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【「慰安婦」日韓合意】強制連行を国連で否定へ 政府、来月初報告へ

2016年01月31日 09時36分05秒 | 歴史問題
 政府は2月15日からジュネーブで開かれる国連女子差別撤廃委員会の第63回会合で、慰安婦問題について「日本政府が発見した資料の中には軍や官憲によるいわゆる『強制連行』は確認できなかった」と報告する。同委員会が政府から提出された報告書を30日までにホームページで公表した。同委員会で政府が慰安婦の強制連行説を否定するのは初めて。慰安婦問題について誤った認識の拡散に利用された国連で、正しい情報を発信しようとする政府の取り組みといえる。

 政府の報告は、委員会から昨年8月に出された質問への回答。回答は冒頭、昨年末に「日韓両政府は慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認した」と説明した。

 その上で、日本政府は「1990年代初頭以降、慰安婦問題が日韓間における政治問題として取り上げられた際、事実関係に関する本格的な調査を行った」として、関係省庁の関連文書、米国国立公文書館での文献、関係者への聞き取り調査などを行ったが、強制連行は「確認できなかった」と説明した。

 元慰安婦らへの「償い金」などを支給した「アジア女性基金」の対象外となった中国や東ティモールなどの元慰安婦への補償や、加害者を訴追する意思については「ない」と回答。慰安婦問題の記述を教科書に復活させる意思があるかどうかとの問いに対しても「日本では国定教科書制度はとっていないため、個別具体の記述について政府として答える立場にない」とした。

 政府は2014年9月にも報告書を提出しているが、アジア女性基金への取り組みや歴代首相のおわびなどの説明にとどまり、間違った認識を正そうとする姿勢は見られなかった。今回の回答は日韓合意にもかかわらず、海外メディアでの報道ぶりが変わっていないことなどを踏まえた判断とみられる。

 また、その内容は事実関係に基づくもので、「国連など国際社会で互いに非難・批判することは控える」との日韓合意に反しないと判断したようだ。


ポツダム宣言受諾の遅れ
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被爆元教師「私も戦犯」 80歳過ぎ遺骨残る戦地へ慰霊 長崎市の塚原さん死去(享年92)

2015年12月29日 09時31分11秒 | 歴史問題
 「戦後70年」の2015年が幕を閉じようとする中、戦争犠牲者を慰霊する旅を続けてきた一人の被爆者が亡くなった。長崎市の元教師塚原末子さん(享年92)。学生時代、東京で少年飛行兵採用試験の採点を担当した体験などから「私も戦犯」と自責の念を強く抱いていた。戦跡を訪ね「あの戦争は何だったのか」の答えを探し続けていた。

 塚原さんは17日、長崎市内のホスピスで息を引き取った。最後に会ったのは、塚原さんの誕生日の10月19日。差し入れたケーキを見てつぶやいた。「フィリピンにいくつもりだったの。誕生日祝いじゃなくて、慰霊の日なのよ」。71年前のそのころ、レイテ沖海戦が始まった。

 80歳を過ぎて慰霊の旅を始めた。アリューシャン列島、ミャンマー、サイパンなどを訪れた。戦時中の重い記憶が塚原さんを突き動かした。

 太平洋戦争開戦の1941年に故郷・長崎を離れ、東京女子師範学校に進学。戦況が悪化していく中で、少年飛行兵採用試験を採点することになった。志願する10代の少年の答案用紙には、血の文字があった。「是非(ぜひ)、採用してください」。軍の担当者に「こういう人から採ったらどうですか」と進言した。

 東京・明治神宮外苑のグラウンドであった学徒出陣壮行式にも参加した。降りしきる雨の中、東条英機首相(当時)と東大生のあいさつ。泣きながら同世代を見送った。

 東京・赤羽の陸軍補給処に動員された時、少年に「お姉さんは人生50年と思っているでしょう。僕たちの人生は18年」と言われた。

 そんな少年たちに頼まれて軍歌を教えた。少年たちは仲間の入隊が近づくと輪をつくって、歌って踊って元気に送り出した。

 「私も戦犯ですよ。手伝いをしたから」。70年たっても消えない思いだった。

     ■     ■

 長崎に戻った塚原さんは、長崎高等女学校の教員になり、45年8月9日を迎えた。爆心地から1・1キロの長崎市茂里町にあった兵器工場に生徒を引率していた。奇跡的に命は助かり、すぐに生徒を捜しに近くの防空壕(ごう)などを回った。苦しむ生徒を見つけたが、助けられなかった。

 「生徒に何もできず、ただ生き残っただけ」。慰霊の旅を続ける一方で、原爆の記憶からは距離を置いていた。8月9日の原爆犠牲者慰霊の式典に参列したのは、一度だけだった。

 10年前には乳がんを患い、乳房を切除した。被爆の影響かと考えた。長年自分を苦しめ、生徒を奪った原爆とは何だったのか。

 それを確かめるように数年前、マリアナ諸島のテニアン島を訪れた。長崎に原爆を投下したB29「ボックスカー」が飛び立った場所だった。

     ■     ■

 塚原さんは、戦時中を振り返りながら「(国から)何も知らされていなかったのよ」とよく口にしていた。自宅には太平洋戦争の映像をまとめたDVD、ホスピスのベッドには戦争の話題や検証に関する新聞の切り抜きが並んでいた。資料を集め、遺骨が残る激戦地に赴く姿は、あの時代に知らされなかったことを埋め、「自分のしたことは仕方なかったのか」と問いかけているようだった。

 国会が安全保障関連法案で揺れていた6月、塚原さんに法案への賛否を尋ねた。「戦争を知らない子が政治家にいる」と批判しつつ、中国の軍備増強を懸念していた。「自国を守るための抑止力は必要」とは言ったが、明確な賛否は答えなかった。

 塚原さんへの取材を通して、私たちが何十年後かに安保法の是非について答え合わせをする時が来ることを暗示されているようにも思えた。

=2015/12/28付 西日本新聞夕刊=
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日本人女性1500人が緊急声明!「慰安婦被害者に謝罪・賠償を」=韓国ネット

2015年10月23日 06時24分22秒 | 歴史問題
2015年10月21日、韓国・聯合ニュースによると、来月1日に開かれる見通しの日韓首脳会談を前に、日本人女性約1500人が、安倍晋三首相に従軍慰安婦問題の解決を求める緊急声明を発表した。


東京大学名誉教授の上野千鶴子さんら約1500人で結成された「慰安婦問題解決の会」は、同日午後に発表した声明で、「日韓首脳会談で慰安婦問題を解決し、日韓関係を正常な状態に戻すことが重要」とし、「日本の首相は決断しなければならない」と訴えた。その上で、「被害者らが納得できる方案を日本政府が提示しない限り、解決は不可能」と述べ、「日本政府は加害事実を認めて謝罪し、被害者らに賠償するべきだ」と主張した。

これについて、韓国のネットユーザーからは以下のようなコメントが寄せられた。

「勇気ある行動に拍手!」
「全ての日本人が安倍首相と同じ考えを持っているわけではないということが分かった。良心を持つ市民らに敬意を表したい」

「慰安婦問題を政治問題ではなく女性の人権問題として考えているようだ。そういうところを見ると、やっぱり日本は先進国だと感じる」
「国籍は関係ない。慰安婦問題は全ての女性の人権問題」

「慰安婦として連行された女性を助けに行かず、日本をまねして慰安所を造った韓国人の方が日本人よりひどい」
「慰安婦被害者はまず、韓国人男性に謝罪を求めるべき。日本軍に連行される女性を黙って見ていただけでなく、日本軍に入隊した人もいたのだから」

「ベトナム戦争の時、韓国軍も同じことをしていた。日本に謝罪を求めるだけでなく、われわれもベトナムに謝罪するべきではないか?」
「日本人がそう出るとは思わなかったから本当に驚いた。慰安婦問題に関心を持ってくれたことに感謝」
「彼女らのうちの1人が日本の首相になったら、日韓間の葛藤はなくなるだろう」(翻訳・編集/堂本)
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【戦後70年】「今の平和は戦った若者らの犠牲の上にある」

2015年08月02日 07時43分08秒 | 歴史問題
 第二次世界大戦中、神風特攻隊を組織する際、隊員を多く輩出した「第10期海軍甲種飛行予科練習生(甲飛10期)」の戦死者を慰霊し続ける男性がいる。兵庫県宝塚市の湯浅正夫さん(89)。甲飛10期の卒業生で、戦地で多くの同期生らの死を見届けた。戦後、甲飛10期の戦死者慰霊碑を市内に設置するのに携わった。今年は戦後70年。「元気に動ける仲間は少なくなったが、今後も慰霊を続けたい」と話している。

 湯浅さんは真珠湾攻撃翌年の昭和17年、16歳のときに母親の反対を振り切って「国のために」と予科練習生に志願。茨城県の土浦海軍航空隊で甲飛10期として訓練を受け、19年2月からフィリピン・レイテ島などを拠点に各地に出撃した。

 同期生も戦場を飛び回った。同10月には甲飛10期を中心に神風特攻隊が編成され、25日にレイテ島沖で米軍の空母を撃沈すると、同期生らは「軍神」とあがめられた。

 湯浅さんは「特攻隊は未成年がほとんどだった。当時は特攻に迷いや疑問はなかったが、今思うとなぜこんなことになったのか」と話す。

 自らも同12月、操縦士ごと目標に突撃する特攻兵器「桜花」を投下する「神雷部隊」に所属。部隊では計56機の桜花が特攻し、部下の死も見届けた。

 甲飛10期は約千人の卒業生のうち777人が戦死した。夜の闇の中で米軍の航空機に機関銃で攻撃された時のことや、倒れた戦友の姿が今も夢に出る。「帰ってこなかった仲間のことが重たくのしかかっている」

 終戦後に仕事のため宝塚市に転居。市内にある寺院「宝塚聖天」に昭和53年、戦没者を悼む大光明殿が建てられると、戦没者の慰霊祭を始めた。平成6年には大光明殿の傍らに、同期生らとともに甲飛10期の慰霊碑を設置。慰霊祭は参列者の高齢化が進んだため19年にやめたが、毎月、慰霊碑に参り続けている。

 「今の平和は日本を守るために戦った若者らの苦しみや犠牲の上にある」。そのことを決して忘れてはならない、と湯浅さんは心に刻む。
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元慰安婦が天皇陛下や安倍首相、産経新聞などを提訴の構え 2000万ドルの損害賠償 米国の裁判所に

2015年06月24日 06時49分42秒 | 歴史問題
聯合ニュースによると、韓国の元慰安婦の女性らが23日、共同生活する京畿道広州の施設「ナヌムの家」で記者会見し、日本政府が7月までに謝罪と慰安婦問題の積極的解決策を示さない場合、2000万ドル(約24億7000万円)の損害賠償訴訟を米サンフランシスコ連邦地裁に起こす方針を明らかにした。

 訴訟対象は、天皇陛下と安倍晋三首相、三菱重工業などの米国進出企業のほか、産経新聞も含む計画だという。
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