国道9号線の車の中から仰ぎ見る赤間神宮は、
ま、こんな感じで見えるわけですす。通りすぎる時、そういえば
あの水天門はマルハの中部一族の寄進で出来たんだよなと、思い
馳せることもあるだろうけど、まあ、普通は、ああ、いつもの
赤間神宮だとちらっと確認するだけなんですよね。
で、俺達、赤間神宮を知っているようで、知らないんじゃないか、一回
行ってみるべとなったわけでございます。
写真は向かいの駐車場からの写真です。
派手だけど、威風堂々って感じですよね。
この石垣は何だか意味ありげです。
読みづらいのですが、昔の大坂城用の城郭の石が関門海峡に沈んでいて、
それを譲り受けてこの石垣を造ったということですね。
知りませんでした。いつからこの石垣できていたんでしょうね。
この水天門は僕らの小学校時代から出来ていましたよね。
こっちの楼閣の方は、以前からあったのでしょうか?
平成になってから出来たようです。
よく見ると大きな太鼓ですね。これが出来てからたぶん二回は訪れていると
思いますが、見えてはいたんでしょうが、見てはいなかったのですね、
こんなに大きな太鼓なのにね。
赤間神宮の戦後の再建には二つの企業(大洋漁業と関門港湾)の多大な貢献を
抜きに語れない。戦後は大洋漁業さん、昭和後期と平成は関門港湾さんの篤志
が赤間神宮の地位を揺るぎないものにした。
まっこと乱暴なまとめ方だけど、こんな感じなのかしら。
灯籠の側面に彫られていました。
大洋漁業は社名を変え、本社も下関にはありません。
by K
ま、こんな感じで見えるわけですす。通りすぎる時、そういえば
あの水天門はマルハの中部一族の寄進で出来たんだよなと、思い
馳せることもあるだろうけど、まあ、普通は、ああ、いつもの
赤間神宮だとちらっと確認するだけなんですよね。
で、俺達、赤間神宮を知っているようで、知らないんじゃないか、一回
行ってみるべとなったわけでございます。
写真は向かいの駐車場からの写真です。
派手だけど、威風堂々って感じですよね。
この石垣は何だか意味ありげです。
読みづらいのですが、昔の大坂城用の城郭の石が関門海峡に沈んでいて、
それを譲り受けてこの石垣を造ったということですね。
知りませんでした。いつからこの石垣できていたんでしょうね。
この水天門は僕らの小学校時代から出来ていましたよね。
こっちの楼閣の方は、以前からあったのでしょうか?
平成になってから出来たようです。
よく見ると大きな太鼓ですね。これが出来てからたぶん二回は訪れていると
思いますが、見えてはいたんでしょうが、見てはいなかったのですね、
こんなに大きな太鼓なのにね。
赤間神宮の戦後の再建には二つの企業(大洋漁業と関門港湾)の多大な貢献を
抜きに語れない。戦後は大洋漁業さん、昭和後期と平成は関門港湾さんの篤志
が赤間神宮の地位を揺るぎないものにした。
まっこと乱暴なまとめ方だけど、こんな感じなのかしら。
灯籠の側面に彫られていました。
大洋漁業は社名を変え、本社も下関にはありません。
by K
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます