貧乏石好き

つれづれなるままに石をめぐりてよしなきことを

九層山入り水晶

2021-12-19 14:58:38 | 単品

水晶の世界は、広くて深い。
貧乏石好きとして、石を集める際に、あちきは決めた。
この広大な海には近寄らないようにしよう、と。
ネットショップを見ていても、水晶関係はすっ飛ばす。これはなかなかよかった。他の石をじっくり探せる。
それがまだ続いていて、水晶は買っていない。ただし、アメシスト、シトリン、モリオンは別。これらは水晶とはちょっと違う。ということになっている。ルチル入りとかのインクルージョンものはちょっと気になるけど、自制している。
だから、水晶はよくわからない。水晶好きの人は、同じ透明な柱でも、産地によって微妙な違いがあることを見取り、それを愛でるらしい。すごいものです。

ところが、また私語りになるけど、石集めを始める二十年くらいも前に、実は一本、水晶を買っているのですね。
家の近くに石屋さんがあって(今はなくなってしまっている、残念)、そこで買ったもの。その時いろいろな石を見たのだろうけれど、あまり記憶にない。機が熟さないと何事も始まらない、ということですな。
店主さん(非常に博識だったような印象)から「これは珍しいものですよ」と勧められて手に取ったそれは、結晶の中にいくつもの三角模様が入っているもの。いわゆる「山入り」ですね。外形と相似形の層は、水晶の成長を物語るもの、と。
「はあ、これは確かに只者ではないな」などと素人ながらに偉そうなことを思い、確かに美しかったので買った。案外高かったような気がする。
それは部屋の神棚の横に立てて、特にじっくり眺めるでもなく、過ごしてきた。
何となく、聖なるものというか、お守りというか、そんな感じ。
今でもこれはあちきの石コレクションとは別のものという感じ。

で、今改めてじっくりと見てみると、「山」は九層に及ぶ。

水晶の成長が止まって、また始まって、その長い長い時が刻まれている。どのくらいの時間なのだろう。同じ質の熱水が流れ込んだのか、温度の変化といったものが影響しているのか。
成長しては止まり、止まってはまた成長し。人の魂もかくのごとし。
一部の仏教では、人間の魂は九回この世に生まれると言う。成長しては止まり、止まってはまた成長し。菩薩への道は遠く、仏への道はさらに遠い。(あら、急にどうした?)

またある神秘思想では、不可視・不可測の世界まで含めた全宇宙は、九つの階層に分かれていると言う。地球世界は下から2番目。上に行くほど物質性は希薄になり、霊的な世界となる。人間の魂は死後も存続し、さらに上の世界へ向かって成長していく。この九つの山入り水晶はそれを思い起こさせる。(おい、大丈夫か)

ちょっとネットを探してみたけれど、こんなたくさんの山入りはあんまりない。ひょっとして、レアもの?
けれどこれ、研磨してある。そこが今の目からすると難点かな。
まあそういうことはともかく、不思議で、少し神聖で特別なものです、あちきにとっては。


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