彦中三八ブログ 

彦島中学校を昭和38年3月に卒業した同期生のためのブログ。 掲示板「彦中昭和38年卒同期会」にもお立ち寄りください。

彦島&下関の地形図の今昔②

2014年02月04日 21時49分59秒 | 昔の彦島・下関

1897年(明治20年)の彦島南部の地形図です。


これが今の彦島南部です。


①福浦湾は江戸時代初期には、少なくとも福浦口までは海だったのでしょうね。
 また塩浜方面は塩浜の郵便局のあたりまでは、海だったんでしょうね。

②江ノ浦、弟子待、田の首の埋め立ては、始まってます。

③厳流島は本来の姿のままですね。

④江浦商店街は、どうして道幅が狭くて湾曲してるんだろうと思ってたのですが、
 元々の海岸線の道だったんですね。
 江も浦も入江という意味です。
 地名には昔の姿がインプットされています。安易に変えちゃいけないよね。

⑤ようく見ると、田の首の左横の丘陵には、筋山砲台が記されています。
 前回の彦島北部の地形図にも、老の山の砲台が記されているんですよ。

By K

最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
福浦の金毘羅神宮にいきました (丸山町生まれです)
2020-02-17 18:02:48
もう何十年も前です。父が福浦で鉄工所をやっていました。進学で下関を離れる何日か前に金毘羅神宮の階段を一緒に登りました。頂上からの景色を思い出せず数十年ぶりに一人で行ってきました。境内はとても荒れていました。裏の坂を下りると蜘蛛の巣がいっぱいで神社がかわいそうでした。歴史のある神社なんですね。階段がまっすぐ急なのがいいですね。
返信する
福浦の金毘羅神宮にいきました (丸山町生まれです)
2020-02-17 18:03:21
もう何十年も前です。父が福浦で鉄工所をやっていました。進学で下関を離れる何日か前に金毘羅神宮の階段を一緒に登りました。頂上からの景色を思い出せず数十年ぶりに一人で行ってきました。境内はとても荒れていました。裏の坂を下りると蜘蛛の巣がいっぱいで神社がかわいそうでした。歴史のある神社なんですね。階段がまっすぐ急なのがいいですね。
返信する
ダブってすみません (丸山町生まれです)
2020-02-17 18:16:26
父の鉄工所は25年くらい前にスーパーマーケットの駐車場用地に売られましたが、現役中は造船所に何か材料を作っては運んでいました。
もっといろいろ聞いておけばよかったです。
返信する

コメントを投稿