知見を学ぶ。昨日、学友で15歳の時に自殺した方のことを書いたが、それも、私のこころの傷に対する解釈の問題であった。事実は勿論変わらないが、解釈如何で、もっと楽に自然体で生きられる生き方ができると思う(長い年月がかかったが)。特に衝撃的な事件は、こころの仕組みの問題もあり、過剰な考えを持ちやすいものだ。

 さて、先ほどの嫌な思い出を喚起する品だが、結局捨てた。頂いた方の善意を想うと、ちょっとこころ苦しいが、やはり本音は大切にしなければならない。時が経ち、新しい解釈に辿り着く可能性はあるが、無理は禁物。日々機嫌よく生活ができるのが一番。良い子に成りすぎてもいけない。

宝の山 3/10(信じて見える世界 3/30)

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15歳、京都・奈良をどう知覚するの?(宝の山 2/10)

2010-08-18 | 第一章「意識と知覚」
 昨日、大昔の写真の束を見つけたこともあり、中学3年生のときの修学旅行の写真をじっくり楽しんでいる。初めて奈良・京都を訪れた時だ。

 写真で追って行くと、薬師寺、法隆寺、東大寺、平等院、比叡山、金閣寺、銀閣寺、苔寺、二条城、嵐山、清水寺こうしたところを見学したようだ(もう45年くらい前なので、こんな言い方になってしまう。旅行も確か夜行電車の日の出号に乗車した記憶が)。記念写真をよく見ると、写真の中に亡くなられた方もちらほら見える。特に、同じ高校に進学し、しばらくして(一年半後)亡くなられたAさんの顔を久しぶりに観て、いろいろ考えた。

 朝≪ゲゲゲの女房≫で主人公が崖で九死に一生を得た場面で、ご両親が、息子の無事を祈る場面があり、その印象が強烈だったかもしれない。日常の中にそっと忍び来る死。そんなことは15歳の私にはどれだけ実感できたろう(今の私も同じだろうが)。Aさんはその修学旅行の後、一年半くらいしてから、自殺をされた。私は、クラスメイトとお通夜に行き、ご両親のお話も聴いたりした。

 さて、45年前の修学旅行に先立ち、見学先を調べ発表する機会があった。わたしは、たまたま東大寺の三月堂が当たり、にわか勉強をし、何となく難しいことを発表した覚えがある。今思えば、何が判っていたのだろうか?三月堂も国宝級の仏像も、知的な対象として見物してもピントこないものだ。

 東大寺には、その後何回も足を運んだが、3年前に、じっくり見学をすることができた。奈良は奥が深く、勉強をしっかりしたり、じっくり見学しないと、その良さが判らないと思う。3年前にいった東大寺。その時、始めて、自分の中の何かが動いたようである。

 最近は、華厳の勉強や東大寺設立当時の歴史の勉強もしているので、興味が湧きまた再訪したいという気持ちが強くなっている。

 奈良・京都は、魂の故郷のような趣のあるところが多い(例えば東大寺のように)。ちょっと早く帰天したAさん、きっと天国で奈良・京都の本当の良さを味わっているのではないだろうか。その良さを、もっと教えてほしい。

宝の山 2/10(信じて見える世界 2/30)

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またもや発見、宝の山!(宝の山 1/10)

2010-08-17 | 第一章「意識と知覚」
 家庭内リフレッシュ休暇の最終日となってしまったが、家の中の普段絶対に手をつけることのない棚の上を一人で整理をしていたら、またもや宝の山が出てきた(前回は一万円札が入った封筒であった!)。

 1970年台に友達が写してくれた写真の束とか、会社に入って間もなくのころの記念品などである。自分の大切な日々の写真は本当に貴重である。昔も何度か観た写真ではあるが、20-30年の時を経て観る写真は何とも言えない喜びである(昔は何だこんなもの・・・という感じで、それほど大切にしていなかったのだろう。)。

 こんな幸せを感じることができたのも、8月の始めに、ジブリの≪借りぐらしのアリエッティ≫を見で、何故か整理整頓に深く取り組むことになったのだ。私は理科系で、今まで結構クールにモノを見つめていたのかもしれない。それが、ちょっと変わってしまった。

 なんと表現したらよいのだろうと思っていたら、先日岩波少年文庫≪人形の家≫(ルーマ・ゴッデン作瀬田貞二訳)にこんな詩が出てくる。それが何ともピッタリするのだ。

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せめてこの花束をかがりましょ、
心静かな日々に集めてきた花束を、
そぼふる雨、しめやかな風、さんさんと照る日のおりおりに----------

花とも人とも、またけものとも飛ぶとりとも友となって、
神よ、この世にうつろうわが一生を心みちたりてすごさせたまえ、
死が召すまで、この世にいとまつげるまで。

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宝の山 1/10(信じて見える世界 1/30)

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