今年も同期会で訪れた下関。
例によって、老の山にも足を運んできた。
老の山に上ると最初に目に入ってくるのは、
いつものように、壕の跡に無造作に積まれた石。
本来、ここには、明治20年に建造されたことを示す記念碑が
はめ込まれていた壕があったのだ。
どんな気持ちでこの石組み(と言えるほどでもない積まれた石群)を
組んだのだろう。。。といつも思ってしまう。
近づいてみると、石の一つ一つが何かを訴えているように思うのは
僕だけだろうか。
今回はじめて気がついたのは、石組み以外にも
要塞の痕跡が目にすることの出来る形で残っていたことだ。
これは、僕らが防空壕と呼んでいた壕の天井部分だろうか。
その脇には、砲台を守る銃座群のひとつだったのだろうかと思われるものも
つつじの間に見ることが出来た。
まだいろいろと地下に残っているのなら、
改めて火の山のよう整備して欲しいと思ってしまった。
今から150年位前の先達が建造した遺跡を整備することは、
たんに建造物と言うことだけでなく、もっと広い意味で
大切なことではないだろうかと改めて思わされたことだ。
遠くから草刈機の音が聞こえてきたので見てみると
広場の雑草を刈っていた。
暑い中、ご苦労様と思いつつ眺めていたが、
出来たら、背の伸びすぎた松の林の頂もチョットばかり
剪定してもらいたいものだとまたおせっかいにも思ってしまった。
せっかくのこの響灘の見晴らし。
木々の額縁なしに眺めてみたいものだ。
by W
例によって、老の山にも足を運んできた。
老の山に上ると最初に目に入ってくるのは、
いつものように、壕の跡に無造作に積まれた石。
本来、ここには、明治20年に建造されたことを示す記念碑が
はめ込まれていた壕があったのだ。
どんな気持ちでこの石組み(と言えるほどでもない積まれた石群)を
組んだのだろう。。。といつも思ってしまう。
近づいてみると、石の一つ一つが何かを訴えているように思うのは
僕だけだろうか。
今回はじめて気がついたのは、石組み以外にも
要塞の痕跡が目にすることの出来る形で残っていたことだ。
これは、僕らが防空壕と呼んでいた壕の天井部分だろうか。
その脇には、砲台を守る銃座群のひとつだったのだろうかと思われるものも
つつじの間に見ることが出来た。
まだいろいろと地下に残っているのなら、
改めて火の山のよう整備して欲しいと思ってしまった。
今から150年位前の先達が建造した遺跡を整備することは、
たんに建造物と言うことだけでなく、もっと広い意味で
大切なことではないだろうかと改めて思わされたことだ。
遠くから草刈機の音が聞こえてきたので見てみると
広場の雑草を刈っていた。
暑い中、ご苦労様と思いつつ眺めていたが、
出来たら、背の伸びすぎた松の林の頂もチョットばかり
剪定してもらいたいものだとまたおせっかいにも思ってしまった。
せっかくのこの響灘の見晴らし。
木々の額縁なしに眺めてみたいものだ。
by W
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