丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

夏の日の使者   ~新選組!!番外編2~

2006年01月21日 | 作り話
 のぶは夢を見た。妙に生々しい夢だった。
 夢の中で、のぶは玄関の土間の掃除をしていた。ふと、表に人が立つ気配がして、のぶは振り返った。
 そこには一人の男が立っていた。黒い洋装に身を包んだ、長身の男だった。
のぶは思わず、持っていた箒を取り落とした。
 男はその端正な顔立ちに、照れたようなばつの悪そうな表情を浮かべていた。しばらく言葉を探していたが、やがてにやりと笑ってみせた。
「姉さん・・・。ただいま。」

 そこで目が醒めた。のぶは布団の中で呆然とした。しばらく自分の居場所がわからなかった。
 ゆっくりと身体を起こすと、隣でイビキをかいている夫・彦五郎を起こさぬようにそうっと部屋の外へ出た。
 ひんやりした廊下に出、土間を覗く。そこには当然誰の姿もなかった。なんとなく納得がいかず、のぶは土間に下り、戸を開けると表に出た。
 外はまだ薄暗かった。
 未明の空は暗闇ではなく、蒼い闇に包まれていた。もう少ししたら、蝉が鳴き、汗ばむような気温になる。しかし、今はまだ静寂と涼しい爽やかな空気が辺りに満ちていた。
 のぶは蒼い闇の向こうに目を凝らし、つぶやいた。
「・・・歳三。」



 明治二年五月、長く続いた戊辰戦争は函館・五稜郭の陥落により終焉を迎えた。のぶの弟・土方歳三が函館の地で戦死したという噂は、多摩にいる土方の親戚一同の元にも届いていた。
 遺品も何もなかった。のぶは実感が沸かなかった。自分が母代わりとなって育てた弟が、新選組を率いる鬼の副長として名を馳せているという事も信じがたい事であった。まして、その弟が遥か蝦夷地にて壮絶な最後を遂げた、などという話はまるで誰か別の人物の話を聞いているようにしか思えなかった。のぶの脳裏に甦る弟は、いつも少し斜に構えてあちらこちらで喧嘩してまわる、女に手の早い、どうしようもないバラガキの、しかし放っておけない弟でしかなかったのだ。

 のぶはぼんやりと朝方見た夢と弟の事を考えながら、庭先の掃除をしていた。庭のあちらこちらに歳三の面影を見るような気がした。
 大きな溜息を一つつく。朝からずっとこの調子だった。これではいけない、そう思いなおし、勢い良く後ろを振り返った。
「え?」
 家の門の外に人影が見えた。思わずどきっとした。だが、よく見ると歳三とは似ても似つかぬ若い男、いや少年だった。
 みすぼらしい姿をしていた。随分と痩せて汚れている。物乞いのようだった。丸めたムシロを抱え、小さな荷物を背負っていた。
 のぶは眉を顰めた。近隣の者でない事は明らかだ。
「あの・・・。」
 少年がおずおずと口を開いた。
「お尋ねしますが・・・、この辺りに佐藤彦五郎という方がお住まいと伺って参ったのですが・・・。」
 のぶは恐る恐る少年に歩みよった。言葉から、ただの物乞いでない事はわかる。まして自分の家を訪ねてきたとは思いもよらないことだ。
「彦五郎はうちの主人です・・・けど、あなたは?」
 その言葉が終わらないうちに少年は悲鳴とも溜息ともつかぬ声をあげ、その場に膝をついた。
「ちょ、ちょっと、どうしました?!」
 少年はすばやく正座をし、両手を地面についた。
「新選組隊士、市村鉄之助と申します!!土方先生の命により預かり物をお届けに参りました!」
 そしてそのまま額を地面にこすり付けんばかりの勢いで平伏した。少年の肩が震え、嗚咽が漏れた。
 のぶは一瞬立ち尽くしたが、はっと我に返ると少年の傍らに膝をつき、肩を支える。
「こんな所でやめて頂戴。人目につくわ。ほら、立って。とにかく中へ。ね。」
 崩れ落ちそうな鉄之助の身体を支えながら、慌ててのぶは家の中に入った。
 土間に入ると勢い良く戸を閉めた。鉄之助を上がりかまちに誘い、座らせる。
「時々薩長の役人が見回ってくるのよ。なんといっても土方の地元だからね。今、水を持ってくるから、ここにいて。」
 のぶは足を洗う桶を取りに再び表へと走り出た。

 足を洗った市村鉄之助は奥の間に通された。のぶに呼ばれた彦五郎が飛んできた。彦五郎とのぶを前に、改めて鉄之助は姿勢を正し深く頭を下げた。
「先ほどは見苦しいところをお見せいたしました。私は、新選組にて土方先生の小姓を勤めておりました市村鉄之助と申します。
 蝦夷地にて先生からこれを預かりました。」
 鉄之助は手荷物の中から土方から預かった書簡を出すと、丁寧に彦五郎に差し出した。
 彦五郎とのぶは顔を見合わせた。彦五郎が書簡を手に取りゆっくりと開いた。文の隙間から一枚の紙片がはらりと舞い落ちた。
 のぶはそれを手にとった。涙が溢れた。夢は正夢だったのだ。
 それは一枚の写真であった。そして、そこには黒い洋装に身を包んだ土方歳三の姿があった。

 彦五郎の心遣いで鉄之助は湯に浸かった。蝦夷地を脱出してから二ヶ月の間、ゆっくり風呂になんぞ入った事はない。熱い湯の中に身体を沈めていると、頭の芯がぼうっとしてきた。夢のように、二ヶ月の長くつらい旅の光景が断片的に思い返された。
「湯加減、どう?」
 焚口のほうから女の声が聞こえた。のぶだ。
「ちょうどいいです。」
 のぶは薪をくべる手を止めた。
「あの子・・・歳三は、あなたの事、なんて呼んでたの?」
 鉄之助は遠い目をした。歳三の白い横顔が脳裏に浮かぶ。
「・・・鉄、と・・・。」
「ねぇ、私もそう呼んでいいかな。」
 のぶには息子のような年頃だ。弟が可愛がっていたであろうこの少年の事がまるで弟の子のように思えてきた。
「はい。」
 鉄之助は照れながら答えた。

 風呂から上がると、新しい着物が畳んで置いてあった。鉄之助はその着物に袖を通し、先ほどの部屋に戻った。部屋には少し早い夕餉の膳が用意されていた。
「こんなにしていただいて、なんと言っていいのか・・・。」
 鉄之助はのぶに促されるまま、膳の前に座った。
「遠慮するな。歳三があんたの事『頼む』ってさ。どんっと頼まれてやるよ。なんたって歳三の頼みだ。天下の新選組の鬼の副長の頼みだよ。」
 彦五郎は陽気に笑ってみせながらも、洟を啜り上げた。
「当分、ここにいてくれ。あんたが一人前の大人になるまで、俺達に面倒見させてくれよ、な。」
 鉄之助はうつむきながら、無言でうなずいた。膝の上に握った拳の上に涙が落ちた。
「泣くなよ、ほら。冷めちゃうから、食べろ。な?」
 そういう彦五郎も泣き笑い顔だった。

 夕餉が済んだ後、鉄之助は屋敷の奥の一室に案内された。小さな部屋に布団が一組置いてあった。
「この部屋、あんたの部屋にしてね。ここなら表からはわからないし。いるものがあったら遠慮なく言いなさい。」
 のぶは襖を開けた。部屋から一歩出て振り返る。
「その着物、歳三が昔着てたのよ。よく似合ってる。・・・おやすみなさい。」
 そしてゆっくりと襖を閉めた。
 鉄之助は着物の袖をまじまじと見た。
「先生の・・・着物?。」
 綺麗に洗い張りされていた。少年時代の歳三が袖を通していた事を想像し、鉄之助は小さく笑った。あの副長がどんな顔をしてこれを着ていたのだろうか。のぶや彦五郎に小言をいわれ、どんな顔をしていたのだろうか。鉄之助の知らない歳三に思いをはせるのは楽しかった。
 その夜、鉄之助は久しぶりに布団の上で寝た。夜盗にも熊にも、眠りを脅かされる心配はなかった。夢も見ないほど熟睡した。


 数日後、彦五郎と鉄之助は薬の行商人の姿で多摩を出た。二人は青々と波打つ田園風景の中を歩いていく。彦五郎は歳三の子供時代の話や数々の地元での武勇伝を誇らしげに喋り続けた。鉄之助はその話に耳を傾けながら黙々と歩いた。
 二人の行く先は中野村本郷・成願寺である。そこには新選組局長であった近藤勇の遺族が居を構えていた。天然理心流は勇の甥である勇五郎がついでいるとの事だった。
「勇五郎さんは、あんたと一緒くらいの歳じゃなかったかな。きっと気が合うよ。ヤットウの稽古だって、つけてもらえるんじゃないか?」
 にこにこしながら彦五郎は言った。鉄之助は曖昧な相槌をうった。
 成願寺を訪れるのは沖田みつという女性と落ち合うためだ。沖田総司の姉である。歳三からみつに渡すようにと預かった品があったのだ。
 鉄之助から話を聞いた彦五郎がすぐにみつに使いを走らせたところ、みつの方から成願寺を指定してきた。元々みつは近藤家の養女であった時期があり、近藤家とは家族同様の付き合いを続けていた。一時は江戸を離れていたが、最近戻ってきたそうだ。しかし時勢が時勢なので、以前ほど頻繁には訪問していないようだった。
 成願寺に辿り着いた頃には日が傾いていた。本堂に通され、しばらくすると一人の女が入ってきた。
「彦五郎さん!お久しぶりでございます。」
 近藤の妻・つねだった。つねは二人の前に両手をついて深々と頭を下げた。
「じきに、おみつさんも見えると思いますから、どうぞ、楽にしてくださいね。」
「鉄、近藤さんのお内儀だ。ほれ。」
 彦五郎は隣に座った鉄之助を肘でつついた。鉄之助は慌てて頭を下げた。
「市村鉄之助と申します。局長には随分お世話になりました。」
「まぁ、お若いのに。・・・こちらこそ近藤がお世話になりました。ありがとうございます。きっと随分おつらい目にあった事でしょうね。近藤の代わりにお詫び致します。」
 つねは涙ながらに鉄之助の両手を取った。随分荒れていたが暖かい手だった。近藤亡き後の苦労が偲ばれた。
 しばらくすると、障子が勢い良く開き、別の女が入ってきた。
「遅くなってごめんなさいね。つい、たまちゃんと遊んじゃった。」
 明るい活気のある声だった。三十代後半といったところだろうか。ぱっとその場の空気が変わったような気がした。
「あら、彦五郎さん、お久しぶり。のぶさんはお元気?」
「あぁ、元気にしてるよ。みつさんも元気そうじゃないか。相変わらず別嬪で。」
「もう、いい加減な事ばっかり言って!」
 みつは彦五郎の肩をばちんと叩いた。
 鉄之助はあっけにとられた。
「あなたが歳三さんからの届け物を持ってきたって人ね?私、沖田みつと申します。」
 みつは鉄之助の前に座ると丁寧に頭を下げた。鉄之助も慌てて名乗り、頭を下げた。
「いつから新選組にいたの?」
「え・・・京から引き上げる少し前ですから、二年前くらいでしょうか。」
「そう。じゃあ、勇さんや総司とも少しは一緒に居たんですね。」
「はい。」
 鉄之助の脳裏を近藤と沖田の姿が掠めた。いつも生真面目で難しい顔をしながら時々思い出したように口に拳を突っ込んで周りをあきれさせていた近藤。病に臥せりながらも若い鉄之助に明るい表情で声を掛けてくれた沖田。皆いなくなってしまった。
「色んな話、聞かせて頂戴ね。つらいかもしれないけど、知りたいのよ。皆がどんな風に過ごしてきたのかを・・・。」
 鉄之助はうなずいた。そして懐から小袋を取り出した。それをみつに渡す。
「土方先生から預かりました。みつさんに渡してほしいとの事でした。云われは聞かされておりません。」
 みつは小袋をそっと開け、中身を取り出した。コルクの栓だった。みつはつねと顔を見合わせた。つねは無言で小さく頷くと、立ち上がり急いで部屋を出た。すぐに戻ってきたその手には同じコルクが握られていた。
「勇さんの物だったのね、やっぱり。同じものを持っていたのね、二人とも。」
 みつは二つのコルクを寄せた。
「やっと再会出来たのね。・・・良かったね、勝ちゃん、歳三さん。」
 みつの手につねの手が重なった。二つのコルクを残された女達の手が優しく包み込んだ。二人の泣き声が密やかに闇に溶けていく。長い夜になりそうだった。


多摩から帰ってしばらく鉄之助は放心していた。歳三から命じられた役目はようやく完了した。張り詰めていたものが一挙に消え失せ、同時に自分を支えていたものも失ったように思われた。
 世の中は急速に変わっていた。江戸の町では、見慣れない黒塗りの馬車や異人の姿も珍しいものでは無くなっていた。歳三の傍にいる頃も異人の姿は見ないでもなかったが、街中を歩く姿は鉄之助の目には異質なものに思えてならなかった。
 旧幕府の人間も次々と新政府に取り込まれていった。五稜郭で歳三と共に戦っていたはずの榎本武揚らが新政府の閣僚として迎えられたという話を聞いた時には、身体が震えるほどの怒りを覚えた。
「先生はなんのために死んだのか・・・。」
 そう思うと無念でならなかった。

 熱い夜だった。家人は既に床に就き、辺りは静まり返っていた。いつもはうるさいほどの蛙の声がわずかに聞こえてくるだけだった。鉄之助の布団は空だった。
 仏間の歳三の位牌の前に正座していた。
 位牌の前に歳三の刀や写真が置いてある。その写真を見つめていた。心の中で自問自答を続けていた。そしてそれはいつしか歳三への語り掛けになっていた。写真の中の歳三は遠くを見つめたままだ。なんの返答があるわけはない。しかし鉄之助は心の中で歳三に問い続けた。
 長い時間が経った。鉄之助はすっくと立ち上がった。意を決した。歳三の刀を恭しく手に取ると再び正座した。
 着物の前をゆるめ胸を開けると、ゆっくりと刀の鞘を払った。冷たい刃の光が目に飛び込む。自分に出来るだろうか。一瞬そんな不安が胸をよぎる。その弱気を振り払うように唇を噛み締めた。着物の袖を抜き身に巻きつけ両手で握り締めた。
「止めなさい。」
 鋭い声が響き、思わず鉄之助は飛び上がった。のぶが風の様に部屋に飛び込んできた。鉄之助から刀を奪い取り、思い切り頬を張った。耳元で金属音が鳴り響いていた。
 のぶは刀を鞘に収めると再び歳三の仏前に戻した。
「ここしばらく、あんたの様子がおかしいから気をつけてたのよ。まったく。」
 のぶは鉄之助の前に座った。黙ったまま鉄之助を見つめる。長い長い沈黙が続いた。
「・・・あんたをここによこした歳三の気持ちを、なんで汲んでくれないの。」
 のぶの声は静かだった。
「あんたの役目は遺品を届けるだけだったの?先に逝った人達の名誉を守る事が出来るのは、あんた達のように生き延びた者だけなんじゃないの?」
 同じような言葉を歳三の口から聞いた。五稜郭を蝦夷地を脱出する直前だった。一緒に死にたいと叫んだ鉄之助に、刀の切っ先をつきつけ同じ事を歳三は言った。
「歳三の名誉を誰が守ってくれるというの?」
 のぶの言葉は、あの時喉元に突きつけられた刃そのものだった。鉄之助はのぶを見つめた。のぶの背中に歳三を見たような気がした。
「・・・教えて下さい。私は、生きていいのでしょうか。」
 鉄之助はずっと心の中でくすぶっていた問いを初めて言葉にした。怖くて口に出来なかった思いだった。
「私は、生きていていいのですか?」
 鉄之助の声はどうしようもなく震えていた。自分ではどうしても答えが出なかった。歳三の口から答えを聞きたかった。当たり前だ!と叱責されるのか、ついて来いと誘われるのか、答えはわかっているのに、どうしても歳三の口から聞きたかった。そうでなければ先には進めなかった。
 のぶはゆっくりと微笑んだ。
「当たり前だ。いちいち聞くな、そんな事。・・・って、あの子ならいうかしらね。」
 のぶの言葉は歳三の声となって、鉄之助の胸に響いた。鉄之助は目を閉じた。心の中の靄が晴れていくようだった。迷いは消えた。そして二度と迷うまい、そう心に誓った。
 目を開け、真っ直ぐに前を見た。強い瞳だった。
「・・・生きます、先生のために、自分のために。」


 市村鉄之助はその後二年間佐藤家の一員として多摩に暮らした。そして明治四年三月、生まれ故郷である美濃国に帰っていった。その後の消息は不明であるが、風聞では明治十年の西南戦争にて西郷隆盛側に加わり、討死したとされている。どのような思いを抱き、故郷で生きていたのか。そして何故土方の生き様をなぞるように西郷軍に加わったのか。それを知る者はいない。
 そして奇しくも時を同じくして、佐藤のぶも亡くなった。享年四十八歳であった。


                               完 

 

 

 


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1 コメント

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読ませていただきました・弐 (コドモオオトカゲ)
2007-12-14 13:39:53
前に一回読ませていただいた時と、また今では、
気持ちが違うものですね。

ちえぞー様、「新選組」シリーズ、
ぜひいつか、本にしてくださいませ。
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