彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

赤間神宮 前編

2011年02月08日 05時47分19秒 | 神社・仏閣
国道9号線の車の中から仰ぎ見る赤間神宮は、


ま、こんな感じで見えるわけですす。通りすぎる時、そういえば
あの水天門はマルハの中部一族の寄進で出来たんだよなと、思い
馳せることもあるだろうけど、まあ、普通は、ああ、いつもの
赤間神宮だとちらっと確認するだけなんですよね。


で、俺達、赤間神宮を知っているようで、知らないんじゃないか、一回
行ってみるべとなったわけでございます。
写真は向かいの駐車場からの写真です。


派手だけど、威風堂々って感じですよね。


この石垣は何だか意味ありげです。


読みづらいのですが、昔の大坂城用の城郭の石が関門海峡に沈んでいて、
それを譲り受けてこの石垣を造ったということですね。
知りませんでした。いつからこの石垣できていたんでしょうね。


この水天門は僕らの小学校時代から出来ていましたよね。


こっちの楼閣の方は、以前からあったのでしょうか?


平成になってから出来たようです。


よく見ると大きな太鼓ですね。これが出来てからたぶん二回は訪れていると
思いますが、見えてはいたんでしょうが、見てはいなかったのですね、
こんなに大きな太鼓なのにね。


赤間神宮の戦後の再建には二つの企業(大洋漁業と関門港湾)の多大な貢献を
抜きに語れない。戦後は大洋漁業さん、昭和後期と平成は関門港湾さんの篤志
が赤間神宮の地位を揺るぎないものにした。
まっこと乱暴なまとめ方だけど、こんな感じなのかしら。


灯籠の側面に彫られていました。
大洋漁業は社名を変え、本社も下関にはありません。

by K

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