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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

持統天皇の吉野へのひびく旅!(ひびきあう旅① 8/10)

2013-07-22 | 第四章「愛とゆるし」

 持統天皇の政治家としての業績は抜群であるが、その一方日本書紀の記録をみると、吉野に31回(在位中)も行幸をしていて、持統天皇研究家にとってはの謎のひとつである。何で奇妙な行動をしたのだろうか?

 壬申の乱で、殆ど裸一つで持統天皇は天武天皇についていったのが吉野であり、また、天武天皇の時の後継者問題をほぼ解決した(6皇子の誓い)のも吉野である。それゆえに、なにがしのセンチメンタルで吉野行幸を説明する人も多い。ただ、優秀な政治家でもあった持統天皇を考えると私はちょっと説明不足かなと思えてしまう。

 様々な説がある、権力争いでの活動拠点(軍事的?)とか、ただ私は、吉野裕子氏の道教や風水等の知識からの説明に深く納得する。また、今朝梅原猛氏の「水底の歌」(下巻57~81P)で書かれている藤原不比等と持統天皇の政治的関わりに興味を覚えている。

 持統天皇は、謀略が蔓延る当時の政界で生き残っていく。その為には、アイデンティティの統合に優れ(例えば道教思想もあるだろう)、現実吟味力に優れ(その時々の政治的判断)、そして心の防衛機制をほどよく開放していなければならないはずだ。持統天皇を何か精神的に不健全でオカルト的に説明する方もいるが、私はありえないと思う。

 藤原京からの辰巳の方向に吉野宮滝が位置する。これは、実に道教思想からきている。しかも、吉野宮滝は写真のように、桜の吉野といったイメージではなく、中国の神仙境のイメージ。さらに、吉野宮滝は縄文時代の遺跡も発見されていて、当時にあっても聖地そのもの、今でも天女伝説が残っているとのことだ。

 持統天皇は、自分自身で吉野宮滝の歌を残していないが、柿本人麻呂や藤原不比等等が、持統天皇に捧げる歌や漢詩を残している。持統天皇は吉野宮滝で祈りをささげ、こころを新たにされるのだ。

 今日は、一流として評価されている、藤原不比等の漢詩を懐風藻(江口孝夫全訳注 講談社文庫)からご紹介しよう。写真を見つつ味わっていただいたらどうだろうか。

 文を飛ばす山水の地 
 爵を命ず薜蘿の中 
 漆姫鶴を控いて挙り 
 柘媛魚に接して通ず 
 煙光巌上に翠に 
 日影潸前に紅なり 
 翻って知る玄圃の近きを 
 対翫す松に入る風 

(現代語訳)

 吉野のこの絶勝の景を賞でて文をつづり

 葛かずらの茂みの中で酒宴を用意させる

 昔この地で漆姫が鶴に乗って天上に去り

 柘植姫は魚と化し男に近づき情を通じた

 岩の上にもやが立ちこめ、翠はおぼろに

 岸のあたりは日がさして紅に映えている

 ここはむしろ天帝のおられる崑崙に近く

 松に吹く風を心ゆくばかり観賞している



 恐らく持統天皇は激務の中で、忙しさのため心を亡くすのではなく、吉野宮滝で心からの祈りを忘れず、内的にも開放されていったのだろう。

 ひびきあう旅① 8/10

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