彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

本行寺

2011年03月19日 12時00分00秒 | 神社・仏閣
唐戸に教法寺というお寺さんがあります。幕末に「教法寺事件」というのが
ありまして、維新物が好きな下関人にはそれなりに有名なお寺なんですが、
今回はその教法寺さんのお隣の


本行寺さんをご案内します。門から入り左手を見ますと、


「戦死之塚」が目に入ったのです。「戦死」って、えらいストレートな
表現やな、普通は「慰霊」とか「忠霊」とかいう言葉を使うのにと思いつつ
近づいていきますと、


「八幡隊?」なんだ、なんだ?


「奇兵隊?」「豊前赤坂?」!!なんと明治維新の四境戦争の時のものでした。
僕は太平洋戦争か、古くても日清、日露戦争の時のものだろうと思っていたので
驚きました。




「大里」は門司の、「赤坂」「富野台」は小倉の今でもある地名です。
そういえば赤坂は激戦で、長州軍はなかなか前進できなかったと書いて
いましたよね。


ここに眠られている人達は、日本における近代戦のごく初期に倒れた
人達です。その時代には「戦死」という漢語も、新鮮でインパクトの
ある言葉だったのかもしれません。今とは違う語感だったのでしょうね。

下関で奇兵隊をもっともリアルに感じた旧蹟でした。

by K

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