遺教経は佛遺教経、とか佛垂般涅槃略説教誡経とかいわれます。
このお経はパーリ語の大般涅槃経(マハーパリニッパーナスッタンタDN16)の内容に基づいて、釈尊の最後の説法を説いていますが、経の後ろの方で「如来の法身」等の言葉が出ていることから原始仏教から大乗仏教への過渡期に作られたと推測されています。鳩摩羅什による漢訳ですが、サンスクリット、パーリの原本は不明ということになっています。
このお経は栂ノ尾の明恵上人が若い頃に読まれ感激され、その後、生涯にわたって肌身離さず持たれ読まれていたそうです。
又、道元禅師は、著書正法眼蔵の最後の巻で八大人覚の巻を書かれていますが、この巻は道元禅師が御病気を得られ、永平寺から京都に向けて発たれる間際に最後の説法として著わされたもので、この遺教経の八大人覚の部分から引用されています。
この経の登場人物は3人(経の作者、釈尊、アヌルッダ)がいますので、誰の言葉か分かりやすいように文頭の(青字)内に明示しています。
尚、その他の( )や[ ]も私が注釈的に入れたもので、原文にありません。
文章は、漢文書き下し和文を元に出来るだけ分かりやすくなるように、少々手を加えています。
佛垂般涅槃略説教誡経(佛遺教経)
(経の作者の解説文)
釈迦牟尼仏初めに法輪を転じて阿若喬陳如を度し、最後の説法にシュバッダラを度したもう。
応に度すべき所の者は皆すでに度し終わって、沙羅双樹の間に於いて、将に涅槃に入りたまわんとす。
この時中夜寂然として声無し。諸の弟子の為に略して法要を説きたもう。
(釈尊の言葉)
[戒律]
汝等比丘、我が滅後に於いて当に波羅提木叉を尊重し珍敬すべし。闇に明に遇い、貧人の宝を得るが如し。
当に知るべし、此れは即ち是れ汝だちが大師なり。若し我れ世に住するとも此れに異なること無けん。
浄戒をたもたん者は、販売貿易(ばいまいむやく)し、田宅(でんたく)を安置し、人民・・畜生を畜養することを得ざれ。一切の種植及び諸の財宝、皆当に火坑を避けるが如く遠離すべし。
草木を斬伐し、土を墾し、地を掘り、湯薬を合和し、吉凶を占相し、星宿を仰観し、盈虚(えいこ)を推歩し、暦数算計することを得ざれ。皆応ぜざる所なり。
身を節し時に食して、清浄に自活せよ。
世事に参与し使命を通知し、呪術し仙薬し、好みを貴人に結んで親厚せつ慢することを得ざれ。皆、作に応ぜず。
当に自ら端心正念して度を求むべし。
瑕疵を苞蔵し、異を顕し衆を惑わすことを得ざれ。
戒は是れ正順解脱の本なり。故に波羅提木叉と名づく。此の戒に依因せば、諸の禅定及び滅苦の智慧を生ずることを得。
是の故に比丘、当に浄戒を持ちて毀犯せしめること勿るべし。
若し人、能く浄戒を持てば、是れ則ち能く善法有り。若し浄戒無ければ諸善の功徳皆生じることを得ず。
是れを以て当に知るべし。戒は第一安穏功徳の所住処たるを。
[五根、五欲]
汝等比丘、已に能く戒に住す。当に五根を制して、放逸に五欲に入らしむること勿れ。
譬えば放牛の人、杖を執って之を視せしめて、縦逸に人の苗稼を犯さしめざるが如し。
若し五根を縦(ほしいまま)にせば、唯五欲の将に崖畔無くして制すべからざるのみにあらず。
亦、悪馬の轡(くつわずら)を以て制せざれば、当に人を牽して坑陷に墜とさんとするが如し。
劫害を被る如きは苦一世に止まる。五根の賊は禍殃累世に及ぶ。害たること甚だ重し。慎まずんばあるべからず。
是の故に智者は制して而して随わず。是を持すること賊の如くにして、縦逸なあらしめざれ。
たとえ之をほしいままにするとも、皆また久しからずして其の磨滅を見ん。
此の五根は心を其の主と為す。是の故に汝等当に好く心を制すべし。
心の畏るべきこと毒蛇・悪獣・怨賊・大火よりも甚だし。越逸なること未だ喩えとするに足らず。
例えば、人あって手に密器を執って、動転軽躁して、但だ蜜を観て深坑を見ざるが如し。
又、狂象の鉤なく、猿猴の樹を得て騰躍跳躑(とうやくちょうちゃく)して、禁制すべきこと難きが如し。
当にすみやかに之をとりひしいて放逸せしむること無かるべし。此の心をほしいままにすれば、人の善事を喪う。
之を一処に制すれば、事として辨ぜずということ無し。是の故に比丘、当に勤めて精進して其の心を折伏すべし。
[飲食(おんじき)]
汝等比丘、諸の飲食を受けては当に薬を服するが如くすべし。好きに於いても、悪きに於いても、増減を生ずる勿れ。
わずかに身を支えることを得て、以て飢渇を除け。蜂の花を採るに、但だ其の味わいのみを取って色香を損ぜざるが如し 。
比丘も亦しかなり。人の供養を受けてわずかに自ら悩を除け。多くを求めて、其の善心を壊することを得ること無かれ。
譬えば智者の、牛力の堪うる所の多少を籌量(ちゅうりょう)して、分に過ごして以てその力をつくさしめざるが如し。
[善法の修習(しゅじゅう)]
汝等比丘、昼は則ち勤心に善法を修習(しゅじゅう)して時を失せしむること無かれ。初夜にも後夜にも亦、廃すること有ること勿れ。
中夜に誦経して以て自ら消息せよ。睡眠の因縁を以て一生を空しく過ごして所得無からしむること無かれ。
当に無常の火の諸の世間を焼くことを念じて、早く自度を求むべし。睡眠すること勿れ。諸の煩悩の賊、常に伺って人を殺すこと、怨家よりも甚だし。安んぞ睡眠して自らを驚寤(きょうご)せざるべき。
煩悩の毒蛇、睡って汝が心に在り。譬えば黒がんの、汝が室に在って眠るが如し。まさに持戒の鉤を以て早く之を屏除すべし。
[慚恥]
慚恥の服は、諸の荘厳に於いて第一なりとす。慚は鉄鉤の如く能く人の非法を制す。是の故に比丘、常にまさに慚恥すべし。しばらくも捨つること無かれ。若し慚恥を離るれば、則ち諸の功徳を失す。有愧の人は、則ち善法有り。若し無愧の者は、諸の禽獣と相異なること無けん。
[不瞋恚(ふしんに)]
汝等(なんだち)比丘、若し人有って節節に支解するとも、当に自ら心を摂めて瞋恨せしむること無かるべし。
亦まさに口を護るべし。悪言を出すこと勿れ。若し恚心を縦にすれば、則ち自ら道を妨げ、功徳の利を失す。
忍の徳たること、持戒苦行も及ぶこと能わざる所なり。能く忍を行ずる者は、すなわち名づけて有力の大人と為すべし。
若しそれ悪罵の毒を歓喜し忍受して、甘露を飲むが如くすること能わざる者は、入道智慧の人と名づけず。
所以いかんとなれば、瞋恚の害は、即ち諸の善法を破し、好名聞を壊す。今世後世の人、見んことを願わず。
当に知るべし、瞋心は猛火よりも甚だし。常に当に防護して入ること得せしむること無かるべし。
功徳をかすむるの賊は、瞋恚に過ぎたるは無し。白衣受欲非行道の人、法として自ら制すること無きすら、瞋なお恕むべし。出家行道無欲の人にして、而も瞋恚を懐けるは甚だ不可なり。
譬えば清冷の雲の中に霹靂(びゃくりゃく)の火を起こすは所応に非ざるが如し。
[頭陀行]
汝等比丘、まさに自ら頭を摩すべし。已に飾好を捨て、壊色の衣を着し、応器を執持して、乞を以て自活す。
自見かくの如し。若し驕慢起こらば、まさに疾く之を滅すべし。驕慢を増長するはなお世俗白衣の宜しき所に非ず。
何に況や出家入道の人、解脱の為の故に自ら其の心をくだして而も乞を行ずるをや。
汝等比丘、諂曲(てんごく)の心は道と相違す。この故に宜しく応に其の心を質直にすべし。
当に知るべし諂曲は但だ欺誑(ごおう)を為すことを。入道の人は則ち是の処(ことわり)無し。
是の故に汝等、宜しく応に端心にして質直を以て本と為すべし。
[以下、1小欲から8不戯論までが八大人覚]
「1小欲」
汝等比丘、当に知るべし。多欲の人は利を求めること多きが故に苦悩また多し。小欲の人は無求無欲なれば則ちこの患い無し。
ただちに小欲すら尚まさに修習すべし。いかに況や小欲の能く諸の功徳を生じるをや。
少欲の人は則ち諂曲して以て人の意を求むること無し。また諸根の為に牽(ひか)れず。
少欲を行ずる者は、心則ち坦然として憂畏(うい)する所無し。事に觸れて餘り有り、常に足らざること無し。
少欲ある者は則ち涅槃有り。これを少欲と名づく。
「2知足」
汝等比丘、若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、当に知足を観ずべし。知足の法は則ち是、富楽安穏の処なり。
知足の人は地上に臥すと雖も、猶お安楽なりとす。不知足の者は、天堂に処すと雖も、またこころに称(かな)わず。
不知足の者は、富めりと雖も而も貧し。知足の人は、貧しと雖も而も富めり。
不知足の者は常に五欲の為に牽かれて、知足の者の憐愍(れんみん)する所と為る。是を知足と名づく。
「3楽寂静」
汝等比丘、若し寂静無畏の安楽を欲せば、当にかい閙(かいにょう)を離れて独処に閑居すべし。
静処の人は、帝釈・諸天ともに敬重する所なり。是の故に当に己衆他衆を捨て、空閑に独処して滅苦の本を思うべし。
若し衆を楽(ねごう)者は、則ち衆悩を受く。譬えば大樹の衆鳥之に集まれば、則ち枯折の患い有るが如し。
世間の縛著は衆苦に没す。譬えば老象の泥に溺れ、自ら出でること能わざるが如し。是を遠離と名づく。
「4勤精進」
汝等比丘、若し勤めて精進すれば、則ち事として難き者なし。是の故に汝等、当に勤めて精進すべし。
譬えば小水の常に流れて、則ち能く石を穿つが如し。若し行者の心、しばしば懈廃(げはい)すること、譬えば火を鑽るに未だ熱からずして而も息(や)めば、火を得んと欲すと雖も火を得べきこと難きが如し。是を精進と名づく。
「5不忘念」
汝等比丘、善知識を求め、善護助を求めること不忘念にしかず。若し不忘念ある者は、
諸の煩悩の賊則ち入ること能わず。
是の故に汝等、常に当に念を摂(おさ)めて心に在(お)くべし。若し念を失する者は、則ち諸の功徳を失す。
若し念力堅強なれば、五欲の賊の中に入ると雖も為に害せられず。譬えば鎧を著て陣に入れば、
則ち畏れる所無きが如し。是を不忘念と名づく。
「6修禅定」
汝等比丘、若し心を摂むる者は、心則ち定に在り。心定に在るが故に、能く世間の生滅の法相を知る。
是の故に汝等、常に当に精進して諸の定を修習すべし。若し定を得る者は、心則ち乱れず。
譬えば水を惜むるの家の、善く堤塘を治するが如し。行者も亦た爾なり。智慧の水の為の故に、
善く禅定を修して漏失せざらしむ。是を名づけて定と為す。
「7修知恵」
汝等比丘、若し智慧有れば則ち貪著無し。常に自ら省察して失あらしめざれ。
是れ則ち我が法中に於いて能く解脱を得。若し爾ざる者は既に道人に非ず。また白衣に非ず。
名づくる所なし。実智慧の者は、則ち是れ老病死の海を度る堅牢の船なり。亦た是れ無明黒闇の大明燈なり。
一切の病苦の良薬なり。煩悩の樹を伐(き)るの利斧なり。是の故に汝等、当に聞思修の慧を以て、自ら益を増すべし。
若し人智慧の照有れば、天眼無きと雖も、而も是れ明見の人なり。是れを智慧となす。
「8不戯論(ふけろん)」
汝等比丘、若し種種の戯論は、其の心則ち乱る。また出家すと雖も、猶お未だ得脱せず。
是の故に比丘、当にすみやかに乱心戯論を捨離すべし。若し汝、寂滅の楽を得んと欲せば、
ただ当に善く戯論の患(とが)を滅すべし。是れを不戯論と名づく。
(不放逸)
汝等比丘、諸の功徳に於いて、常に当に一心に諸の放逸を捨つること、怨賊を離するが如くすべし。
大悲世尊、欲する所の利益、皆以て究竟す。汝等但だ当に勤めて之を行ずべし。
若しは山間、若しは空沢の中に在っても、若しは樹下、閑処、静室に在っても、
所受の法を念じて忘失せしむること勿れ。常に当に自ら勉めて精進して之を修すべし。
為すこと無くして、空しくして死せば、後に憂い悔いることを致さん。我は、良医の病を知って薬を説くが如し。服すと服せざるとは医の咎に非ず 。又、善く導くものの、人を善導に導くが如し。
之を聞いて行かざるは、導くものの過に非ず。
(四諦)
汝等、若し苦等の四諦に於いて疑う所ある者は、はやく之を問うべし。疑を懐いて決を求めざることを得ること勿れ。
(経の作者の解説文)
爾の時、世尊是の如く三たび唱えたもうに、人、問いたてまつる者無し。
所以はいかんとなれば、衆疑い無きが故に。時に、アヌルッダ 、衆の心を観察して佛に申してもうさく。
(アヌルッダの言葉)
世尊よ、月は熱からしむべく、日は冷ややかならしむべくとも、佛の説きたもう四諦は異ならしむべからず。
佛の説きたもう苦諦は真実にして是れ苦なり。楽ならしむべからず。集は真に是れ因なり。更に異因なし。
苦もし滅すれば、即ち是れ因の滅。因滅するが故に果も滅す。滅苦の道、実に是れ真の道。更に余道なし。
世尊よ、是の諸の比丘、四諦の中に於いて決定して疑い無し。此の衆中に於いて、所作未だ辨ぜざる者は、佛の滅度を見て当に悲感有るべし。若し初めて法に入る者有れば、佛の所説を聞いて即ち皆得度す。
譬えば夜、電光を見て即ち道を見ることを得るが如し。若し所作已に辨じ、已に苦海を度る者は、
但だ是の念を作すべし。世尊の滅度、ひとえに何ぞ疾かなるや。
(経の作者の解説文)
アヌルッダ、是の語を説いて、衆中、皆悉く四聖諦の義を了達すと雖も、世尊、此の諸の大衆をして
皆堅固なることを得さしめんと欲して、大悲心を以てまた衆の為に説きたもう。
(釈尊の言葉)
汝等比丘、憂悩を懐くこと勿れ。若し我、世に住すること一劫するとも、会うものは亦た当に滅すべし。
会って而も離れざること、終に得べからず。自利利他の法、皆具足す。若し我久しく住するとも更に所益無けん。
応に度すべき者は、若しは天上・人間皆悉く已に度す。其の未だ度せざる者には、皆、亦た已に得度の因縁を作す。
自今已後、我が諸の弟子、展転して之を行ぜば、則ち是れ如来の法身常に在して滅せざるなり。
是の故に当に知るべし。世は皆無常なり、会うものは必ず離るることあり。憂悩を懐くこと勿れ。世相是の如し。
当に勤めて精進して早く解脱を求め、智慧の明かりを以て諸の癡闇を滅すべし。
世は、実に危脆にして牢強なる者無し。我今滅を得ること、悪病を除くが如し。此れは是、応に捨つべき罪悪の物なり。仮に名づけて身と為す。生老病死の大海に没在せり。
何ぞ智者はこれを除滅することを得ること、怨賊を殺すが如くにして、而も歓喜せざること有らんや。
汝等比丘、常に当に一心に出道を勤求すべし。一切世間の動不動の法、皆な是れ敗壊不安の相なり。
汝等、且(しばら)く止みね。復たものいうことを得ること勿れ。時、将に過ぎなんと欲す。我、滅度せんと欲す。
是れ我が最後の教誨する所なり。
佛垂般涅槃略説教誡経終わり
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