イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

秋の味覚とアイデンティティ!

2008-10-24 | 第十章「今ここでの恩寵」

 目黒のサンマは落語で有名であるが、秋の味覚は私にとって、一年で一番刺激的である。

 焼きたてのサンマを大根おろしで食べたり、炒った銀杏のイエローグリーンの実を頂く。山で採ったキノコを焼いて頂くのも良い。栗もおいしいし・・・

 良く考えてみれば、生き物を食べるわけであり、生き物を食べて生きているという事実は、ちょっと悲しいことではある。ただ、それでも元気にもなれ、生き抜く原動力になることも確かである。

 先日観た映画「おくりびと」で納棺業の会社でチキンを食べるシーンがあったが、納棺の仕事で食べることは重要なのだろう。介護・福祉の仕事も経験したが、食欲は重要であった。何があっても食べるタフネス。命にかかわる仕事について気がつくのは、食事の特別な意味ではないだろうか。

 自分は何か?何を生き甲斐にしたら良いか?いろいろ削ぎ落とし残っていくものを考えると、それは身体であり、魂であり、生きている自分の本質といったものになるようだ。

 秋の味覚を楽しむ・・・そんな自分の本質。

<アイデンティティの統合 4/4>

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秋の夜長、読書の秋・・・

2008-10-23 | 第十章「今ここでの恩寵」

 40代の時に、地方で仕事で関係していたAさんと久し振りに会い、親しく話をしたことがある。特に自分の仕事のことなどであったが、Aさんが仕事で自分をモチベートすることが大切だ。そのために・・・など。モチベートするという言葉を使ったのを、不思議な気持ちで聴いたことを思い出す。

 モチベートとか、インセンティブとか、何となく馬と人参のことを思い出し、理屈としては判るものの、何かうらさびしいものを感じてしまう。自分をだましだまし、何か(仕事)をやっていくのは、できればやりたくない。そうは言っても、やらなければならない時も当然ある。

 できれば、自分で本当に納得できることを見つけて、それをやってみたい。ただ、それが期待どおり、うまくいくとは限らないのも世の常である。正念場という言葉があるが、人生の節目で、そういった体験にぶつかるようだ。

 正念場では、人との出会いなど、不思議な流れの中で、意外な展開に向かうことが多いようである。人智をl越えた何かが働くように思う。もうひとつは、経験の蓄積の中で、何かが結晶するようなこともある。自分の場合は読書により、人生が変わってきたというような経験もある。

 5-6月ごろからの読書の傾向は、日本の古典(源氏物語など)、歴史(古代から中世)などである。妖怪などにも興味が出てきた。「生き甲斐の心理学」を自分にとって掘り下げていく中で、どうしても避けて通れない何かがあるようにも思う。

  たとえば、今読んでいる、杉本苑子さんの「散華」(紫式部の生涯)、紫式部はどういう人だったかが、興味の中心であるが、当時の風俗や世相なども日本の原型のような気がして楽しい。また水木しげるさんの「今昔物語」、1000年前ごろの話ではあるが、自分のこころがしっくりする物語でもある。

<アイデンティティーの統合3/4>

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銀杏の実、自分は何かと考える!

2008-10-21 | 第十章「今ここでの恩寵」

 一昨日、多摩センターにある美術館に行った。美術館の前にいちょうの木が何本かあり、小粒の銀杏(ぎんなん)の実が沢山落ちていた。

 高校生のとき、通学していたH高校には大きないちょうの木が何本かあり、大粒の銀杏の実が沢山落ちていた。同級生の一人が、それをバケツに集め近くの料亭に売りさばいていた。

 独特の匂いで、恐れをなす人が多い中、昔の記憶を思い出しながら、少々拾って帰った。

 高校の3年間は、若い頃は思い出すと何か辛いものを感じた。今となっては、懐かしく想いだすことが多いけど。アイデンティティ獲得の時期なのに、学園紛争などの社会的影響もあり、私と同じ年代の人たちは、独特の性格形成が行われたようだ。

 自分とは何か?何をしたら良いのか?こうした問いかけを高校の時は真面目に考えていた。若かったあのころから、約40年。だんだん初老モードに入りつつあるが、不思議なことに同じようなことを、今感じ考えている。セカンドライフかサードライフかは知らないが、節目の時なのかもしれない。

 若い頃は、これからの職業や結婚等、これからどうするのか、どうなるのかという夢と不安に溢れていた。不思議なことに、今も同じようなところがある。但し、体力的なこと時間的なことなど、制約も増えてきているので、やりたいことをどんどんそぎ落とし、質を高める努力も必要なようだ。

 今日は、拾った銀杏を食べながら、やりたいことをリストアップでもしようか!

<アイデンティティの統合2/4>

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天国にいらっしゃい!

2008-10-20 | 第十章「今ここでの恩寵」

 昨日は、久しぶりに映画「おくりびと」を妻に薦められたこともあり一緒に観た。アイデンティティーとはなにか、受容とはなにか、差別と防衛機制の問題、いろいろ考えさせられた。

 ただ、映画の中で最も印象的であったのは、斎場の職員の会話と普段見られない火葬炉の裏側の風景であった。職員に扮する笹井高史氏の、天国への門が観えるように思うとのセリフに妙に感動した。

 天国はどういうところか?暗い死後のイメージがある一方、特にキリスト教はうきうきするような明るいイメージがあるようだ。

 不思議なことに、恩師の推薦された「天国に行く前に読むと楽しくなる不思議な天国ガイド」(アンソニー・ディステファーノ著 田栗美奈子訳 主婦の友社)をアマゾンで購入していたが、丁度届いたところであった。

 早速読んでいるのだが、面白い。身体の復活まで説いているキリスト教の死生観、天国観は有難いと思う。だんだん知っている方が亡くなる年代となってきてるが、天国で再会することを考えると本当に楽しい。

 メメントモリ(死を想え)は自分の生き方を考える、重要な視座を与えてくれるが、明るい天国のことを想うことも含まれているように想う。天国で再開する人たちのことを考えたりすると、自分の生き方を、たまには背筋を伸ばして思索する必要を感じる。

<アイデンティティの統合 1/4>

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心理学を勉強して得をする!

2008-10-19 | 第十章「今ここでの恩寵」

 生き甲斐の心理学を勉強して得をしたことは沢山あるが、気分転換とか娯楽にお金を使わないで、のんびり過ごす術を覚えたこともある。

 最近は感情の原型をよく考える。明るい感情の原型を考えるときは、紙と鉛筆くらいあればよく。のんびりと2-3時間くらいは妄想?にふけることができる。幼いころの楽しい思い出。動詞をイメージして感情を思い出すとか・・・

 また、感情ウォッチングをしたり、自分の心理的状態をプロセス・スケールで測ったりするのもだんだん楽しくなってくる。自分のこころの仕組みが判ってくると、世界の名作と言われる文芸作品等の素晴らしさも、より判るようになる気(本当かは不明)がする。

 それから、大した根拠もなく、感情を不当にかき乱す情報から距離を置く術を、いつの間にか学んだように思う。不安を煽るのが知的と思う愚を、若い頃は犯してしまったが、今は少し大人になってきたのかもしれない。特に午前中は、明るくいきたい。

 今日は、日曜日。10月も半ばを過ぎ、そろそろ年末に向けての活動を再考する時期でもある。

 明るい感情も大切だが、暗い感情も大切にしなければ。

<明るい感情4/4>

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