折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

7月3日 蝉の初鳴き

2024年07月03日 | 

トレニア
     



今朝、庭の草取りをしていたら突然すぐ近くから、大音量のシャシャシャーが降ってきました。今年初の蝉です。今頃ならアブラゼミのはずですが、あの鳴き方はクマゼミではないかと思っているとほんのちょっとで初鳴きは終了。地面から出て来て練習してみただけのようです。ブログを見返すと2020年には7月2日に初鳴きを聞いたとあり、2024年の今年は7月3日、毎年この時期らしい。もっとも子供の頃クマゼミに出会うのはお盆頃からでしたから、これも季節の巡りが変わってきてしまったという事でしょう。

ここ数日の蒸し暑さにさえかなわないなぁと思っているのに、この先に続く酷暑の夏。日中は家籠りばかりになって、外はセミたちの大合唱。夏休みが待ち遠しくて暑さなんて気にならなかった子供の頃が懐かしいです。




庭のアジサイの枝を整理して切った花
鮮やかな空色から変化したこの色も好きです

変化朝顔が芽を出した

2024年06月29日 | 

マリーゴールド



6月の初め頃、物置を片付けていたら昨年採取して袋に入れたままの「変化朝顔」の種を見つけました。昨年6月に逝った兄が「これはお前が好きそうな花だで」と鉢に植えてくれた朝顔が良く咲いて、秋には少しだけできた種を採取したものです。私はごく普通の朝顔が好きですが、変わった形の変化朝顔を育てるのに夢中だった兄には言えなくて、持たせてくれた数鉢を枯らさないようにはしていました。突然変異で姿が変化した朝顔は種は出来にくいと言います。確かに秋まで咲いていたのに出来た種は2種類でほんの少しでした。

せっかく見つけたのだから植木鉢に蒔いてみました。兄は「種は角をけずって、水に浸してから蒔くんだ」とか言っていた気がしますが、気の無い私は「うんうん」と空返事していたはず。ですから見つけた種もそのまま直接植木鉢へ。水だけは他の鉢と一緒にやってはいましたが・・・やっぱりいい加減ではダメだろうなと思っていました。

そして先日の朝、土が盛り上がっているのが見えて、その翌日には双葉が顔を出しました。あら~です。
その日は6月24日ちょうど兄の命日でした。そんな日に芽を出した朝顔、花の形が好きとか嫌いではなくて、この花は育てなくてはと思っていたら、その翌日からも続いて発芽して全部で4本。兄のように鉢にこじんまりというよりものびのび咲かせてみようと思っています。二つの鉢にはそれぞれ兄が書いておいてくれた名札も立てました。小さな名札に書かれた文字も懐かしいです。




↑ は6月29日撮影


こちらも29日撮影 双葉からすでにねじれたような変化朝顔



育ち始めたらきっとどこかで兄が「こっちの芽を育てて、そっちは切った方がいい」と・・・。
花が咲いたらまたご報告します。蒔くのが遅かったけれどきっと咲くと思っています。

以下は昨年咲いた花 この花が咲くのかどうかは分かりません
薄紫の花の直径は5〜6㎝





ブログ開設3000日目

2024年05月31日 | 





ブログを始めて今日で3000日目だと気が付いたのは数日前の事です。千夜一夜物語どころか三千日、と言っても投稿は休み休みになってしまいましたが、ともかく続いては来ました。

2015年8月夫が逝ってからの忙しかった半年、仏事や様々な手続きが一段落した後で急に気分が落ち込んでしまいました。時間が出来たのだから好きな事をすればいいのに何もする気になれない。「空しい」ってこういう事かしら、これではボケてしまいそうと思って無理やりにでも目標を決めることにしました。
その1つは夫の三回忌を済ませたら「個展開催」と決めて、早速街の中心にある一番小さいギャラリーを予約しました。それまでに作品を作る事も目標です。それからそれまでも興味はあっても手が出なかったFacebookとブログも始めてみました。それが3000日前の事。始めてはみたもののFacebookは実名なのが恥ずかしくて中止。匿名で好きなことが好きなように書けるブログなら私にもできそうな気がして、ダメなら止めればいいと気楽に初めて8年余が過ぎました。
過ぎた自分のブログを読み返すとあんな事こんな事もあったなぁととても懐かしい。私は日記を付けないので、日記代わりの記録ともなっています。そしてブログを通していろいろな方の考えや暮らし方、各地の風景や花々に触れることが出来たのは想像以上に楽しいことでした。これからもどうぞよろしくお願いいたします。

31日は朝には小雨の止み間があり、自転車で用足しに走りました。
区役所でマイナンバーカードの更新、銀行で通帳に記帳、名古屋市の敬老パスの更新、ドラッグストアーで買い物・・・ひとつも忘れず滞りなく1時間半で帰宅。まだ記憶も大丈夫だわと自分に言いました。マイナンバーカードを作って5年過ぎ、更新時期のお知らせが来て驚いたのは写真は10年間変わらずそのままだという事。マイナンバーカードに表示されている私の顔はすでに5年前のもの、当然少し若いです。この顔のままあと5年、本物があまりかけ離れて歳を取らないようにしないと証明にはならないのではないかと思っています。5年後にも区役所まで自転車で走って更新するつもりでいます。その時はまたブログでご報告・・・その頃は86歳、まだ平均寿命にも達していません。大丈夫です!







カタツムリにはなれない

2024年05月21日 | 

植木鉢のバラ




郵便受けに地区の消防署からのチラシが入っていました。チラシの見出しは「南海トラフ巨大地震から生き延びる!」。内容は「消防署員がご自宅を訪問します。巨大地震から命を守るため、各家庭の『戸別訪問』を実施させていただきます。」と。さっと読んだだけでは何だか怪しげな気もする文言です。それでも訪問日が記載されていたのでその日は気にしていると、家からすぐの道路に大きな消防車が止まり消防隊員風の制服を着た数人が散らばって行き、しばらくするとわが家にも。怪しい人も「消防署の方から来ました・・・」と言うようですが、消防車で来られれば多分大丈夫。

戸別訪問の目的は・家庭の防災対策を聞き取り、必要な防災対策の提案なのだそうです。
・寝室に背の高い家具を置いていませんか?
・火災報知機、消火器はありますか?
・家具の転倒防止対策をされていますか?
私は寝室にはソファが1つあるだけですし、その他の質問もOKでした。が、消火器の消費期限が切れていたので買い直さねばとは思いました。

質問などは簡単に終わり「読んで参考にしてください」と袋入りのパンフレットをいただきました。お役所のパンフレットなんて面白くないと思いながらパラパラ見ていたら、エッ!???と座り直して見直すことになりました。
地図に色分けされた「液状化可能性大」の赤塗りの場所にわが家は入っているのです。震度予測も「震度6強」。

昭和19年(1944年12月)の東南海地震はマグニチュード7・9と言われていますが、今私が住んでいる場所に当時も住んでいた両親からも地震による被害は聞いた事がありません。名古屋城につながる台地ですし、縄文時代の住居跡や小さな古墳、江戸時代から現代までの暮らしの色々が地下に埋まっている場所です。「お城を造るくらいしっかりした場所だ」と言われてきたのに、今になって液状化の危険・・・と言われたって・・・。築40年の古びてきた木造家屋とはいえ大切な終の棲家と思っている家です。カタツムリのように家を背負って安全な場所へ移動するなんてできません。取り壊して作り直すほどの余裕もないですし・・・出来るのは地震が来ないことを祈ることくらい。他には何も思いつかないのも困ったことです。



カタツムリは見かけないけど庭のアジサイ 5/20


今日だった・・・

2024年05月03日 | 

いただいたバラ



今日は2024年5月3日、ちょうど60年前1964年5月3日は私の結婚式の日、今年はダイヤモンド婚らしい。と言っても夫は旅立ってもうすぐ9年。私の気持ちの中だけの日です。あの日の結婚式場の前庭では満開の牡丹が見事でした。それが地球温暖化のせいか牡丹などとっくに散ってしまっています。60年・・・私も世の中も季節さえも変わったのです。60年後一人暮らしをしながらパソコンでブログを書いているなんて、想像もしませんでした。

そんな事を思っていた今朝のこと、87歳になる姉から「今日の朝刊の『つれあいにモノ申す おひとりさま編』に載ったから見て」とラインがありました。姉は時々投稿を楽しんでいます。46年前にご主人を無くして3人の子供を育て・・・そちらに行っても「そんなばあさんに知り合いはおらん」と言わないで、口元のほくろは変わりません」と亡くなったご主人にモノ申したのです。

私の夫は、白髪と短髪が嫌いでしたから私はいつも早めに毛染めしていました。それが毛染めをしなくなって5年ほど過ぎほぼ白髪で短髪。いつの日か向こうに行ったら「そんな白髪で髪の短いばあさんは知らん」と言われるかも。でも、毎日お仏壇から眺めても文句の一つも言いませんから、もう見慣れたのだろうとは思います。
60年・・・カッコよくブログを纏めたいのですが、長かったような、あっという間だったような、なんてあたりまえの言葉しか浮かんできません。


5月はバラ
わが家のバラ「空蝉」



実物は気品のあるバラですが・・・


※しばらくコメント欄お休みします

停電した朝

2024年04月27日 | 

歩道の隅に咲いていたクローバー



4月27日朝7時頃、ポットで湯を沸かしていた時突然停電。外は曇りなので電灯が消えると部屋は暗い。その中で電話機のディスプレー画面が一瞬明かりがついて「ケンガイ」の表示。いったいこんな時間にどこからかけているのかと思いながら、家の中を点検しても電灯と電気ポットしか使っていないし…ブレーカーも異常は無し。これはわが家だけかしらと外に出てみると近くのマンションの廊下の灯も消えていて暗い。これなら私がバタバタしなくても地域一帯の停電なんだと、回復を待つことにしました。

コーヒーのお湯も沸かないので(ガスは使えたか?)電気が復旧するまで庭の草取りでもしようと外に出ると、あちこちのマンションから人が出て来て辺りを見回しては数人ずつ話しています。やはり停電について様子見のようでした。その中のお一人が「おはようございます。何かあったんですかね?」と聞かれ、別の方も「この辺一帯の停電ですよね」と。今まで顔も知らないし挨拶もしたことが無かった方達ですが、不安は共通なのです。そこへ情報通のご近所さんが「交差点で事故があって機械を壊したんだって、復旧に時間がかかるらしいですよ。」「それから停電が長引くかもしれないから冷蔵庫は出来るだけ開けない方がいいですよ」と。さすが情報屋さんです。息子さんがすぐ現場を見に行かれたのだとか。原因が分かれば「待つしかないですね・・・」と皆さんそれぞれのマンションへ引きあげられました。わが家の前も左右もマンションなのですが、普段は出会ってもすれ違っても挨拶する方はほとんどない。でも、何かあれば、共通の不安があれば話をされる人たちだと少しホッとしました。ホッとしながら気づけば出ていらしたのは男性ばかり。休日の朝でもあり、問題が起これば解決に出かけるのは男性の役目らしい。なんだかへぇ~と思った私です。

その後、家の中はまだ暗いので前日に買った花の苗を近くのお宅に届けるために出かけると、国道の信号機は消えて大勢のお巡りさんが交通整理中。道路脇にはボンネットが開いた乗用車。電線地中化のために歩道に設置されたトランスボックスにぶつかったようです。皆の安らかな連休のためにも安全運転でお願いしたいです。

停電は思いのほか早く復旧して、私が知人の家から帰る時には信号も復旧していて家の部屋の電気も点いていました。それから灯りがともった部屋で電気の有難さを感じながら遅い朝食をいただきました。
停電になった時の受話器のナンバーディスプレイに表示された「ケンガイ」の着信履歴が無いのは「はて?」ですが・・・停電と関係が有るのだろうと思っています。



 は事故にあったトランスボックスとは別のもの 形はこんな感じ。午後5時前、現場はまだ復旧工事中でした。


道路際の隙間で咲くビオラ、轢かれず踏まれずに頑張っています


一段落したような・・・

2024年04月26日 | 

花壇で咲いたセキチク



毎年5月の連休が明けると教室展が始まります。1カ月以上も前からあれとこれとと、何か忘れていないか昨年までの記録を見直して・・・そして早めにしなければいけないことは何とか終わった気がしています。気持ちが落ち着かずにブログの更新も遅くなっているので思いついたことなど時々書き込んで保存していました。が、続きを書くつもりで記事を開こうとしたら、消えてるっ!ガッカリです。大したことは書いてはいないのですから、また書けばいいだけの事ですが、自分のミスにガッカリ!

書こうとしていたのはチューリップが終わってナデシコ(セキチク)が盛りになり、バラの蕾が膨らみ昨年蒔くのが遅れたパンジーが咲き始めたとか、ハナミズキが咲いた。そんなことです・・・(少々投げやり)。



昨年いただいた種を蒔いて育った「セキチク」仏前のお供えに重宝しています。



昨秋、植木鉢に種蒔きした「サラダシュンギク」名前の通りクセが無くサラダにも汁物にも入れて冬中食べました。気温が高くなると花が咲き始めて、今は切り花に。


展覧会の準備を早めに済ませて、連休には安曇野で1泊するバスツアーの予定が人数が集まらず催行中止!行く予定の天気予報は晴なのに、ガッカリです!まぁ旅には行けなくても少しのんびりとこの連休を有意義に過ごしたいなと思っています。


※ 展覧会のお知らせは5月初めにアップの予定です。

スマホの本

2024年03月18日 | 

今年もいただいたツクシ




誰でもどこでも使っているスマホ、私もスマホを持つようになったのは・・・多分数年前。子供にすすめられても「そんなものはいらない」と言っていたはず。それが今では出かける時には先ずバッグに入れる必需品、もう手放せないものになりました。だからと言ってほとんど分かってはいません。ただ検索したりメールを見たり、ブログを読んだり(投稿はまだ出来ません)と楽しんでいます。

先日街での事、買い物の途中で体の不自由な友人から「このスマホで支払いして」と頼まれ、困りました。私はまだpaypayを使えない。彼女のスマホを持ってレジに行き「これでよろしく」と。ま~白髪頭のババさんが言う事なので店員さんも仕方がないと思われたことでしょう。スマホを持ち始めた頃には私も使ったことはあるのですが、昼時のコンビニでモタモタうまくゆかず後ろに並んだ人から「チッ…」と言われたような気がして、トラウマになりました。それ以来できるだけ現金主義の日々を過ごしています。

それから間もなく他の方のブログを見ていたら主婦と生活社出版「老いてこそスマホ」の紹介記事がありました。検索してみると、読めば自信を持ってスマホを使えるような気がしてきて早速、買いました。
読んでみると、言葉としては知らなくても何となくすでに使っている事柄が多かったですが、問題の「スマホ決済」は避けてばかりいないでやってみる気になれました。翌日にはコンビニでチャージできましたから、後は使うだけ。先ずはコンビニの空いているいる時間に行って何か買ってみようと思っているところです。

また、今年初め頃からご近所のKさんが子供さんにスマホを持たされたと言って私の所に時々聞きに来ました。Kさんは80代半ばの方で、聞きに来られても私も分かることはほんの少し。向き合って「今電話かけるから出て」とか「電話かけてくれない」とか「ラインの友達になって」くらいなら何とかOKですが、私にはカタカナ言葉が分からない。分からなくても使えているけれど説明は出来ないし正しく使えているかどうかも分からない。そこで基本の基を知りたくて本を買ったのです。Kさんは「スマホ教室に行ったけど家に帰ると全部忘れてる」と言ってたのでこの本をプレゼントしようと思っていますが、この所会ってもスマホの話題は出ない。スマホを諦めたのか私に聞いても無駄だと思ったのかも知れませんが・・・どっちかしら。




ひな祭りも終わって

2024年03月05日 | 

庭の椿



3月3日に兄嫁さんたちとひな祭りを口実にわが家で女子会開催(それほど大げさではないです)。ひな祭りなのでちらし寿司とお吸い物を、91歳の兄嫁さんにはグラスの日本酒も添えて、食べながらしゃべるしゃべる。食べ終われば次は草餅「あんこのお饅頭大好き」と。食べながらの話は朝ドラから大谷君のお嫁さんへと移り、時代も場所も飛んで飛んで「あのころはねぇ~」というのは昭和10年代だったり30年代だったりどこまでも尽きず。今度はコーヒーにしてナッツをつまみながら、まだまだ・・・夕方まで楽しんでいただけてまた来月もとなりました。

もう嫁に出す娘もいないけれど4日の朝にはお雛さまを片付けると季節がひとつ進んだ気がしました。
庭のチューリップの芽や鉢植えのバラの赤い芽が伸びはじめ、冬の間動きが少なかった鉢のメダカも餌を食べ始めました。外に置いた鉢のホテイアオイがまだ少しは緑色を残して枯れなかったのは、やはり暖冬だったのだと思います。

春が来た・・・と思いながら、気が付けばブログの更新もせず過ぎていました。春の強風に気持ちが吹き飛ばされたようで落ち着かないだけ、私は元気です。





楽しい予定を作る

2024年02月26日 | 
チューリップ





雨の日曜日から一転して晴れの月曜日、夕方に整形外科でリハビリの予約があるだけであとは好きに過ごせる自由時間です。良く晴れたので散歩でもと思ったら風速10m前後の北北西の風、ビルの横では吹き飛ばされそうな強さに散歩は中止。空いた時間は春の展覧会に向けて絵を描くか、少しは家の中を片付けるか、図書館で借りた本を読むか・・・まずは冷蔵庫の中を整理しながら有るもので煮物と炒め物と即席漬けを作る。昔から一人遊びが好きなので、時間を持て余すということは・・・無い気がしますし、ずっとそうありたいと思っています。

最近、兄嫁さんとわが家で時々お茶を飲みます。息子夫婦と同居して全てお任せの兄嫁は「新聞読み終わっても時間がなかなか過ぎなくてね~」と。もう1人昨年から1人暮らしになった兄嫁は「時間はあるのに何もしたくなくて」と。相続や確定申告などの手続きは近くに住む息子さんが引き受けてくれて「私じゃ分からんしね」と暇そうです。91歳の兄嫁さんは転んで骨折した後、右手が不自由になり外食は無理らしい。「出かける予定は医者通いばっかり」って、寂しい話です。それなら日を決めて食事会でもすれば予定ができるし、わが家でなら箸が使えなければスプーンでも何とでもなる。ただ私は手料理をふるまう自信はありません。で、「3月3日ひな祭りにちらし寿司で食事会いかが?弁当を買うか出前で会費は割り勘ね」と連絡すると「有難う。予定ができて嬉しい」ということでわが家で集まることになりました。お雛様を飾った部屋には机が無いのでいつものように流し台の前のテーブルでの食事会。出かける予定を作って集まることが目的なので、どこだっていい。これで楽しく過ごせれば、これから月に1回くらいはいいのじゃないかしら、なんて思っています。







私の姉や姪との「三ババランチ会」は20年以上続いていてこの頃は2ヶ月に1度。たまには兄嫁さんたちと一緒に集まるのもいいかと思いながら、やっぱり話題が違うから無理だな、とも思います。来年は上の兄が亡くなって50年も過ぎるというのに・・・いつまでたっても嫁と小姑、心の底にはどこかしっくりこない時も有るのですから人の心は困ったものです。




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