2015年度から、生活保護受給者たちに年一度の「資産申告」が求められている。預貯金を隠さず申告したところ、生活保護を打ち切られた事例もある。生活保護で預貯金を行うことと、その金額を行政が知ることの必要性と問題点を追う。
任意の「資産申告」強制で生活保護中止・打ち切りのケースも
2015年3月31日、厚労省は一通の通知を発行した。「『生活保護法による保護の実施要領の取扱いについて』の一部改正について」と題するこの通知(社援発0331第1号)は、タイトルどおり、生活保護の実施の具体的内容を福祉事務所に示す文書の内容変更を知らせるものだ。ここに、さりげなく盛り込まれたのが、今回のテーマである「資産申告書」問題である。
生活保護を申請する際には、資産・収入など、経済状況を隠さず申告する必要がある。「先日、宝くじが5億円当たり、当選金が隠し口座に入っている」という人に、生活保護を利用していただくわけにはいかないだろう。申請時、現金・預金・動産・不動産などの資産を記入するのが「資産申告書」だ。
2014年度まで、「資産申告書」の提出は、申請時のみであった。しかし2015年度からは、少なくとも年に一回、提出することになった。
通知の該当箇所は、以下のとおりである(下線部は、新しく追加された箇所)。
第3 資産の活用問13 (略)要保護者に資産の申告を行わせることとなっているが、保護受給中の申告の時期等について具体的に示されたい。
答 被保護者の現金、預金、動産、不動産等の資産に関する申告の時期及び回数については、少なくとも12箇月ごとに行わせることとし、申告の内容に不審がある場合には必要に応じて関係先について調査を行うこと。 不動産の保有状況については、 少なくとも固定資産税にかかる不動産評価額の評価替え(3年ごと)の際に併せて被保護者から書面により申告を行わせ( 固定資産税納税通知書がある場合は写しを提出させること。)、 必要がある場合は、更に訪問調査等により的確に把握すること。(下線部は筆者による)
下線部が、新規に盛り込まれた部分だ。
まず、資産申告書の提出は少なくとも年に1回と定められた。現在のところは任意であるけれども、ケースワーカーに「提出してください」と言われて「任意なんでしょう? なら、出しません」と言える人は多くはないだろう。
また、持ち家などの不動産がある場合、3年ごとに評価額を申告することになった。「ボロ家だけど住み慣れた小さな持ち家があって、とりあえず住んでいられる」という人が生活保護を申請した場合、その家の資産価値がよほど高額でない限り、引き続き住み続けることが可能だ。しかし今後は、何らかの事情で地価が上昇した場合、それが理由で売却を求められ、『転居して生活保護か、生活保護を断念して今の住まいか』の究極の選択を迫られる可能性もあるかもしれない。その問題が表面化するのは通知から3年後、2018年4月以後のことになる。
生活保護は貯金を前提としていないが、貯金をすること自体は禁じられていない。生活保護の保障する「健康で文化的な最低限度」は、現金・現物の給付で実現されるのだが、それらの給付ではカバーされない部分が、実際には数多く存在する。このため、
「最低限度の生活を前提とした保護費で、最低限度以下の生活をして貯金を作り、生活保護でカバーされない何かに備える」
が必要になる。すなわち、生活保護制度が現在すでに「健康で文化的な最低限度」を保障できておらず、穴だらけになっているため、生活保護で暮らしている各人各世帯の自助努力で「穴」を塞ぐ必要があるということだ。 その、生活保護の「穴」を塞ぐために、爪に火を灯して作った貯金を、「資産申告書」で申告することになった。あくまでも任意、生活保護の人々の協力によって提出するものであるはずなのに、事実上の強制が行われていたり、「ケースワーカーの目の前で財布の中身を全部出させられた」という屈辱的な扱いが行われていたりする。また、「生活保護を受けずに暮らせる貯金があるから」という理由で、生活保護の中止・打ち切りも行われている。その人々は、せっかくの貯金を使いきったら、また生活保護を申請するしかない。すると、また「貯金ゼロ」からのスタートだ。
どうしても、賽の河原で石を積んでは鬼に崩される子どもたちを連想してしまう「資産申告書」問題に関し、ケースワーカー経験を持つ長友祐三氏(埼玉大学教授・社会福祉学)、東京都内の生活保護の現場で働く現役のベテランケースワーカー・田川英信氏、支援団体の立場で生活保護の実態を深く知る安形義弘氏(全国生活と健康を守る会連合会・会長)に、現状・問題点・解決策を説明していただいた。
「資産申告書」によって起きている生活保護ケースワーカーの“横暴”
生活保護で暮らす人々に近い立場の安形(あがた)義弘氏は、実際に起こっている「生活保護打ち切り」や、一部の福祉事務所や生活保護ケースワーカーの「横暴」としか言いようのない扱いを憂慮する。
「ケースワーカーが訪問調査のときに、資産申告書の記入を求め、その時、財布の中身を全部テーブルに出させられた方がいます。また、預金通帳を見せたところ、『タンス預金しているのと違うか』『バイクを買い換えたのと違うか』と詮索された方もいます。強制ではないと言いながら『何も不正なことをしていないのなら、提出しなさい』と言われたという方もいます」(安形氏)
もちろん、「ケースワーカーが、受け持っている生活保護世帯の資産を、正確に知っておきたい」と考えること自体は、不自然ではない。たとえば、「ある時期から急激に貯金が増加した」という場合、もしかすると「こっそり就労して収入を申告せず貯金している」ということなのかもしれない。これは、れっきとした不正受給だ。しかし、生活保護で暮らす人々から生気や活力を奪う行為が「適正」だとは思えない。それが「納税者の理解」を得るために必要だと言われても、その「納税者」でもある私は、どうも納得できない。
税務申告は遅れ遅れかギリギリか、非課税になる年も多いフリーランサーではあるけれども、納税できる年には納税してきた。給与所得者であったときには、天引きで納税してきた。納税する以上は、公共の利益のために使って欲しいと思う。生活保護に関して私の考える「公共の利益」は、生活保護で暮らしている人々が、生活保護制度によってエンパワメントされ、元気に楽しそうに生活することだ。
もしも本人が就労を希望しており、なおかつ就労が可能なのならば、ご本人が魅力を感じる仕事で生き生きとやりがいを持って働き、ご本人の考えるワーク・ライフ・バランスの実現された生活をしてほしい。現実に起こり続けてきていることは、ほとんど、その正反対なのだが。
「資産申告書の提出を求められて不眠症になってしまい、精神科で睡眠導入剤の処方を受けることになってしまい、それでも眠れないという方もいます」(安形氏)
生活保護で暮らす方々は、「経済的にタイトな暮らし」というストレスに日常的にさらされている。そこに新しいストレスを加えれば、簡単に病んでしまうだろう。そして生活保護費の医療費が増えることになる。
「就労していて、もちろん毎月、収入申告を行っている方が、改めて資産申告書の提出を求められて、『こっそり悪いことをしているのではないか』と疑いの目で見られているようだ、という思いを語られたりもしています」(安形氏)
いったん税金を「使う」側に立つと、役所から「性悪説」で見られがちだ。その地域の役所の「性悪説」が住民に伝われば、ご近所さんも、友人知人も、自分を「性悪説」と疑いの目でしか見なくなるかもしれない。この事情は障害者も同じだ。中途障害者は、障害者になることで、障害によるハンデとともに「性悪説で見られる」という日常的なストレスを背負うことになる。その不条理感は、カミュ「変身」の主人公にも匹敵するかもしれない。私自身、パワーダウンしているときに福祉事務所方面から疑いの視線を向けられると、「こんなことをされないためには、死ぬしかないのだろうか」という思いにかられる。
生活保護打ち切りはケースワーカー次第という恐怖
それでも、理不尽な思いをさせられるだけで済めば、まだマシかもしれない。生活保護の打ち切りにつながった事例もある。
「貯金について、20万円とか40万円とか勝手に基準を決めて、それ以上あったら生活保護を中止したり打ち切ったりした自治体もあります。厚労省は、一律に金額を決めているわけではないのですが」(安形氏)
貯金が監視されている。しかも、何万円で生活保護が打ち切られるかは、福祉事務所とケースワーカー次第。想像するだけで恐ろしい世界だ。
「預貯金があることを理由に、生活保護を止められるのではないかと不安になっていらっしゃる方、たくさんいます」(安形氏)
命だけは取らないと言いながら、命以外の何もかもを「いいように」するというのなら、もう「生活保護」という名を捨てたほうが良いだろう。人の「生活」を「保護」しているとは言えないからだ。
むしろ、「公共による合法的人身売買を通じた貧困ビジネス」に限りなく近づきつつあるのではないだろうか? もちろん、現在のところ、生活保護だからといって強制労働に従事させられたりするわけではない。しかし、現在すでに存在している前述の運用は、「死なない程度のカネはやる。そのかわり、お前のプライバシーはオレのもの、お前のことはオレが決める」という世界だ。「生存」「生活」が「いいようにされる」の交換条件にされてよいのなら、最近のピケティ・ブームに至るまでの数千年の人類の歩みは、いったい何だったのだろうか?
「生活保護で預貯金を認める流れは、生活保護制度ができてからの長年の歴史の中で積み重ねられてできてきたものです。2004年の最高裁判決で、生活保護世帯の子どもの高校進学のための資産形成が認められるようになり、2005年には厚労省が実施要領に『預貯金は個々の判断で』という記述を入れました」(安形氏)
政権や厚労省による長年の数多くの検討。国会での議論。訴訟を通じての、厚労官僚と生活保護で暮らす人々による事実の確認。1950年以来、連綿と続いてきた気の遠くなる積み重ねが、このままでは「資産申告書」で破壊されてしまいそうだ。日本と日本人の歩みと営みを、このまま「資産申告書」に破壊させてしまってもよいのだろうか?
いまのところは任意、しかし年に1回は生活保護で暮らす人々が提出を求められる「資産申告書」は、それほどの破壊力を秘めている。
「ケースワーカー業務にとって致命的」なぜ貯金を問題にしなくてはならないのか?
現役のベテランケースワーカーである田川英信氏は、
「ケースワーカーにとっても致命的です」
と語る。
「生活保護を利用している方々が、支援ではなく監視の対象になってしまうということなんです。それは、生活保護の方々とケースワーカーとの間の信頼関係と、対極にある考え方です。ケースワーカー業務、支援する業務にとっては、致命的なことです」(田川氏)
そもそも、支給される保護費を、どれだけ貯金に回そうが、支給される金額が変わるわけではない。
「お金を渡した以上は、破綻さえ来さなければ、ご本人の自由です。適切に使わせるために監視する必要があるという意見を持つ方は多いし、現政権も厚労省もそういう考え方ですが……意味が分かりませんね」(田川氏)
貯金のモチベーションの源は、人によってそれぞれだ。「預金残高が増えていくのが嬉しい」だけ、ということもある。受け持っている生活保護世帯に、「綿のはみだした20年前の布団に寝て、ボロボロの衣服しか持っていなくて、下着は穴だらけの1セットだけ、食事はご飯と納豆だけ、でも貯金は100万円」という方がいたら、田川さんはどうするだろうか?
「あまりにも貯金が溜まっている方には、まず、洋服・布団・家電製品などの購入に使っていただくことを働きかけます。保護費の用途、貯める・貯めないは自由なのですが、必要もないのに貯めて、健康でも文化的でもない最低以下の生活をすることは、やはりご本人のために好ましくありませんから」(田川氏)
日本と日本の社会保障の未来今こそ国民的論議を
先ほどの安形氏は、この動きが他の制度に波及することを懸念している。
「今のところは、ひとり親世帯のための児童扶養手当と生活保護だけですが、同じ論理で、公的資金が入っている制度、財源の一部または全部が税金の制度はすべて、『適正化されるべき』と言えるわけです。すると、暮らしに役立つ制度全体が、医療も教育も年金も、利用している人々が同じように監視の対象になりかねません。公務員も、家計簿の公開を求められるかもしれませんね」(安形氏)
元ケースワーカー、現在は研究者である長友祐三氏は、さらに根本的な点を指摘する。
「『健康的・文化的な最低生活とはどういうものか』を、社会の中で、誰もが共有できるようにする必要があると思いますし、そういう生活を構想する必要もあると思います。今のように格差が拡大している時期に、貧困層・低所得層の人々の現実の生活に合わせて『健康で文化的な最低限度』を考えると、その『最低限度』である生活保護のレベルを下げなくてはならなくなりますけれど、人が生活するにあたって必要な最低限度は、その時その時の経済の仕組みや所得で変わるものではありません。それを後退させるのは、おかしいです」(長友氏)
「最低限度」の生活とは、どのようなものであるべきなのだろうか?
「普通の生活、です。『普通の生活を、生活保護でも認める』という考え方のベースが必要なんだと思います」(長友氏)
もちろん、十分な生計の手段を持たない人々に対する給付である以上、「年収1000万円の人と同じ生活」というわけにはいかないだろう。
「でも、『これは認めてよい最低部分か、そうではなく認められないゼイタクなのか』に、多くの方々が着目すること自体、不自然なんです。普通の生活に含まれる可能性があるものは、生活保護でも、すべて認められるべきです。今、必要なのは、『健康で文化的な生活』の最低限度に関する議論です」(長友氏)
「健康で文化的な生活」の内容と、「最低限度だけど、健康で文化的」の最低ラインには、ここ数年、日本の社会保障・社会福祉に真剣な関心を向けている人々の多くが、引き上げ派・引き下げ派ともども注目している。ぜひ、国民的大論議を巻き起こしたいものだ。
ダイヤモンド・オンライン
みわよしこ
任意の「資産申告」強制で生活保護中止・打ち切りのケースも
2015年3月31日、厚労省は一通の通知を発行した。「『生活保護法による保護の実施要領の取扱いについて』の一部改正について」と題するこの通知(社援発0331第1号)は、タイトルどおり、生活保護の実施の具体的内容を福祉事務所に示す文書の内容変更を知らせるものだ。ここに、さりげなく盛り込まれたのが、今回のテーマである「資産申告書」問題である。
生活保護を申請する際には、資産・収入など、経済状況を隠さず申告する必要がある。「先日、宝くじが5億円当たり、当選金が隠し口座に入っている」という人に、生活保護を利用していただくわけにはいかないだろう。申請時、現金・預金・動産・不動産などの資産を記入するのが「資産申告書」だ。
2014年度まで、「資産申告書」の提出は、申請時のみであった。しかし2015年度からは、少なくとも年に一回、提出することになった。
通知の該当箇所は、以下のとおりである(下線部は、新しく追加された箇所)。
第3 資産の活用問13 (略)要保護者に資産の申告を行わせることとなっているが、保護受給中の申告の時期等について具体的に示されたい。
答 被保護者の現金、預金、動産、不動産等の資産に関する申告の時期及び回数については、少なくとも12箇月ごとに行わせることとし、申告の内容に不審がある場合には必要に応じて関係先について調査を行うこと。 不動産の保有状況については、 少なくとも固定資産税にかかる不動産評価額の評価替え(3年ごと)の際に併せて被保護者から書面により申告を行わせ( 固定資産税納税通知書がある場合は写しを提出させること。)、 必要がある場合は、更に訪問調査等により的確に把握すること。(下線部は筆者による)
下線部が、新規に盛り込まれた部分だ。
まず、資産申告書の提出は少なくとも年に1回と定められた。現在のところは任意であるけれども、ケースワーカーに「提出してください」と言われて「任意なんでしょう? なら、出しません」と言える人は多くはないだろう。
また、持ち家などの不動産がある場合、3年ごとに評価額を申告することになった。「ボロ家だけど住み慣れた小さな持ち家があって、とりあえず住んでいられる」という人が生活保護を申請した場合、その家の資産価値がよほど高額でない限り、引き続き住み続けることが可能だ。しかし今後は、何らかの事情で地価が上昇した場合、それが理由で売却を求められ、『転居して生活保護か、生活保護を断念して今の住まいか』の究極の選択を迫られる可能性もあるかもしれない。その問題が表面化するのは通知から3年後、2018年4月以後のことになる。
生活保護は貯金を前提としていないが、貯金をすること自体は禁じられていない。生活保護の保障する「健康で文化的な最低限度」は、現金・現物の給付で実現されるのだが、それらの給付ではカバーされない部分が、実際には数多く存在する。このため、
「最低限度の生活を前提とした保護費で、最低限度以下の生活をして貯金を作り、生活保護でカバーされない何かに備える」
が必要になる。すなわち、生活保護制度が現在すでに「健康で文化的な最低限度」を保障できておらず、穴だらけになっているため、生活保護で暮らしている各人各世帯の自助努力で「穴」を塞ぐ必要があるということだ。 その、生活保護の「穴」を塞ぐために、爪に火を灯して作った貯金を、「資産申告書」で申告することになった。あくまでも任意、生活保護の人々の協力によって提出するものであるはずなのに、事実上の強制が行われていたり、「ケースワーカーの目の前で財布の中身を全部出させられた」という屈辱的な扱いが行われていたりする。また、「生活保護を受けずに暮らせる貯金があるから」という理由で、生活保護の中止・打ち切りも行われている。その人々は、せっかくの貯金を使いきったら、また生活保護を申請するしかない。すると、また「貯金ゼロ」からのスタートだ。
どうしても、賽の河原で石を積んでは鬼に崩される子どもたちを連想してしまう「資産申告書」問題に関し、ケースワーカー経験を持つ長友祐三氏(埼玉大学教授・社会福祉学)、東京都内の生活保護の現場で働く現役のベテランケースワーカー・田川英信氏、支援団体の立場で生活保護の実態を深く知る安形義弘氏(全国生活と健康を守る会連合会・会長)に、現状・問題点・解決策を説明していただいた。
「資産申告書」によって起きている生活保護ケースワーカーの“横暴”
生活保護で暮らす人々に近い立場の安形(あがた)義弘氏は、実際に起こっている「生活保護打ち切り」や、一部の福祉事務所や生活保護ケースワーカーの「横暴」としか言いようのない扱いを憂慮する。
「ケースワーカーが訪問調査のときに、資産申告書の記入を求め、その時、財布の中身を全部テーブルに出させられた方がいます。また、預金通帳を見せたところ、『タンス預金しているのと違うか』『バイクを買い換えたのと違うか』と詮索された方もいます。強制ではないと言いながら『何も不正なことをしていないのなら、提出しなさい』と言われたという方もいます」(安形氏)
もちろん、「ケースワーカーが、受け持っている生活保護世帯の資産を、正確に知っておきたい」と考えること自体は、不自然ではない。たとえば、「ある時期から急激に貯金が増加した」という場合、もしかすると「こっそり就労して収入を申告せず貯金している」ということなのかもしれない。これは、れっきとした不正受給だ。しかし、生活保護で暮らす人々から生気や活力を奪う行為が「適正」だとは思えない。それが「納税者の理解」を得るために必要だと言われても、その「納税者」でもある私は、どうも納得できない。
税務申告は遅れ遅れかギリギリか、非課税になる年も多いフリーランサーではあるけれども、納税できる年には納税してきた。給与所得者であったときには、天引きで納税してきた。納税する以上は、公共の利益のために使って欲しいと思う。生活保護に関して私の考える「公共の利益」は、生活保護で暮らしている人々が、生活保護制度によってエンパワメントされ、元気に楽しそうに生活することだ。
もしも本人が就労を希望しており、なおかつ就労が可能なのならば、ご本人が魅力を感じる仕事で生き生きとやりがいを持って働き、ご本人の考えるワーク・ライフ・バランスの実現された生活をしてほしい。現実に起こり続けてきていることは、ほとんど、その正反対なのだが。
「資産申告書の提出を求められて不眠症になってしまい、精神科で睡眠導入剤の処方を受けることになってしまい、それでも眠れないという方もいます」(安形氏)
生活保護で暮らす方々は、「経済的にタイトな暮らし」というストレスに日常的にさらされている。そこに新しいストレスを加えれば、簡単に病んでしまうだろう。そして生活保護費の医療費が増えることになる。
「就労していて、もちろん毎月、収入申告を行っている方が、改めて資産申告書の提出を求められて、『こっそり悪いことをしているのではないか』と疑いの目で見られているようだ、という思いを語られたりもしています」(安形氏)
いったん税金を「使う」側に立つと、役所から「性悪説」で見られがちだ。その地域の役所の「性悪説」が住民に伝われば、ご近所さんも、友人知人も、自分を「性悪説」と疑いの目でしか見なくなるかもしれない。この事情は障害者も同じだ。中途障害者は、障害者になることで、障害によるハンデとともに「性悪説で見られる」という日常的なストレスを背負うことになる。その不条理感は、カミュ「変身」の主人公にも匹敵するかもしれない。私自身、パワーダウンしているときに福祉事務所方面から疑いの視線を向けられると、「こんなことをされないためには、死ぬしかないのだろうか」という思いにかられる。
生活保護打ち切りはケースワーカー次第という恐怖
それでも、理不尽な思いをさせられるだけで済めば、まだマシかもしれない。生活保護の打ち切りにつながった事例もある。
「貯金について、20万円とか40万円とか勝手に基準を決めて、それ以上あったら生活保護を中止したり打ち切ったりした自治体もあります。厚労省は、一律に金額を決めているわけではないのですが」(安形氏)
貯金が監視されている。しかも、何万円で生活保護が打ち切られるかは、福祉事務所とケースワーカー次第。想像するだけで恐ろしい世界だ。
「預貯金があることを理由に、生活保護を止められるのではないかと不安になっていらっしゃる方、たくさんいます」(安形氏)
命だけは取らないと言いながら、命以外の何もかもを「いいように」するというのなら、もう「生活保護」という名を捨てたほうが良いだろう。人の「生活」を「保護」しているとは言えないからだ。
むしろ、「公共による合法的人身売買を通じた貧困ビジネス」に限りなく近づきつつあるのではないだろうか? もちろん、現在のところ、生活保護だからといって強制労働に従事させられたりするわけではない。しかし、現在すでに存在している前述の運用は、「死なない程度のカネはやる。そのかわり、お前のプライバシーはオレのもの、お前のことはオレが決める」という世界だ。「生存」「生活」が「いいようにされる」の交換条件にされてよいのなら、最近のピケティ・ブームに至るまでの数千年の人類の歩みは、いったい何だったのだろうか?
「生活保護で預貯金を認める流れは、生活保護制度ができてからの長年の歴史の中で積み重ねられてできてきたものです。2004年の最高裁判決で、生活保護世帯の子どもの高校進学のための資産形成が認められるようになり、2005年には厚労省が実施要領に『預貯金は個々の判断で』という記述を入れました」(安形氏)
政権や厚労省による長年の数多くの検討。国会での議論。訴訟を通じての、厚労官僚と生活保護で暮らす人々による事実の確認。1950年以来、連綿と続いてきた気の遠くなる積み重ねが、このままでは「資産申告書」で破壊されてしまいそうだ。日本と日本人の歩みと営みを、このまま「資産申告書」に破壊させてしまってもよいのだろうか?
いまのところは任意、しかし年に1回は生活保護で暮らす人々が提出を求められる「資産申告書」は、それほどの破壊力を秘めている。
「ケースワーカー業務にとって致命的」なぜ貯金を問題にしなくてはならないのか?
現役のベテランケースワーカーである田川英信氏は、
「ケースワーカーにとっても致命的です」
と語る。
「生活保護を利用している方々が、支援ではなく監視の対象になってしまうということなんです。それは、生活保護の方々とケースワーカーとの間の信頼関係と、対極にある考え方です。ケースワーカー業務、支援する業務にとっては、致命的なことです」(田川氏)
そもそも、支給される保護費を、どれだけ貯金に回そうが、支給される金額が変わるわけではない。
「お金を渡した以上は、破綻さえ来さなければ、ご本人の自由です。適切に使わせるために監視する必要があるという意見を持つ方は多いし、現政権も厚労省もそういう考え方ですが……意味が分かりませんね」(田川氏)
貯金のモチベーションの源は、人によってそれぞれだ。「預金残高が増えていくのが嬉しい」だけ、ということもある。受け持っている生活保護世帯に、「綿のはみだした20年前の布団に寝て、ボロボロの衣服しか持っていなくて、下着は穴だらけの1セットだけ、食事はご飯と納豆だけ、でも貯金は100万円」という方がいたら、田川さんはどうするだろうか?
「あまりにも貯金が溜まっている方には、まず、洋服・布団・家電製品などの購入に使っていただくことを働きかけます。保護費の用途、貯める・貯めないは自由なのですが、必要もないのに貯めて、健康でも文化的でもない最低以下の生活をすることは、やはりご本人のために好ましくありませんから」(田川氏)
日本と日本の社会保障の未来今こそ国民的論議を
先ほどの安形氏は、この動きが他の制度に波及することを懸念している。
「今のところは、ひとり親世帯のための児童扶養手当と生活保護だけですが、同じ論理で、公的資金が入っている制度、財源の一部または全部が税金の制度はすべて、『適正化されるべき』と言えるわけです。すると、暮らしに役立つ制度全体が、医療も教育も年金も、利用している人々が同じように監視の対象になりかねません。公務員も、家計簿の公開を求められるかもしれませんね」(安形氏)
元ケースワーカー、現在は研究者である長友祐三氏は、さらに根本的な点を指摘する。
「『健康的・文化的な最低生活とはどういうものか』を、社会の中で、誰もが共有できるようにする必要があると思いますし、そういう生活を構想する必要もあると思います。今のように格差が拡大している時期に、貧困層・低所得層の人々の現実の生活に合わせて『健康で文化的な最低限度』を考えると、その『最低限度』である生活保護のレベルを下げなくてはならなくなりますけれど、人が生活するにあたって必要な最低限度は、その時その時の経済の仕組みや所得で変わるものではありません。それを後退させるのは、おかしいです」(長友氏)
「最低限度」の生活とは、どのようなものであるべきなのだろうか?
「普通の生活、です。『普通の生活を、生活保護でも認める』という考え方のベースが必要なんだと思います」(長友氏)
もちろん、十分な生計の手段を持たない人々に対する給付である以上、「年収1000万円の人と同じ生活」というわけにはいかないだろう。
「でも、『これは認めてよい最低部分か、そうではなく認められないゼイタクなのか』に、多くの方々が着目すること自体、不自然なんです。普通の生活に含まれる可能性があるものは、生活保護でも、すべて認められるべきです。今、必要なのは、『健康で文化的な生活』の最低限度に関する議論です」(長友氏)
「健康で文化的な生活」の内容と、「最低限度だけど、健康で文化的」の最低ラインには、ここ数年、日本の社会保障・社会福祉に真剣な関心を向けている人々の多くが、引き上げ派・引き下げ派ともども注目している。ぜひ、国民的大論議を巻き起こしたいものだ。
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