彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

「関門海峡・昨今」(ただし、27年前の)

2014年03月09日 18時35分06秒 | 昔の彦島・下関
書棚に突っ込んであった古い雑誌(JAF MATE 1987年10月号)に
当時の(即ち、今から27年前の)関門の記事がありました。


表紙の写真に捕鯨船が写っていて、
その中に「第二十五利丸」と読めるものがあります。
現在も大和町側の水門付近に繋留されていますね。

雑誌なので、記事はそのまま読んでもらおうと、
可能な限り読めるサイズにしたつもりです。
多少読みづらいかもしれませんが、ご容赦。

表題は、「関門海峡・昨今」となっていて、
下関と北九州の関門地区についての紹介記事です。

しかし、記事の中に「今回の取材では彦島方面を主として走り・・」と
あり、ぜひ紹介したいと思った次第です。

最初に目に飛び込んで来るのは、
懐かしい下関漁港を竹崎と海士郷とむすんでいた渡船の
海士郷桟橋です。

この写真の頃は、海士郷と竹崎間だけでしたが、
それでも2隻もあって、乗船客もそれなりにいて
重要な脚であったのですね。

そのページの左に、漁港の写真です。

写真の横に、説明があります。
「下関港埠頭から見た彦島の造船所、その他」
とあり、取材記者にも、当時の彦島の造船所群が
印象に残ったのでしょうね。

現実には、造船不況の真っ只中だった頃ですね。
この記事の年の前後頃でしょうか、林兼造船がその幕を閉じたのは。

ページをめくると
八幡、若松、更に門司の記事が続きます。




そして、門司の和布刈の料亭からの関門海峡の写真が
見開きで載ってました。


僕のA4サイズのスキャナでは一度に撮れず
二枚に撮ったのを「ペイント」でつないだものです。
何せ、ノートパソコンの画面の制約から、どうしても脚部が切れてしまって、
写真中に書かれていた説明がカットされてしまいました。
しかも、サイズが一番小さくなり、迫力に欠ける写真になってしまいました。

更にページをめくると、
関門の魚介類の紹介です。

門司の料亭で出された料理とのことですが、
記者は、唐戸の市場ものぞいてみたようです。

最後にドライブメモが載ってます。

当時は、まだ九州道が小倉東IC~八幡IC間が未開通だったようですね。
彦島への彦島大橋が300円の料金が徴収されるが、
「この橋から小倉方面や響灘の眺めは料金以上のものがある」と絶賛です。

たったこれだけの、こんな感じの記事でしたが、
短い記事ながら、懐かしさを改めて味わったことでした。


by W

最新の画像もっと見る

コメントを投稿