丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

八月十五日

2006年08月15日 | 四方山話
 六十一回目の夏が来る。世間では小泉首相がついにこの日に靖国参拝をするかどうかについて騒いでいる。あの頑固なオジサンのことだから、きっと靖国に赴いてまたアジア諸国から轟々たる非難を受けるのだ。そしてまた開き直る。「心の問題ですから。」・・・そうなるかどうかは、あと何時間もすれば明らかになることだ。
 こうして過去の戦争の話で盛り上がっている間にもイラクで、レバノンで、アフリカの小さな国々で今日も血が流されている。この地球上から戦争というモノが消えたためしはない。

 人間が人間として生まれてこの方、戦いを忘れた時はない。食べ物の取り合いで、縄張りの取り合いで争いは繰り返される。そして皮肉にも、戦いを繰り返すことで文明という仇花が開花していく。時代は変わり、殴り合っていた石はミサイルという質の悪い兵器へと変貌していく。
 一方、争いの理由はなんなのだ。食べ物や縄張りの取り合いから、さして進歩していない。本質的には何の進化もとげないまま、仇花ばかりが咲き誇っていく。猿に核兵器のボタンを渡すのと、どれほどの違いがあるというのか。いや、こんなことを書いたら猿に怒られそうだ。猿は宗教や大義名分をかたらない分、人間よりも争いの種は少ない。

 争いを止めるために必要なこととは何か。殺すな・犯すな・盗むな。この当たり前の三つがまずは必要だ。でもこんな幼稚園の子でもわかりそうなことすら、戦争という魔物の前では見失ってしまう。
 そして、憎しみの連鎖を断つこと。それは、人を憎まないこと。許すこと。殴られても殴り返さないこと。自分を殺した人を許すこと。愛する人を殺した人を許すこと。・・・そんな難しいことが私達に出来るはずがない・・・。
 我々は限りなくお粗末で業の深い生き物だ・・・。

 どうしようもなくちっぽけな今の私に出来ることが三つある。一つは祈ること。自分が、自分の子供達が、少しでも長く平和の中に生活できることを祈ること。二つ目は、自分達を取り巻く状況を冷静に見つめること。何が正しくて、何が間違っているのかを、自分の頭で考えて判断すること。三つ目はほんの少しの勇気を持つこと。間違っていることを間違っていると大声で叫ぶ勇気を持つこと。

 いつか戦火のない世界に生きることが出来ますように。


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