日本にはキリスト教の十字架の贖罪のような強烈なゆるしの思想がないように感じる時があるが、よく考えてみれば「穢れと禊ぎ」といった、もう確実に文化の一部になったかたちでのゆるしの思想が存在するのだと思う。奈良のお水とり、地元でも大国魂神社のくらやみ祭りは品川で海水を取るところから始まる。伊勢神宮の五十鈴川。奈良の室生寺や長谷寺。千手観音を何故か思い出したりもする。穢れを洗い清める。
もっと昔の縄文時代のゆるしはどうだったか。当然あるに違いないが、よく分からないできた。しかし縄文中期の図像に関する文献を教えて貰い読んでいると、何となく浮かんでくる。水に関する神、千手観音の原型といった神ではなかったかと妄想している。記紀が出来た7世紀のころは政治的な課題のもと神のゆるしはどうも薄弱になったように感じてならない。本来はもっと強烈なゆるしの神であったかもしれないが記紀にも痕跡が残されているように感じる。それは今後の小説の課題としてもっと考えていきたいが。
さて、U先生の生き甲斐の心理学ではどうだろうか。テキストの最初に欧米で心理療法家の中でよく話題になる聖書の一部が取り上げられている。ヨハネ福音書の4章、サマリアの女のはなしである。異邦人の地サマリアのヤコブの井戸のところで出合う訳ありの女性とほんの数分くらいだろうか、短い時間でイエスは女性を癒やし、生き甲斐を悟らせる。これは、カウンセラーの理想ということで結構研究のされていて、私も何回も呼んで勉強させていただいた。
人は罪深いものである。それは年をとればとるほど実感出来る。勿論自戒をこめてだ。本当のゆるしは神仏でしか出来ない領域だと思う。当然今も昔も宗教が生まれ、教団ができる。ただ、これも人間の集団。怪しいとことがある。しかし、不幸をもたらす大きな間違えはあってはならない。健全な教団へのノウハウと知恵は絶対必要であり、また公共的にも適切な抑制方法が確実に必要だと思う。
しかし、その前提として私も人のことではなく自分自身を見つめる必要はあるように思う。生きるのは大変な時代ではあるが、深い意味で自他肯定のスタンス(自分が愛されているように他者を愛す)を意識する必要があるのだろう。
8/10 心理学の世界と縄文
「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」
縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。
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森裕行
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