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2001.10.8 大連 烟台街
他の方のブログを見ていたとき「大連の街角から 第2回」と言うタイトルがパッと目に飛び込んできました。「大連」は懐かしい街です。2001年から4年間夫が単身赴任したため陣中見舞いと言いながら時々遊びに出かけた街です。その記事には私が訪れた数年後の旧ロシア街の写真がありました。表通りのピカピカに整備されつつあったロシア街とは全く違う裏通り。100年前のロシア統治時代に作られた建物が昔の姿で使われて生きている風情が何とも言えず魅力的でした。ただいかにも裏町と言った雰囲気は一人で歩き回るのに少し不安も感じながらも、魅力には勝てず一人でテクテクと。
その頃の私の服装は運動靴に中国の市場で買ったブラウスとズボンに麦わら帽子。それにこれも現地で買った布袋に絵の具などを入れて提げていました。ある時大連にやってきた娘と会うと「お母さん、日本人には見えないね」と言われタクシーに乗れば「朝鮮族?」と聞かれるほど現地に溶け込んでしまっていたようです。とはいえ外国人だとはすぐわかるはずですが。
通りにはたいてい机を出しておしゃべりしている人がいるので「ここで絵を描いてもいいですか?」と単語だけの中国語と手ぶりで話しかけると、びっくりしながら笑ってくれます。私は地面に座り込んでスケッチ開始。描きながら日本の飴を袋から出して一つ舐めてから「どうぞ」と渡すと皆さん珍しそうにもらってくれました。「どこから来たの」「仕事は」「ご主人は」「子供は」「大連は好きですか」「中国の食べ物は好きですか」どこでも同じことを聞かれるので、知っている単語を総動員して出来るだけにこやかに、にこやかに。ただ「画家?」と聞かれるといえ趣味で描いているだけですなどと難しいことは言えなくて、簡単に「はい」と答えていました。今日の絵を描いていた場所では椅子をすすめてくれたり描いている家の前に止まった車を動かすように言ってくれたりと変なおばさんに(当時私は60歳前)皆さん本当に親切でした。他の場所では暑いから家の中から描けばいいと言っていただいて、それでは見えている風景が変わってしまうのにと思いながら・・・お茶までいただいて絵は途中になったことも。
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2001.10.8 ロシア街(新しく整備された広場)
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上の絵と同じ場所
ブログの中で古い写真を見せていただいて懐かしくなって古いスケッチブックを探してみました。久しぶりに開いたスケッチブックには「あらまっ、こんな絵を描いていたんだ」と思ったり「今よりのびのびしているな」とか、色遣いが強く鮮やかなのはこの頃は白内障が進んで良く見えていなかったんだろうなと思います。絵が描けなくて悩む時などたまには昔の絵を見直して今を反省することも必要なようです。そんなことも思えた良い機会になりました。
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宿舎の窓から(今Googleで見るとアパートらしきビルばかりに)
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ロシアが統治していた時代の建物・・・今は・・・?
写真も2001・10・8
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