昨日、気合を入れて書いた投稿文・・・また消えました
キィ~~~~~
気を取り直して。。。。頑張りますゾ~~~
今回の紹介は、『黄金道路』で~~~す。。
日高地方と十勝を経由して釧路地方までをつなぐ国道337号線のうち、十勝管内広尾町広尾橋から、日高管内えりも町庶野までの31・7キロ間の道路を、通称『黄金道路』と呼んでいます。
この道路を造ったときに、大判、小判がザックザックと、、、、、、出て来た訳ではないのですが・・・・・・・・・・・・・
道路造成にともなう、巨額のお金と、大勢の犠牲者を出した為、呼び名として『黄金道路』と名が付いたのです。
少々、歴史を・・・・・
1798年といいますから、江戸時代のことなのですが、近藤重蔵という人物が、鎌と斧で道を切り開いたのが始まりと聞いています。
時は流れ、1926年(昭和2年)から、日勝連絡道路として開発がスタートし、1934年(昭和9年)に開通しました。
先に書いたとおり、約31kmの道路を造るのに、7年もの歳月をかけたのです。
続きは、、、後ほど・・・・
『フンベの滝』です。
『フンベ』というのは、アイヌ語で、『鯨』という意味です。。あまり良くわかんない。。。。けど・・・・・
この滝は、冬になると凍結して、きれいな氷の造形を見せてくれるのですが・・・・ちょっと早かった。。。
十勝最南端の場所、『音調津』です。
読める?? ムフ
あ~、、、気色悪いとは、言わないで~~~
『音調津』。。。おしらべつと読みます。。
『音調津』とは、アイヌ語で、『オシララウンペッ』が語源になります。訳すと、『川口に岩礁のある川』となるそうです。。。。
音調津潮騒太鼓という伝統芸能が今でも残っている場所で、祭り時期に行くと、その調べを聴くことが出来ます。。。。
さて、歴史の続きを・・・・・・
・・・・・、、、、、
残り紙面が少ね~~~~~
という事で、、、、、
すみません。。。続きは、明日!
キィ~~~~~
気を取り直して。。。。頑張りますゾ~~~
今回の紹介は、『黄金道路』で~~~す。。
日高地方と十勝を経由して釧路地方までをつなぐ国道337号線のうち、十勝管内広尾町広尾橋から、日高管内えりも町庶野までの31・7キロ間の道路を、通称『黄金道路』と呼んでいます。
この道路を造ったときに、大判、小判がザックザックと、、、、、、出て来た訳ではないのですが・・・・・・・・・・・・・
道路造成にともなう、巨額のお金と、大勢の犠牲者を出した為、呼び名として『黄金道路』と名が付いたのです。
少々、歴史を・・・・・
1798年といいますから、江戸時代のことなのですが、近藤重蔵という人物が、鎌と斧で道を切り開いたのが始まりと聞いています。
時は流れ、1926年(昭和2年)から、日勝連絡道路として開発がスタートし、1934年(昭和9年)に開通しました。
先に書いたとおり、約31kmの道路を造るのに、7年もの歳月をかけたのです。
続きは、、、後ほど・・・・
『フンベの滝』です。
『フンベ』というのは、アイヌ語で、『鯨』という意味です。。あまり良くわかんない。。。。けど・・・・・
この滝は、冬になると凍結して、きれいな氷の造形を見せてくれるのですが・・・・ちょっと早かった。。。
十勝最南端の場所、『音調津』です。
読める?? ムフ
あ~、、、気色悪いとは、言わないで~~~
『音調津』。。。おしらべつと読みます。。
『音調津』とは、アイヌ語で、『オシララウンペッ』が語源になります。訳すと、『川口に岩礁のある川』となるそうです。。。。
音調津潮騒太鼓という伝統芸能が今でも残っている場所で、祭り時期に行くと、その調べを聴くことが出来ます。。。。
さて、歴史の続きを・・・・・・
・・・・・、、、、、
残り紙面が少ね~~~~~
という事で、、、、、
すみません。。。続きは、明日!
確かに、昔と比べると良くなりました。
まあ、北海道の道路は、皆そうかな(大笑)
大昔(^^;に比べると良い道になりましたね。
続きが待ち遠しいです・・・(^^;