1897年(明治20年)の彦島南部の地形図です。
これが今の彦島南部です。
①福浦湾は江戸時代初期には、少なくとも福浦口までは海だったのでしょうね。
また塩浜方面は塩浜の郵便局のあたりまでは、海だったんでしょうね。
②江ノ浦、弟子待、田の首の埋め立ては、始まってます。
③厳流島は本来の姿のままですね。
④江浦商店街は、どうして道幅が狭くて湾曲してるんだろうと思ってたのですが、
元々の海岸線の道だったんですね。
江も浦も入江という意味です。
地名には昔の姿がインプットされています。安易に変えちゃいけないよね。
⑤ようく見ると、田の首の左横の丘陵には、筋山砲台が記されています。
前回の彦島北部の地形図にも、老の山の砲台が記されているんですよ。
By K
もっといろいろ聞いておけばよかったです。