折々スケッチ

小さなスケッチブックやハガキに水彩と鉛筆ペン等で描いた絵を中心に、感じたこと等日記代わりに添えています。

変化朝顔が芽を出した

2024年06月29日 | 

マリーゴールド



6月の初め頃、物置を片付けていたら昨年採取して袋に入れたままの「変化朝顔」の種を見つけました。昨年6月に逝った兄が「これはお前が好きそうな花だで」と鉢に植えてくれた朝顔が良く咲いて、秋には少しだけできた種を採取したものです。私はごく普通の朝顔が好きですが、変わった形の変化朝顔を育てるのに夢中だった兄には言えなくて、持たせてくれた数鉢を枯らさないようにはしていました。突然変異で姿が変化した朝顔は種は出来にくいと言います。確かに秋まで咲いていたのに出来た種は2種類でほんの少しでした。

せっかく見つけたのだから植木鉢に蒔いてみました。兄は「種は角をけずって、水に浸してから蒔くんだ」とか言っていた気がしますが、気の無い私は「うんうん」と空返事していたはず。ですから見つけた種もそのまま直接植木鉢へ。水だけは他の鉢と一緒にやってはいましたが・・・やっぱりいい加減ではダメだろうなと思っていました。

そして先日の朝、土が盛り上がっているのが見えて、その翌日には双葉が顔を出しました。あら~です。
その日は6月24日ちょうど兄の命日でした。そんな日に芽を出した朝顔、花の形が好きとか嫌いではなくて、この花は育てなくてはと思っていたら、その翌日からも続いて発芽して全部で4本。兄のように鉢にこじんまりというよりものびのび咲かせてみようと思っています。二つの鉢にはそれぞれ兄が書いておいてくれた名札も立てました。小さな名札に書かれた文字も懐かしいです。




↑ は6月29日撮影


こちらも29日撮影 双葉からすでにねじれたような変化朝顔



育ち始めたらきっとどこかで兄が「こっちの芽を育てて、そっちは切った方がいい」と・・・。
花が咲いたらまたご報告します。蒔くのが遅かったけれどきっと咲くと思っています。

以下は昨年咲いた花 この花が咲くのかどうかは分かりません
薄紫の花の直径は5〜6㎝





名古屋場所も間近に

2024年06月25日 | 名古屋城





朝散歩で休憩したいときにバス停の椅子に座るとハマユウが咲くこんな風景 ↑
右側の歩道には夜明けからランニングや散歩の人が多い




私の朝散歩のコースのひとつが愛知県体育館の前を通るコースです。6月25日朝は梅雨らしい曇り空。名古屋城の堀を渡ると石垣の横に高い櫓が組まれていて、名古屋場所が始まるのももうすぐです。そして暑い夏が来るのももうすぐ。会場となる愛知県体育館の広場には資材が積み上げられ、広場の隅には幟を立てる柵も出来ていました。そして「入場券は全日完売」の看板。大相撲の初日は7月14日、なのにもう完売。若手の台頭もあって相撲人気は盛り上がっているようです。








会場設営の資材も運び込まれて


今年限りの愛知県体育館


完売!



この愛知県体育館(愛称はドルフィンズアリーナ)での開催は今年限りで、来年の名古屋場所はもうじき完成する新築の愛知国際アリーナでの開催になります。

私が小学生の頃(昭和20年代)には名古屋場所は「準本場所」の位置づけで金山体育館での開催でした。何年生の時だったか、学校の行事で相撲見物に行ったのですが、覚えているのはまだテレビのない時代に初めて見たお相撲さんの大きなこと、名前を憶えているのは照国と安念山だけですがお腹が丸いのに驚いたり、通路に置かれた氷柱が大きくて休憩時間にはシューッと酸素の放出などもあってとても暑かったこと等など・・・。
名古屋場所が本場所に昇格した昭和33年から昭和39年までの間も会場は金山体育館「南洋場所」とも言われるほど暑い場所でした。
来年からは…空調のきいたアリーナで・・・名古屋場所の雰囲気も変わりそうです。



毎年この花が満開になる頃大相撲が始まります
散歩の道で

伊吹山を見に(2)

2024年06月23日 | 伊吹山と周辺



中山道柏原宿 左はもぐさ屋伊吹堂左京商店 今も1軒だけ残る老舗です



伊吹堂左京商店



水田の風景を堪能してJR東海道線柏原駅に戻る。駅近くにカフェがあったはずなのでお昼をいただいてトイレもお借りしようと思ったらガラス戸に「本日臨時休業」の表示。それはそうだろうと思います。歩いている人はめったにいないし、国道からも離れている旧街道で車の往来も少ないのですから。仕方が無いので駅から西へ400mほどにある柏原宿歴史館へ。ここには以前にも来たので併設された喫茶店もあると分かっていても疲れた脚には遠かった。歩きながら宿場の風情を残す建物につい立ち止まるのは脚を休めるためもありました。



左の建物が柏原歴史館 国の登録有形文化財指定の建物で喫茶も併設



歴史館併設の喫茶「柏」にたどり着きヤレヤレと座って、先ずはアイスコーヒー。開け放した窓からは涼風が吹き込んでホッと一息です。この辺りはお灸に使用するもぐさの産地なのでお灸に見立てた「やいとうどん」とか近くの川に蛍が飛ぶ頃だけの「蛍うどん」が名物とありましたが、私は冷たいざる蕎麦を注文。写真を撮るのも忘れていただきました。こうしたお店が臨時休業もあり得るので、一応お握りとアンパンは必ず持って歩き、残れば夕食に。



皇女和宮様が宿泊された本陣跡地とある


お昼をいただいて休憩も出来た後は碑や説明板もゆっくり読む。
以前来た時よりも説明板が分かりやすくなりました。



民家の日陰でスケッチ



駅までのんびり歩く間に気になる場所で、座れる場所があればちょっとスケッチ。でも、街道なので家の前ではゆっくり座ってはおられず、色は簡単に。



誰も歩いていない。




昔は蔵だったらしい建物が見えた(家で色付け)


スケッチしながら歩けば帰りは駅まで近かった。以前来た時は大雪の後で、足元が心配でしたし家に近寄れば落雪を心配しながらも大好きな雪景色にワクワクしながら歩いた道でした。



茶色の柏原駅の後ろは伊吹山。駅舎の割に大きな跨線橋(エレベーターが欲しい!)。


柏原駅に着いたのは14時前、朝駅を出て5時間半。とても充実した時間になりました。帰りは東海道線大垣で乗り換えて名古屋へ。家に着いたのは4時過ぎでした。こんな良い天気に夕焼けも見ないで帰るなんて以前だったらありえない事。ま、80を超えたのですから無理はしない。歩いた距離は7・5キロ 歩数は13,247歩 階段を上がった階数は6階  距離の割に歩数が多いのはキョロキョロしたり膝が痛かったりしたためだろうと思います。それでも見たい所は見られた楽しい1日でした。

おわり。

伊吹山を見に(1)

2024年06月22日 | 伊吹山と周辺

最初の1枚



6月18日のテレビで天気予報士が「明日は梅雨に入る前の貴重な晴れ間になるでしょう」と。それなら晴れているうちに何処かへ出かけようと色々考えて、しばらく行っていない伊吹山を見に行くことにしました。

予報通り19日の朝は快晴! 家を6時過ぎに出てJR東海道線名古屋駅発7:16の米原行に乗る。東海道線の列車はほとんど大垣で乗り換えになりますが朝夕の数少ない列車は乗り換えずに目的の「柏原駅」まで行ける。ただこの時間は通勤通学の人で混雑し、のんびりと外を眺める余裕はありません。
柏原駅に着いたのが8:30 ここから伊吹山と水田の風景を楽しみながら、膝を気にしながら歩けるだけ歩きました。


いつもは駅を出ると右に進むのですが、今回は違った風景を求めて左へ歩く。膝の負担を減らすために荷物はキャリーにもなるリュックに詰めてゴロゴロ引いて歩きました。この音がけっこう気になります。膝の負担軽減には減量が第一だとは分かっていてもそれはとても無理・・・です。




青線が前半の水田地帯、茶色線が後半の柏原宿





東海道線の線路をくぐって県道551号線を進めば目の前に久しぶりに出会う伊吹山!名古屋を出た時は雲一つなかったのに山近くには雲。山が隠れない事を願いながら水田と伊吹山の見晴らしの良い場所を探して歩く。県道から折れて左手には「成菩提院」。その昔、家康の参謀といわれた天海大僧正が住職を務めた時期もあるという寺の小山。その山裾に沿って行くと、そこに私が見たかった風景がありました。広々した青田の向こうに聳える伊吹山。青い空に白い雲がぽっかり浮いて、時々山にかかっては離れてまたかかる。


日陰に椅子を置いてスケッチ1枚。その日最初の1枚は気持ちばかり入りすぎて毎回面白くない。これがトップの絵です。



柿の木の日陰で


太陽が移動して日陰の位置が変わるので私も移動する。柿木の近くは日陰があっても伊吹山は裾しか見えない。でも、日向では白い紙がまぶしすぎて色が分からなくなるのでしばらく日陰で休憩。




水路の水音を聞きながら



本当はこんなに素晴らしい風景です・・・




田んぼの中の舗装された農道を歩く人はいない。はるか向こうの青田の中に腰をかがめて作業中の人が見えるほかは、時折軽トラックが通るだけです。日陰を見つけると出来るだけ隅っこに椅子を置いてはスケッチ・・・期待は大きかったのにちっとも思うようには描けませんでしたが、カエルが鳴いてヒバリが鳴いて、時折ウグイスも。真夏のような太陽の光も青田を渡る風や水路を流れる水の音を聞いていると爽やかでした。気温は26℃。




この辺りは田毎に田植えの時期がかなり違い、青田の場所もあれば早苗を育てている所もある。まだ田に水を引いていないところもあって、稲刈りの時期も田んぼごとにかなり違う。


少し歩いた先では、6年前に初めてここを訪れた時に椅子を置いたのは、あの木の下と思いだした風景。



ここの1枚もイマイチですが、またこの場所に立てただけでも嬉しかった。あの日と同じように伊吹山の裾にはひっきりなしに新幹線が行き交い左手の東海道線には客車や貨物列車が通る。この場所は撮り鉄さんの目当ての場所でもあるのです。


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東海道線の下のトンネルをくぐる。水が溜まっていて滑らないように気を付けて。



ブロ友さんの記事から知ったこの場所、まだ田んぼはかわいたままでした。
乾いた田の向こう少し高い場所が東海道線、その左手あたりの下をくぐってこちら側へ来ました。







2018年6月16日にこの場所でスケッチした時はもっと丁寧に描いていました。6年後の今は?見比べてみて、あらまぁと驚いて、進歩の無さを反省しています。

ここまでで4.8㎞ 駅を出発して3時間過ぎました。
この後は、駅近くの中山道柏原宿を歩きました。これはまた次回に。


しばらくブログお休みします

2024年06月14日 | 果物

いただいた山形のサクランボ



すでにお休み続きのブログですが、この頃は特にアップすることが何も思いつかないのです。何か書かなくちゃ…と悩むより、書きたくなるまでお休みすることにしました。特に体調不安があるわけではなく、ヤル気がないだけの事、皆様の所へは伺う事もあるかと思います。早めの夏休みと思って、しばらくのんびり暮らすことにします。




先日友人宅でいただいた枇杷



皮ごと食べられ種なし オーストラリア産のブドウ



鉢植えの二番花「空蝉」
果物ではないけれど・・・


畑の応接間

2024年06月05日 | 果物

頂いた枇杷




親友のご主人から「今年も枇杷の季節が来ましたよ」と誘っていただきました。隣の市の郊外に住む友人は年々記憶が衰えて来ていますが、今年も私だと分かって名前も覚えていてくれました。

JRの駅までご主人の運転で迎えに来ていただき、彼女の家まで行く間にスーパーでお弁当を買うのも毎年の事になりました。家に着けば家の前の畑に直行。畑の中にパラソルを立ててテーブルと椅子を置いて「畑の応接間」です。周囲には田植えが終わったばかりの水田が広がり水を渡って吹く風は涼しくて気持ちがいい。そこに時々カエルの声。パラソルを立てた周りは家庭菜園と言うには立派なスイカの畝、里芋の畝、ナスにトマトにサニーレタスは薹が立って花が咲きそうな畝などもあって明るく豊かな応接間です。




パラソルの下で 友人はいつも華やかな服




「50年前に植えた時は50センチくらいだったけどね」家の前の大きな枇杷の木は実がたわわです。「袋をかぶせないと鳥がつついてね、かぶせない方が甘いけどね」とご主人。高い木の上の方からも枝ごと切って「さあ枇杷の食べ放題!」とお楽しみの時間です。友人は座っているだけでしたが食欲は十分なので、枇杷とお弁当をいただきながら繰り返す思い出話。高校時代の記憶は残っていて「そうそう…そうだったよね~」と。アルバムを見れば思い出すことも多く、まだ大丈夫と思えました。

帰りもJRの駅まで送っていただいて、車から手を振り遠ざかる彼女を見送りながら来年もその次の年も畑の応接間でおしゃべりが出来たら・・・それには2人と同い年のご主人も共に元気でいなければ、ずっと元気でいたいと思った1日でした。



彼女の家の近くから遠くに名古屋駅のビル群が見えました。(写真ではよく見えないけれど)
わが家からは私鉄・JRと乗り継いで駅まで迎えに来てもらいずいぶん遠くまでと思ったのに意外と近かった。



お土産にいただいた枇杷は傷みやすいので コンポートにして少しゼリーにも。これは私には珍しいことです。



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