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“優れたマネージャー”が毎日欠かさない「5分習慣」とは?

2021年09月12日 06時49分33秒 | お役立ち情報
管理職は「自分の力」ではなく、「メンバーの力」で結果を出すのが仕事。それはまるで「合気道」のようなものです。管理職自身は「力」を抜いて、メンバーに上手に「技」をかけて、彼らがうちに秘めている「力」を最大限に引き出す。そんな仕事ができる人だけが、リモート時代にも生き残る「課長2.0」へと進化できるのです。本連載では、ソフトバンクの元敏腕マネージャーとして知られる前田鎌利さんの最新刊『課長2.0』を抜粋しながら、これからの時代に管理職に求めらる「思考法」「スタンス」「ノウハウ」をお伝えしていきます。

管理職が胸に刻むべき「言葉」とは?
「一期一会」という言葉があります。

 一般によく知られている言葉ですが、それだけに誤って使われることも多いように感じます。

 例えば、「あの人との出会いは、まさに一期一会だった」などと、「一生で一度の奇跡のような出会い」といった意味で使われることがあります。たしかに、「一期」とは「一生」、「一会」とは「一度限りの出会い」という意味ですから、なんとなく正しいように感じるのですが、これは完全な誤用。本来は、むしろ「逆」の意味が込められた言葉なのです。

 もともと、「一期一会」は茶道に由来する言葉で、千利休が遺した言葉だと言われています。

 そして、「茶会に臨むときには、これまでに何度も招いたことのある客であっても、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであることを心得て、主人・客ともに誠意を尽くす」という心構えを説く言葉なのです。

 つまり、「一生に一度の奇跡のような出会い」をありがたがる言葉ではなく、毎日顔を合わせるような相手であったとしても、「一回一回の出会いを大切にしなさい」と諭す言葉なのです。茶道に限らず、すべての人が胸に刻むべき言葉ではないかと、私は考えています。

 特に、管理職にとって重要なことを示唆しているように思います。

 なぜなら、メンバー一人ひとりと「信頼関係」を築くためには、彼らとのコミュニケーションの一つひとつを大切にすることが不可欠だからです。その積み重ねによってしか、「信頼関係」を築くことなどできないのです。

 ところが、管理職は多忙なうえに、次から次へとメンバーから相談などをもちかけられますから、気持ちの余裕を失いがちで、ついついぞんざいな対応をしてしまうものです。

 しかし、管理職は決して悪意があってそうしているわけではなくても、メンバーは「軽んじられている」「大切にされていない」と感じて、管理職に対する信頼感を傷つけてしまいます。だからこそ、私は、管理職は「一期一会」という言葉を胸に刻まなければならないと考えているのです。

いつまでも悩んでいることには、何も意味がない
 とはいえ、どんなに「一期一会」という言葉を大切にしていても、管理職も“ただの人間”ですから、間違いを避けることはできません。私自身、管理職として間違った対応をしてしまったと思うことはいくつもあります。

 職場でメンバーに声をかけられたときに、ついついパソコン画面から目を離さず受け答えをしてしまうといった「小さな失敗」ならば数え切れないほどありますし、会議中に同席した私の上司に対して、社会人としてあるまじき言葉を投げつけたメンバーを、その場で感情的に叱責してしまったこともあります。そのメンバーとの関係性を修復するのに、かなりの時間を要したのを覚えています。

 それに、どうにも相性が悪く、どうやっても噛み合わないメンバーもいるものです。

 私にも、おそらく自分と相性が合わないことが原因で会社を離れたのではないかと思う人が何人かいます。当時は、そのような結末を迎えてしまったことに自責の念を覚え、かなり長く後悔と懺悔の思いを引きずったものです。

 しかし、あるとき気づきました。

 いつまでも悩んでいたって、いつまでも自分を責めていたって、何も生まれません。すでに相手は会社を退職して、新しい人生に踏み出しています。もう終わったことなのです。にもかかわらず、グズグズと悩んでいたって、元気と自信を失うばかりです。それよりも、そのときの反省を胸に刻んだら、新たに気持ちを切り替えて、目の前のメンバーとしっかり向き合い、日々のマネジメントに全力を尽くすべきなのです。

 そもそも、マネジメントの経験をいくら積んだとしても、失敗するケースをゼロにはできません。マネジメントも結局のところは「人間関係」であり、「人間関係」に正解はありません。どんなに気をつけても、何らかの問題が生じるのが「人間関係」なのです。

 そして、「人間関係」において問題が生じたときに、どちらか一方が100%悪いというケースはほぼないと言っていいでしょう。お互いに落ち度があるからこそ問題が発生するのです。私たちにできるのは、自分の落ち度をしっかりと反省をして、それを修正する努力をすることだけです。いつまでも悩んでいることには、何も意味がないのです。

管理職として成長するための

「最高の習慣」とは?

 ただし、自分を振り返ることは重要です。

 失敗をしたから、問題が発生したから、自分を振り返るのではありません(そういうときに振り返るのは当たり前のことです)。目立った問題もなく、日々が平穏に過ぎていくときでも、日常的に自分を振り返る習慣こそが、管理職には求められているのです。

 その日の出来事を振り返り、「自分の対応は正しかったか?」「なぜ、自分はあのような反応をしたのか?」「あのとき、メンバーは何を思っていただろうか?」「改善すべきことはないか?」などと考える。いわば、「内観」をするわけです。

 こうして、自分の言動を客観的に見つめれば、何かしらの気づきは必ずあるものです。それを、日々繰り返すことによって、自分の言動に微修正を加え続けることが、管理職として成長するうえで決定的に重要だと思うのです。

 その点、私は少々恵まれていたかもしれません。

 というのは、書家というものは、「内観」しなければ書くことができないからです。

 何か文字を書くときに、それが作品として成立するためには、「なぜ、自分はこの言葉を書こうとしているのか?」ということを深く深く考えることが不可欠です。そして、その文字を書く意味を自分の内面でしっかりとつかんだときにはじめて、「どのような筆遣いで、どのような形で書くのか」が見えてきます。そうしたプロセスを経ずに、見る人を納得させる書を生み出すことは不可能なのです。

 このことに気づいたのは大学生のときでしたが、それ以降、私は、年がら年中、「なぜ、書くのか」「自分は何を表現したいのか」と自分と向き合ってきました。いわば、「内観」が習慣化していたのです。

 社会人になって、筆をもつ時間が減ってからも、「内観」の習慣は変わらず続きました。私の場合は、毎晩、風呂につかりながら「内観」するのが習慣で、そのときに、一日を振り返り、「自分のこと」「メンバーのこと」「チームのこと」などに思いを巡らせます。そして、なんらかの反省点を見出し、翌日の行動に結びつける。修正することを決意する。ほんの5分間ほどの習慣ですが、それを毎日毎日続けてきたのです。

 私は、この習慣にずいぶん助けられてきたと実感しています。

 ぜひ、みなさんにも日常生活のなかに取り入れていただきたいと願っています。

 最近、つくづく思うのですが、マネジメントには「これで完璧」という最終到達点などはありません。その意味で、「書道」や「柔道」「剣道」のように「道」を究め続ける、まさに「マネジメント道」のようなものだと思います。

 その「道」を究めていくためには、日々、自らを振り返り、修正を続ける「内観」の習慣が欠かせません。いや、マネジメントにはめざすべき「最終到達点」がないのですから、私たちにできるのは、日々修正を繰り返すことしかありません。その営みをコツコツと積み重ねることによってしか、管理職として成長していくことはできないと思うのです(詳しくは『課長2.0』をご参照ください)。
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