丘を越えて~高遠響と申します~

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Act of God

2014年09月30日 | ゴスペル
御嶽山が噴火した。頂上近くにいた大勢の登山客が犠牲になっている。テレビ画面に映った噴煙はまるで灰色の死神のように不気味に蠢きながら、あっという間に巨大化し、そして人間を丸呑みにしてしまった。なんと恐ろしい光景だろうか。火山と言えばもう随分昔の話だが、長崎の雲仙普賢岳でも同じように火砕流に呑まれて死んだ人達がいた。あの時は著名な火山学者のご夫妻が命を落としている。
 そして、広島での悲惨な土砂災害が起こったことも記憶に新しい。未明の参事は幼児であろうが、新婚であろうがおかまいなしに日常生活を踏みにじり、押し流してしまった。御嶽山の報道で既にメディアは見向きもしないだろうが、現場ではまだ片付けすら終わっていないことだろう。けっして忘れてはならないのだと思う。

 昔、貿易英語を勉強した時に知った言葉がある。Act of God. 自然災害を意味する言葉だ。神のなせる業。自然の前に人間はあまりにもあっけない。どんなエライ人であろうが、どんな幼い命であろうが、どんな素晴らしい功績を残した人であろうが、神の前に人は等しく無力だ。




見よ。神はいと高く、私たちには知ることができない。
その年の数も測り知ることができない。
神は水のしずくを引き上げ、それが神の霧となって雨をしたたらせる。
雨雲がこれを降らせ、人の上に豊かに注ぐ。
いったい、だれが雲の広がりと、その幕屋のとどろきとを悟りえよう。
見よ。神はご自分の光をその上にまき散らし、また、海の底をおおう。
神はこれらによって民をさばき、食物を豊かに与える。
神はいなずまを両手に包み、これに命じて的を打たせる。
その雷鳴は、神について告げ、家畜もまた、その起こることを告げる。(ヨブ記36:26-33)



 あまりにもたくさんの命が失われ、そしてその何倍もの人々が悲しみにくれている。しかし、その悲しみや憤りをぶつけるところはない。それがさらに悲しみと憤りを増殖させる。なんでこんな目に遭わなければならないのかと嘆きながら、神を呪う者もいるだろう。
 しかし、哀しいかな、それが現実である。あまりにも人間はちっぽけなのだ。天に向けてはいた唾は自分の身に降りかかるのみ。それが自然の摂理。そしてその自然を創り上げたのは神である。それは行きつくところのない永遠のスパイラル。何千年もの間、人はそのスパイラルの階段を上り続けている。そしてこれからも永遠に上り続けていくのだ。
 
 耐えがたい悲しみや憤りを抱きしめながら、人と言う存在の小ささを噛みしめよう。どれほど文明を科学を誇ったところで、神の業の前にはなんの力もないということを、謙虚に受け止めよう。そして人としての驕りを捨て去り、神の前に膝まづきただひたすらに祈ろう。

闇の中に光が差し込みますように。
悲しみがいつか癒されますように。
絶望がいつか希望にかえられますように。
あなたが滅ぼした天地を、ふたたびあなたの御手によって作り上げられますように。
滅びた魂が、新しく生まれますように。


でも今はあえて、こう祈りたい。


一人でも多くの命が助かりますように……。


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