日本では法事などでお寺に行っても、お坊さんが唱えるお経の意味が全く解らないとよく言われます。そんな中で、もともとは漢文の経典であるものを漢文書き下し和文にしたお経は比較的理解がしやすいと思われます。それでも、漢文の経典で使われている漢字が通常の日本語では使われていないものも多く、なかなか容易に理解ができるとまでは言えません。
そこで、前に紹介した漢文書き下し和文の遺教経を取り上げ、この経典で使われている難解な漢字を意味が変わらない事に注意しながら、日常的に使われている日本語に変換し、耳で聞いただけで理解出来るような経文に編纂してみました。
この経の登場人物は3人(経の作者、釈尊、アヌルッダ)がいますので、誰の言葉か分かりやすいように文頭の(赤字)内に明示しています。
尚、その他の(青字)、「青字」、[青字]も私が注釈的に入れたもので、原文にはありません。
(ふり仮名付きの経文はこちらを参考にしてください)
遺教経
(経の作者の解説文)
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、初めに法輪を転じててコーンダンニャを度し、最後の説法にシュバッダラを度したもう。
まさに度すべき所の者は皆すでに度し終わりて、沙羅双樹の間に於いて、まさに涅槃に入りたまわんとす。
この時、中夜(ちゅうや)寂然として音無し。諸々の弟子の為に略して法要を説きたもう。
(釈尊の言葉)
[戒律]
汝等(なんだち)比丘(びく)、我が滅後に於いてまさに戒律を尊重し敬うべし。
闇に明に会い、貧人の宝を得るが如し。まさに知るべし、これは即ち是れ汝等が大師なり。もし我れ世に住するともこれに異なること無けん。
浄戒をたもたん者は、商売・貿易し、田宅(でんたく)を所有し、使用人・奴隷・家畜を保持することを得ざれ。一切の種子・穀物)及び諸々の財宝、皆まさに火煙を避けるが如く遠離すべし。
草木を伐採し、土を耕し、地を掘り薬を調合し、吉凶を占い、星座を観察し、月の満ち欠けを推量し、暦を計算することを得ざれ。皆応ぜざる所なり。
身を節し時に食して、清浄に自活せよ。世事に参与し、指令を通知し、呪術し仙薬(せんやく)し、好みを貴人に結び親交慢心することを得ざれ。
皆、まさになすべからず。まさに自ら端心正念して度を求むべし。欠点を隠し、異を顕(あら)し衆を惑わすことを得ざれ。
四供養(しくよう)に於いて量を知り足ることをしるべし。趣(わず)かに供事を得てまさに蓄積すべからず。これ即ち略して持戒の相を説く。
戒は是れ正順解脱の本なり。故に戒律と名づく。この戒に依因すれば、諸々の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得。
是の故に比丘、まさに浄戒を保ちて誹謗すること勿るべし。もし人、能く浄戒を保てば、これ即ち能く善法有り。若し浄戒無ければ諸善の功徳、皆生ずことを得ず。
これを以て まさに知るべし。戒は第一安穏功徳の住居たることを。
[五根、五欲]
汝等比丘すでに能く戒に住す。まさに五根を制すべし。放逸にして五欲に入らしむること勿れ。
例えば牛飼人、杖を執って之を視せしめて、奔放にして人の田地(でんち)を犯さしめざるが如し。
もし五根をほしいままにすれば、唯五欲のまさに際限無くして制すべからざるのみにあらず、亦、悪馬の轡(くつわずら)を以て制せざれば、まさに人を牽(ひ)きて穴に墜(お)とさんとするが如し。
盗賊の害を被(こう)るが如くんば、苦一世に止まる。五根の賊は禍(わざわい)累世に及ぶ。害たること甚だ重し。慎まずんばあるべからず。
この故に智者は五根を制して而も従わず。これを持すること賊の如くにして、奔放ならしめざれ。たとえ之をほしいままにするとも、皆また久しからずして其の磨滅を見ん。
この五根は心(しん)を其の主と為す。是の故に汝等まさに好く心(しん)を制すべし。心(しん)の恐るべきこと毒蛇・悪獣・怨賊(おんぞく)・大火よりも甚だし。甚大なること未だ喩えとするに足らず。
例えば、人あって手に蜜壺を執って、動転狂乱して、但だ蜜のみを観て穴を見ざるが如し。又、狂象の鉤なく猿の樹を得て動転狂奔し、禁制すべきこと難きが如し。まさにすみやかに之をとりひしいて放逸せしむること無かるべし
。この心(しん)をほしいままにすれば、人の善事を失う。 これを一処に制すれば、事として辨ぜずということ無し。この故に比丘、まさに勤めて精進して汝が心を折伏すべし。
[飲食]
汝等比丘、諸々の飲食を受けてはまさに薬を服するが如くすべし。好きに於いても、悪きに於いても、増減を生ずる勿れ。
わずかに身を支えることを得て、以て飢渇を除け。蜂の花を採るに、但だ其の味わいのみを取って色香を損ぜざるが如し 。
比丘も亦しかなり。人の供養を受けてわずかに自ら苦悩を除け。多くを求めて、その善心を壊すること勿れ。例えば智者の、牛力の堪うる所の多少を推量して、分に過ごして以てその力を尽くさしめざるが如し。
[惰眠]
汝等比丘、昼は即ち熱心に善法を修習して時を失うこと無かれ。初夜にも後夜にも亦、廃すること勿れ。中夜に誦経して以て自ら消息せよ。
惰眠の因縁を以て一生を空しく過ごして所得無からしむること勿れ。まさに無常の火の諸々の世間を焼くことを念じて、早く自度を求むべし。
惰眠すること勿れ。諸々の煩悩の賊、常に伺って人を殺すこと、怨家よりも甚だし。いずくんぞ惰眠して自らを覚醒せざるべき。
煩悩の毒蛇、睡)って汝が心(しん)に在り。例えば黒蛇の、汝が室に在って眠るが如し。まさに持戒の鉤を以て早くこれを除去すべし。睡蛇既に出なば即ち安眠すべし。出でざるに而も眠れるはこれ恥じなき人なり。
[慙愧]
慙愧(ざんき)は、諸々の荘厳に於いて最も第一なりとす。恥じる心は鉄鉤の如く能く人の非法を制す。この故に比丘、常にまさに慙愧(ざんき)すべし。しばらくも捨つること勿れ。
もし慙愧を離すれば、即ち諸々の功徳を失す。反省ある人は、則ち善法有り。もし反省なき者は、諸々の禽獣と相異なること無し。
[怒り]
汝等比丘、人有って節々に切断するとも、まさに自ら心を摂めて怒りを生ぜしむること無かるべし。
亦まさに口を護るべし。悪言を出すこと勿れ。もし怒りの心をほしいままにすれば、即ち自ら道を妨げ、功徳の利を失す。
忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざる所なり。能く忍を行ずる者は、すなわち名づけて有力の大人と為すべし。
もしそれ罵倒の声を歓喜し忍受して、甘露を飲むが如くすること能わざる者は 、入道智慧の人と名づけず。所以は如何(いかん)となれば、怒りの害は、即ち諸々の善法を破り、好名聞を壊す。今世後世の人、見んことを願わず。
まさに知るべし、怒りの心は猛火よりも甚だし。常にまさに防護して入ることを得せしむること勿れ。功徳をかすむるの賊 は、怒りの心に過ぎたるは無し。
白衣受欲非行道の人、法として自ら制すること無きすら、怒りなお恕(なだ)むべし。出家行道無欲の人にして、而も怒りの心(こころ)を懐けるは甚だ不可なり。例えば清冷なる雲の中に雷鳴を起こすは所応に非ざるが如し。
[驕慢]
汝等比丘、まさに自ら頭を剃るべし。既に装飾を捨て、壊色の衣を着し、応量器を保持して、乞を以て自活す。自見かくの如し。
もし驕慢起こらば、まさに速くこれを滅すべし。驕慢を増長するはなお世俗白衣(びゃくえ)の宜しき所に非ず。何に況や出家入道の 人、解脱の為の故に自らその身を降して而も乞を行ずるをや。
[へつらい]
汝等比丘、へつらいの心は道と相違す。この故に宜しくまさにその心を真心(まごころ)を持ってなすべし。
まさに知るべし。へつらいはただ欺瞞なることを。入道の人は即ちこの理なし。この故に汝等、宜くまさに欺瞞なき真心(まごころ)を以って本と為すべし。
(以下1~8は八大人覚と言われる)
1「小欲」
汝等比丘、まさに知るべし。多欲の人は利を求むること多きが故に苦悩また多し。小欲の人は無求無欲なれば即ちこの患い無し。ただ小欲すら尚まさに修習すべし。いかに況(いわん)や小欲の能(よ)く諸々の功徳を生じるをや。
少欲の人は即ちへつらいの心を以て人の意を求むること無し。また諸根(しょこん)に束縛されず。
少欲を行ずる者は、心即ち坦然として恐るる所無し。事に触れて余りあり、常に足らざること無 し。少欲ある者は即ち涅槃あり。これを少欲と名づく。
2「知足」
汝等比丘、もし諸々の苦悩を脱せんと欲せばまさに知足を観ずべし。知足の法は則ち是、富楽安穏の所なり。
知足の人は地上に臥(ふ)すと雖も、猶(な)お 安楽なりとす。不知足の者は、天堂に処(しょ)すと雖も、またこころに称(かな)なわず。
不知足の者は、富めりと雖も而(しか)も貧し。知足の人は、貧しと雖も而(しか)も富めり。不知足の者は常に五欲に牽(ひ)かれて、知足の者の憐憫する所と為る。是を知足と名づく。
3「遠離」
汝等比丘、もし寂静無畏(むい)の安楽を求めんと欲せば、まさに雑踏を離れて一人閑居すべし。静処の人は、帝釈(たいしゃく)・諸天ともに敬重(きょうじゅう)する所なり。
この故にまさに己衆他衆を捨て、空間に独処して滅苦の本を思うべし。もし衆を願う者は、則ち衆悩を受く。例え ば大樹(たいじゅ)の衆鳥これに集まれば、則ち枯折の患い有るが如し。
世間の束縛は衆苦に没す。例えば老象の泥(でい)に溺れて、自ら出でること能わざるが如し。これを遠離と名づく。
4「精進」
汝等比丘、もし勤めて精進すれば、即ち事として難き者なし。この故に汝等、まさに勤めて精進すべし。
例えば細き水の常に流れて、即ち能(よ)く石を穿(うが)つが如し。もし行者の心(こころ)しばしば萎(な)えなば、例えば火をおこすに未だ熱からずして而も止めば、火を得んと欲すと雖も火を得べきこと難きが如し。これを精進 と名づく。
5「不忘念」
汝等比丘、善知識を求め、善護助を求むることは不忘念にしくはなし。もし不忘念ある者は、諸々の煩悩の賊、即ちち入ること能わず。この故に汝等、常にまさに念を摂(おさ)めて心に在(お)くべし。
もし念を失する者は、即ち諸々の功徳を失す。もし念力堅強なれば、五欲の賊の中に入ると雖も為に害せられず。例えば鎧を着て陣に入れば、即ち畏(おそ)るる所無きが如し。これを不忘念と名づく。
6「定」
汝等比丘、もし心(こころ)を摂(おさ)むる者は、心即定 に在り。心(こころ)定に在るが故に、能く世間生滅の法相を知る。 この故に汝等、常にまさに精進して諸々の定を修習すべし。もし定を得る者は、心即ち乱れず。
例えば水を惜(おし)めるの家の、善く貯水池を治するが如し。行者も亦た爾なり。智慧の水の為の故に、善く禅 定を修して漏失せざらしむ。是を名づけて定と為す。
7「知恵」
汝等比丘、もし智慧有れば即ち貪著無し。常に自ら省察して失あらしめざれ。これ即ち我が法中に於いて能く解脱を得。もし、しからざる者は既に道人に非ず。また白衣(びゃくえ)に非ず。名づくる所なし。
実 智慧の者は、即ちこれ老病死の海を渡る堅牢の船なり。亦たこれ無明)闇黒の大明燈なり。一切の病苦の良薬なり。煩悩の樹(き)を伐(き)るの利斧なり。この故に汝等、まさに聞思の智慧を以て、自ら益を増すべし。
もし人智慧の照あれば、肉眼なりと雖も、而(しか)もこれ明見の 人なり。これを智慧となす。
8「不戯論(ふけろん)」
汝等比丘、もし種々の戯論は、その心即ち乱る。また出家すと雖(いえど)も、なお未だ得脱せず。この故に比丘、まさにすみやかに乱心戯論を捨離すべし。
もし汝、寂滅の楽を得(え)んと欲せば、ただまさに善く戯論の患を滅すべし。これを不戯論と名なずく。
(不放逸)
汝等比丘、諸々の功徳に於いて、常にまさに一心に諸々の放逸を捨つること、怨賊を離るるが如くすべし。大悲世尊、欲する所の利益、皆既に究竟す。汝等ただまさに勤めて之を行ずべし。
もしは山、もしは谷に在っても、もしは樹下、閑処、静室に在っても、所受の法を念じて忘失せしむること勿れ。常にまさに自ら勉めて精進して之を修すべし。
為すこと無くして、空しく死せば、後に悔いあることを致さん。我は、 良医の病を知って薬を説くが如し。服すと服せざるとは医の咎(とが)に非ず 。又、善く導くものの、人を善導に導くが如し。これを聞いて行かざるは、導くものの過に非ず。
(四諦)
汝等、もし苦集滅道の四諦に於いて疑う所ある者は、はやく之を問うべし。疑を懐いて決を求めざることを得ること勿れ。
(経の作者の解説文)
爾の時、世尊、是の如く三たび唱えたもうに人、問いたてまつる者無し。所以はいかんとなれば、衆疑い無きが故に。時に、アヌルッダ 、衆の心を観察して仏に申してもうさく。
(アヌルッダの言葉)
世尊、月は熱(あつ)からしむべく、日は冷ややかならしむべくとも、仏の説きたもう四諦は異ならしむべからず。仏の説きたもう苦諦は実にこれ苦なり。楽ならしむべからず。集は真にこれ因なり。更に異因 なし。苦もし滅すれば、即ちこれ因滅す。因(いん)滅するが故に果も滅す。滅苦の道、実にこれ真道なり。更に余道なし。
世尊よ、この諸々の比丘、四諦の中に於いて決定して疑い無し。
この衆中に於いて、所作未だ辨ぜざる者は、仏の滅度を見てまさに悲感有るべし。も し初めて法に入る者有れば、仏の所説を聞いて即ち皆得度す。例えば夜、電光を見て即ち道を見ることを得るが如し。
もし所作既に辨じ、既に苦海を渡る者は、但だこの念を作すべし。世尊の滅度、ひとえに何ぞ疾(すみやか)なるや。
(経の作者の解説文)
アヌルッダ、この語を説いて衆中皆悉く四聖諦の義を了達すと雖も、世尊、この諸々の大衆をして皆堅固なることを得せしめんと欲して、大悲心を以てまた衆の為に説きたもう。
(釈尊の言葉)
汝等比丘、憂悩を懐くこと勿れ。
もし我、世に 住すること一劫するとも、会うものは亦まさに滅すべし。会って而も離れざること、ついに得べからず。
自利利他の法、皆具足す。もし我久しく住するとも更に所益無けん。 まさに度すべき者は、もしは天上・人間皆悉(ことごと)く既に度す。其の未だ度せざる者には、皆、亦(また)既 に得度の因縁を作す。
自今已後、我が諸々の弟子、展転してこれを行ぜば、即ちこれ如来の法身常に在して滅せざるなり。
この故にまさに知るべし。世は皆無常なり、会うものは必ず離るることあり。憂悩を懐くこと勿れ。世相是の如し。
まさに勤めて精進して早 く解脱を求め、智慧の明かりを以て諸々の無智の闇を滅すべし。
世は、実に脆弱なり。堅牢なる者無し。我、今、滅を得ること、悪病を除くが如し。これは是、まさに捨つべき罪悪の物なり。仮に名づけて身と為す。生老病死の大海に没在せり。何ぞ智者はこれを除滅すること、怨賊を殺すが如くにして、而も歓喜せざること有らんや。
汝等比丘、常にまさに一心に出道を勤求すべし。一切世間の動不動の法は皆なこれ敗壊(はいえ)不安の相なり。
汝等、且(しばら)く止みね。復(ま)たものいうこと勿れ。時、将(まさ)に過ぎなんとす。我、滅度せんとす。これ我が最後の教誨(きょうげ)する所なり。
遺教経終わり