このブログを読まれている方々から、沢山の、おたよりをいただき、ありがとうございます。
皆様、非常に素直な方ばかりで、もの事、現象、そして今の自分の行動に対し、素直に受け容れられるという事は、まだまだ発展される可能性をお持ちなわけで、皆様、好くなりますよ。運勢です。登り坂です。
当面の相場の苦労(損勘定など)は高価な薬石です。
昔(江戸時代)は、自分の娘を吉原に売らないと高価な薬石は入手できませんでした。
いまは、ネットで人生の薬石をすぐ身近にできます。
いまの自分を考える。私は若い頃、相場がうまくいかない時期に、手相を勉強して、毎日自分の手相を観ていました。
また易経を勉強して、自分で毎日、易をたてて判断しました。易は今でも勉強しています。
怖いように当ります。10年、20年、30年かけて取り組むのもよろしいでしょう。九星もいいです。
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無責任極まりないと思います。
貴方は他人(特に損を抱えている人)に責任を持って云っているのですか?
自己責任、と言って逃げる積りでしょう?
易には科学的法則のように再現性はありません。
老人のたわごとにしても無責任すぎる。
ここを楽しみに拝見させてもらってるのですが、こういったコメントを見ると悲しくなります。
相場は自己責任でやるというのは常識的なことでしょう。ブログの閲覧者に対して責任をもって書けといわれたら、何も書けなくなってしまいます。例えばあなたがもし相場のブログを書くとしたらどうですか?自分の意見、自分の経験を書くのでは?ブログとはそれでよいのではないでしょうか。共感してくれる方だけが閲覧すればよいのでは。共感しなければ、他のブログをさがせばいいと思います。
一度お休みされてて再開されたこのブログ、相場に数千万も負けた時もものすごく心が癒されました。自殺しようかと思ったこともありましたが、このブログに出会えて鏑木さんの言葉に、もう一度人生頑張ってみようと思うことができました。これからも鏑木さんの経験、物事の考え方をもっとお聞きしたいです。
易は信ずるもよし、敬遠するもよし。強要されるものではありません。奥は深いです。当るも八卦、当らぬも八卦の次元とは違うように思います。(3/22 S.カブラギ)
ポン太様へのお返事です
自己責任などと言った事も、思った事もこれまで一度もありません。
『老人のたわごとで申しわけありません』
易には科学的法則を超越した世界観で、お判り(理解)出来ない方には説明しようもありません(3/22 S.カブラギ)
はな様へのお返事です
ポン太さんの言い分は、言い分で、よいのです。
書く以上は、無責任になれません。
これでも一生懸命書いているのです。
しかし、受け取り方は、千差万別が世の中ですから『モウロク爺のたわごと』と受け取られても仕方ないです。ポン太さんを責めないで下さい(3/22 S.K)
先生のブログを毎回楽しみにしている1人です。先生は人間ができていらっしゃいますね。毎回、関心しながら拝見しています。私も占い(易、九星、アストロ等など)大好きデス。あまりに当たっていると怖くなる時すらありますが・・・・
世の中にはいろんな方がいらっしゃると思いますしいろいろな意見もあると思いますが、ここは先生のブログです。自由にのびのびとカキコして下さい。占いの事も又カキコして下さいね。
もうすぐ春です!先生と奥様が一緒に桜の花を観れますように!
小生も『易占い』みていただいた事ございます。
みて下さった方は、プロの占い師ではなく、
ご自分で易に興味を持たれた方でした。
その方は、易本をみながら小生を占って
下さったのですが、比較的、的を得られた
占いであった記憶がございます。
目に見えない事って、不思議な事がございますね。
温いお小葉、いたみいります。人類は眼に見えないものを見ようと、努力してきました。われわれ相場界に生きているものにとっては、これを深求するのも一ツの生き甲斐です。易は繋辞伝(けいじでん)上下に奥の深さがあると思います。私は繋辞伝10年かかって少しわかってきました。(S.K 3/23)
モリタ様へのお返事です。
手相でも、人相でも勉強することは楽しいですね。回柱推命学も九星学も勉強するほど奥が深いですね。
易は繋辞伝(けいじでん)上・下が2千年前も、2千年後も眞理に変わりがありません。世紀の偉人といわれたA.シュワイッアーも易は学問だと言っていました。(S.K 3/23)