昨日も苦しい試合だった。
先の中日戦で酷使した藤川投手を、休ませたい横浜戦のはずだった。
5点差を2点差まで詰められ、八回はウィリアムス投手で抑えた。
そして九回だった。
指揮官が切ったカードが、吉野投手だった。
石井選手、藤田選手、金城選手を内野ゴロ3つで締め、勝利の輪の中で、吉野投手の温和な笑顔が弾けた。
吉野投手にとって00年にプロ初登板を飾った横浜戦だが、転落もこの地だった。
03年Vセットアッパーの栄光から、04年には、開幕前に左手指を痛めると、4月7日に1回8失点と炎上した。
自信を失った同年は23試合で防御率16.76の成績だった。
昨年はたった12試合の登板だった。
そして背番号21を“剥奪”された(現47)背水の今季も、大半が二軍暮らしだった。
トレード候補の“常連”は「とにかく投げたい。チャンスが欲しい」と心の叫びを続けた。
九回、ニヤリと笑いながら“吉野”を告げた岡田監督だった。
吉野投手はまさに人生をかけて、這い上がった。
8月25日に再登録されると、同30日の中日戦(甲子園)で福留外野手、翌31日は二死満塁で井上選手を斬り、自信を取り戻すと、巡ったこの舞台だった。
その答えは復活を示す渾身の12球だった。
「抑えられる投手を投げさせただけや。左なら吉野が使える。(いい時に)戻っとる」と岡田監督の言葉からも、信頼の2文字が浮かぶ。
今季わずか4試合目の左腕で締めて、4連勝。
残り27試合、大きな力を得た事になる。
「色々あったけれど、上でまたチャンスをもらってうれしいし、本当に新鮮な気持ち」と吉野投手は語る。
先の中日戦で酷使した藤川投手を、休ませたい横浜戦のはずだった。
5点差を2点差まで詰められ、八回はウィリアムス投手で抑えた。
そして九回だった。
指揮官が切ったカードが、吉野投手だった。
石井選手、藤田選手、金城選手を内野ゴロ3つで締め、勝利の輪の中で、吉野投手の温和な笑顔が弾けた。
吉野投手にとって00年にプロ初登板を飾った横浜戦だが、転落もこの地だった。
03年Vセットアッパーの栄光から、04年には、開幕前に左手指を痛めると、4月7日に1回8失点と炎上した。
自信を失った同年は23試合で防御率16.76の成績だった。
昨年はたった12試合の登板だった。
そして背番号21を“剥奪”された(現47)背水の今季も、大半が二軍暮らしだった。
トレード候補の“常連”は「とにかく投げたい。チャンスが欲しい」と心の叫びを続けた。
九回、ニヤリと笑いながら“吉野”を告げた岡田監督だった。
吉野投手はまさに人生をかけて、這い上がった。
8月25日に再登録されると、同30日の中日戦(甲子園)で福留外野手、翌31日は二死満塁で井上選手を斬り、自信を取り戻すと、巡ったこの舞台だった。
その答えは復活を示す渾身の12球だった。
「抑えられる投手を投げさせただけや。左なら吉野が使える。(いい時に)戻っとる」と岡田監督の言葉からも、信頼の2文字が浮かぶ。
今季わずか4試合目の左腕で締めて、4連勝。
残り27試合、大きな力を得た事になる。
「色々あったけれど、上でまたチャンスをもらってうれしいし、本当に新鮮な気持ち」と吉野投手は語る。