歴史に学ぶ人事・経営論

横浜の社会保険労務士・行政書士関口英樹です。

経営者のリーダーシップについて

2021-05-11 16:30:20 | 歴史に学ぶ人事経営論
島津家16代目当主となった島津義久。
四兄弟の長男である義久は、勇猛な弟たちと比較され、「愚兄賢弟の見本」と陰口を叩かれる人物だったが、祖父忠良からはその器を評されていた。

2番目の弟義弘は、戦国最強とうたわれた戦上手。
朝鮮出兵では、「鬼島津」の異名を取るほどの猛将だ。
四番目の弟家久も、義弘に引けを取らない猛将だ。

天下分け目の関ヶ原の合戦の少し前。
義久は、家督を弟の義弘に譲り、隠居した。
しかし、薩摩で呑気に暮らしていたわけではない。
政情を見極め、島津家のご意見番として役割を果たしていた。
つまり、現代風の言葉でいう社長引退後の会長だ。

島津家を継いだ義弘は、関ヶ原の合戦では、石田三成率いる西軍についた。
「徳川家康に挑むには、兵力が足りません。増兵をお願いします。」
国元の義久に派兵を依頼。
しかし、義久は、その要求を拒み続けた。
その結果、義弘は、わずか1500の兵力で、関ヶ原の合戦に挑むことになった。

しかしながら、史実のとおり、西軍は敗北。
義弘は、命からがら薩摩に逃げ帰ってきた。

合戦終了後、家康は、西軍に加担した武将の家を、次々に取り潰しにかかっていた。
島津家としては、弟義弘にすべての責任をなすりつけ、身柄を家康に引き渡し、お家の存続を図るのが、安全策なのだが・・。

そんな中、隠居した義久は、弟義弘を桜島に隠し、家康に手紙を送った。
「この度は、弟義弘の不手際もあり、西軍に加担致しましたが、当家としましては、家康殿に背く意思はございません。何卒、寛大なご措置のお取り計らいを。」

責任を個人に押し付けるのではなく、家全体の責任としたのだ。
結果として、島津家は、江戸時代を無事に乗り越え、強い結束力で明治時代を迎えるに至った。

「実務は部下に任せ、責任は自らが取る。」
義久のリーダー像は、理想の姿ではないだろうか?



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