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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

ケガの功名・・ケガレの思想を考える!(古層の愛③)

2010-07-10 | 第九章「愛」
 昨日は、足の親指の治療のため、3時間病院で待った。その時に内田樹さんの「こんな日本でよかったね」をゆっくり読むことができた。この本には、ちょうど自分の今の問題(死穢、ケガレ、言語などの古層の問題)が書かれていて、治療から帰ったあとも、その余韻を味わうことができた。けがの功名かもしれない(ほんとうに)。

 福祉や介護の仕事をしていたころは、福祉職や医療職の仕事でなければなかなか気づかない問題に直面する(当たり前であるが)。「毎日亡くなっていく人をみるのが辛い」「福祉の仕事に就くことに親から強く反対された」。そういう、ちょっとショッキングな言説に直面することもあるが、利用者・当事者の方々と日々接する中で感じる、ちょっとした無意識からくる、自分のおぞましい心の流れに気づくこともある。

 自分と同じように他人を愛することは難しいと気づいたり、ある人を嫌う自分が、嫌いな自分の一部をその他人に投影していることに気づいたりもする。そして、その原因の一部は、意外にも自分に幼いころから刷り込まれた祖先からのメッセージにあるのかもしれないと、最近思うようになってきた。

 穢れ(ケガレ)と禊ぎ(ミソギ)の原型を、古事記のイザナギ・イザナミの黄泉の国の話や、その後の禊ぎと三貴子の神話に見出し、昨年から時どき考えた。火の神を産むことで黄泉の国に行ったイザナミを探し求め、ついに見つけるが、見てはいけないとイザナミに言われたにもかかわらず死体を見てしまったイザナギは、やっとのことで黄泉の国から脱出し、大きな石で黄泉の国を封印する。その後、禊ぎをしてイザナギはアマテラス、ツキヨミ、スサノウをそれぞれ、左目、右目、鼻から産む。死と誕生の話なのだ。

 この日本の神話は、意外にもギリシャ神話に酷似している部分がある。そのためか、死とかケガレ・差別の問題を考える時、西欧人も同じようにギリシャ神話の原型などから思索するのかもしれないとふと思った。そのあたりは妄想かもしれないが、昨日読んだ、内田樹さんの「こんな日本でよかったね」の中の「人は何故葬礼を行うか」はとても刺激的であった。日本神話については何も語られていないが・・・600万人のホロコーストを経験した、ユダヤ人の哲学者レヴィナスの思索。構造主義のレヴィ=ストロースも。そして柳田国男の戦後の思索もでてくる。自分の中で、何となく解決のヒントに繋がってくるのだ。

 自分の中に自己否定・他者否定を生み出す、刷り込まれたコアのメッセージ(非合理であるが、馬鹿にできない)。そのメッセージは、当然ながらネガティブな感情(悩み)を引き起こし、歪んだ行動を産んだりする。しかし、さらにそのメッセージの原点・起点を思索することで、何代もの祖先を通じての伝言ゲームのノイズを除去し、真の愛のメッセージに到達できるかもしれないのだ。

 私は、哲学者でも思想家でもないが、悩みを生み出す思想・概念を、その解釈を変えることで克服することに、とても興味がある(自分の問題として)。解釈を変えれば世界が変わる。生き甲斐の心理学の大テーマの一つである。

古層の愛③(見えないものを観る、聞こえないものを聴く 53/60)

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