この通学路と福浦口から来る通学路が、難しいのです。
当時と道は大体同じでも、周辺の景色は全く変わっています。
「ここ、どこ?」「え1?あの通学路!? 変わったわね!!」で
終わりでしょうね。懐かしいと感じるのは、わずかに彦中に
上がる坂ぐらいでしょう。
航空写真(昭和36年、僕達二年生)
青い線が弟子待・杉田方面の生徒の通学路です。
赤い線の迂回路もたまには通ったかなと推測したのですが、
聞くと、やはり青い線の道を通っていたようですね。
地図
写真の番号を入れています。登校時、彦中に向かってを
イメージしてください。各写真も大概その方向で写しています。
例外は⑥と⑩で、それらは撮った方向に矢印を入れています。
①交差点
道路を渡って左側が江浦小学校、右側が元三菱のアパート、
今は県営住宅になっている所です。
以前、江浦小学校の全景写真を撮りましたのは、
県営住宅の奥の方の外階段からでした。
②左手前の門は江浦小学校と同じ敷地内にある幼稚園の門です。
③左は江浦小学校のフェンスです。
④
⑤左右の道は昔はありませんでした。航空写真で矢印を入れた
所です。堀越からJR関門トンネル、江浦小に向かう通学路が
延長されてできた道です。
⑥右を向いて、関門トンネルの方に抜ける道を撮りました。
⑦
⑧左手、この辺にツツミ(溜め池)があったそうです。
坂の途中にありますので、当時は高い土手があったそうです。
⑨ここで、田の首、塩浜、福浦方面から来た生徒と合流します。
⑩合流地点を反対側から撮りました。
右側が塩浜・田の首に行く道、左側が弟子待方面に行く道です。
登校時、ここで同級生に出会い、「ヨーッ」や「やぁー」
「おはよう!」の声が、当時は行き交っていたのでしょう。
⑪もうすぐ彦中です。
⑫彦中に上がる坂です。
⑬今はこれが門になっているのかな?
⑭上がって見ましょう。
⑮
⑯彦中です。ほら門がないでしょう。
by チーム弥生
当時と道は大体同じでも、周辺の景色は全く変わっています。
「ここ、どこ?」「え1?あの通学路!? 変わったわね!!」で
終わりでしょうね。懐かしいと感じるのは、わずかに彦中に
上がる坂ぐらいでしょう。
航空写真(昭和36年、僕達二年生)
青い線が弟子待・杉田方面の生徒の通学路です。
赤い線の迂回路もたまには通ったかなと推測したのですが、
聞くと、やはり青い線の道を通っていたようですね。
地図
写真の番号を入れています。登校時、彦中に向かってを
イメージしてください。各写真も大概その方向で写しています。
例外は⑥と⑩で、それらは撮った方向に矢印を入れています。
①交差点
道路を渡って左側が江浦小学校、右側が元三菱のアパート、
今は県営住宅になっている所です。
以前、江浦小学校の全景写真を撮りましたのは、
県営住宅の奥の方の外階段からでした。
②左手前の門は江浦小学校と同じ敷地内にある幼稚園の門です。
③左は江浦小学校のフェンスです。
④
⑤左右の道は昔はありませんでした。航空写真で矢印を入れた
所です。堀越からJR関門トンネル、江浦小に向かう通学路が
延長されてできた道です。
⑥右を向いて、関門トンネルの方に抜ける道を撮りました。
⑦
⑧左手、この辺にツツミ(溜め池)があったそうです。
坂の途中にありますので、当時は高い土手があったそうです。
⑨ここで、田の首、塩浜、福浦方面から来た生徒と合流します。
⑩合流地点を反対側から撮りました。
右側が塩浜・田の首に行く道、左側が弟子待方面に行く道です。
登校時、ここで同級生に出会い、「ヨーッ」や「やぁー」
「おはよう!」の声が、当時は行き交っていたのでしょう。
⑪もうすぐ彦中です。
⑫彦中に上がる坂です。
⑬今はこれが門になっているのかな?
⑭上がって見ましょう。
⑮
⑯彦中です。ほら門がないでしょう。
by チーム弥生
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます