575・・・の言葉の喚起力。現代でも詩と言えば日本では、俳句、短歌がポピュラーである。日本人の魂を揺さぶる不思議な力があるのではなかろうか。最近、インドでも575の母音のリズムがあることを知った。575の調べは日本人に流れる古代からの調べかもしれない。
さて、八王子カウンセリング勉強会で、感情のことを勉強したときに、2-3回石川啄木の短歌を使ったことがあった。反応が予想以上であり、啄木の素晴らしさをその時あらためて認識した。啄木の「一握の砂」は、著作権が無くなっているのか(没後100年くらい?)、インターネットで簡単に見ることができる。「一握の砂」
その詩集は、551集録されているが、実に見事な詩ばかりである(一部誰でも知っている有名な詩もあるが、それ以外の詩も実に素晴らしい)。そして、何かイメージが鋭く喚起され、人それぞれの、その時のピッタリくる詩が見つかりやすい。このような詩集は私が知る限りない。
この章は意識と知覚である。自分の意識や知覚は、それこそ意識しないと漠として判らない。静かな池に投げた小石が波紋を起こし、水を意識させるように、ちょっと「一握の砂」を毎日、ざっと読みながら、気になることを書いてみたい。それも一つの視点ではなく、私の今と、例えば高校生くらいの若い時の二つの視点から考えるなど重ねることができたらと思う。
その中で、自分の知覚や意識の構造を見つめ深めていきたい。
啄木は20歳台で結核で夭折し、もう100年近くの時が流れているが、とても現代的でもある。
(一握の砂 1/16)
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