ありがとう。

いつもありがとう。
バイクのこと、うつ病のこと、なんでもないこと、気になったこと。
自分が「双極性2型」だったこと。

それはどうなのかまだわからない。

2008-12-02 23:46:10 | Weblog








3人キョウダイの末弟だった私は

「末っ子は一番いいんだよなぁ」などと言われては

決してそんな良いものではないんだと反発し続けていた。




上2人は、学業優秀にして真面目な良い子だった(タブンw)

それゆえに我が家においては、それがスタンダードになる。

規格外など許されない空気

規格内であっても緊迫した空気

それは誇張であったとしても

「学業優秀で真面目である」ことを要求されていると

幼き子供はプレッシャーに感じるのである。




親がそうなどと考えていなかったとしても

親がそうあってほしいと厳しくした覚えなどなくとも

親に厳しくしている自覚があれば、手綱を緩める調整もあっただろう。

「自分にはそんな気はなかった」と親が思っていれば

「そんなに頑張らなくても良いのだよ」という言葉は出ないのであろう。




そんな空気の中で

自分は自分に対して

うえ2人のキョウダイに対して強い劣等感を抱き続け

常に劣等感を標準装備する子供になり

自分の振る舞いが規格内か規格外か

いつも緊張し「良い子」に見えるように振舞い続ける。

演じることも装備機能として追加される。




それが小学生でイジメに合う

恐怖と緊張で登校が辛くとも、親には見せられないと表に出せない

学校でも空気を読み表情を伺い演じる生活が余儀なくされる




それが心と身体のほとんどを占拠してしまった時には

自分の「本来の姿」などすでに見失っている。



大学生のころ人に言われた
「なんでいつも本当の言葉で話さない?」

なんのことだか自覚できなかった。

この自分が「本当の姿」だと信じ切っていた。





社会ではそれが通用したように思えた。

バイク屋ではバイク仲間と馬鹿な時間を過ごしてガス抜きができていた。




そんな自分の中ではきっと「何か」が歪み続けていたのだろうか




グシャリと音をたてて壊れた自分。




本当にそれが正しい分析なのかもわからない

たとえそれが正しい分析であったとして


正直に生きることで
なにかを修正することができるのだろうか


今更「正直」に話したり思ったり考えたり行動したり


「正直」を失ってしまった自分に見つけられるだろうか




はたしてそれが

軌道修正に有効なTOOLなのか、



それがどうなのかはまだわからない。

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